講師(宗夜)ブログ
所作(55)●量子論と般若心経
休日に何となくテレビをつけたところ、量子論についてのドキュメンタリー番組に当たり、つい見入ってしまいました。
ブラックホールに吸い込まれた情報は永遠に失われるとする相対論に対して、『それはあり得ない。受け入れ難い。』とする量子論。
20年という歳月を掛けて『情報は失われるのではなく、別のところに投影されている。』という量子論が数式で証明された、という内容の番組でした。
計算も、数学も、物理も、化学も、大の苦手の私には数式も理論もさっぱり分かりませんが、こういった事象が万人を前にして証明できてしまうというところに非常に驚きました。
この世の中は幻なのかもしれない。
私たちはその幻の中で生きているのかも知れない。
そのような言葉で番組は締め括られました。
あれ?この言葉どこかで聞いたことがある…。
般若心経でした。
この世には、色も音も味も香りも感覚も何もない。何もないから良いも悪いもない。
だって何もないんだから。
何もないから苦しいも辛いもない。
だって何もないんだから。
↑これは私の解釈です。
そしてまた、これはそのままよく宗嘉先生に言われる言葉です。
この世は幻。
良いも悪いもないの。
だから楽しいことを考えて楽しく生きた人の勝ちなの。
この世は幻…。
この言葉を受けて、番組では学生役の女優が大学教授に噛みつきます。
『え?でも今現在、私たち生きてるじゃないですか。幻と言われてもピンと来ないな…。』
ああその気持ち分かる。
私も昔はそうでした。
今は実体験を受けてピンときます。
私の実体験というと、どうしても子どもとの経験になります。
20年前、確かに私は子どもを生みました。
耳に赤ちゃんの頃の子どもの声が残っている。
腕にも抱っこした時の感触が残っている。
ぷくぷくのほっぺ。
かわいい。
小学生まではこの可愛さが続きました。
だけど中学生になり、高校生になり、体も態度も大きくなり、ふと、
『あの…。どなたさんですか?』
と問いたくなるような気持ちになりました。
かわいいというよりも緊張感の方が先走ります。
高校生になると常に張り合ってくる。
隙あらば見下そうとする。
一瞬一瞬が勝負の連続。
一歩も引かない覚悟で息子と向き合う日々。
門限も定め、家のルールに従わせる。
『納得いかないんですけど』
ある時、友達の門限を表にまとめて抗議してきました。
『じゃあ、あなたはその子の家の子どもになるんですか?今現在、あなたは高校生でこの家の保護下にある。家を出たら勝手にしなさい。それまではこの家のルールに従ってもらう。』
こういった対応を間髪入れずにその場で即断するところに親の凄みがあるわけだから、本当に毎日疲れました。
だけど…
そんな思い出も、もう4年も前のこと。
今では息子のものは布団も含めて全て片付けて、私の仕事部屋としてzoomの着付けに使っている。
思い出は徐々に色褪せて、あんなこと本当にあったっけなぁ…と思えてくるのです。
そんな一連の経験を思うと『まぼろし』という言葉がスッと私の心に馴染んできます。
映画でも見ていたような、そんな感じ。
宗嘉先生と一緒に仕事をしている今の生活も、少し前のことを思い出すとやはり映画のような感じ。
映像は脳裏に浮かぶのに温度は感じられない。
もう過去のことなので、その映像に対しては何の感情も湧かない。
これが現実なのだと今は思います。
やっと現実が分かってきました。
地面を踏みしめている実感を得ています。
実感を得ているので虚しくありません。
幻かもしれないけど、虚しくない。
一瞬かもしれないけど、いま私は生きている。
ただただ自分を生きるだけ。