講師(宗夜)ブログ

2024-02-05 20:39:00

●ウルトラの母

『形がウルトラの母に似てますよね?』

貴人清次のお点前のときの千鳥茶巾の話です。

私は生徒さまに畳み方をお教えするときに、いつもこのように言います。

『そ……うですね。何…となく…』

にわかに同意しかねるが、ここは講師の顔を立てておこうという大人のご配慮。

皆さま非常にお優しい。

 

それが!ついに!

平成女子来たる。

『ウルトラの母って何ですか?』

『え⁉️』たじろぐ私。

『ウルトラの母をご存じない?』

『分かりません』

(しょうがないなぁ…)

『ウルトラの母は、ウルトラマンファミリーのお母さんです。地球の平和を守っていた偉大なるファミリーのお母さんなんですよ。』

『はぁ…』

『では畳みましょう』

畳み方は宗嘉先生の動画をご覧ください↓

 

https://www.youtube.com/watch?v=eIAMadKsK28

 

『ほらね、ウルトラの母。って知らないのか💧』

『ワンコ🐶みたいですね』

『あー、確かに』

『私にはクレヨンしんちゃんの犬のシロに見えます』

それを言うなら…

〈うちのタマ知りませんか?〉の隣の家のポチでしょう、とツッコミを入れたいところでしたが、これはもっと分かってもらえないと思って断念。

 

お稽古前の水屋での会話です。

茶道とは何の関係もないように思われますが、このような会話をしていると生徒さまの覚えがとても良くなるのです。

ウルトラの母でも、ワンコ🐶のシロでも、どちらでも良いけれど、楽しく会話をしてお稽古をすると記憶の結びつきが強くなるように思います。

無機質な情報に、楽しいという色が入ることで、記憶を引き出すキーワードがひとつ増えるからだと思われます。

一見どうでも良い、関係のない話だからこそ、意外性が発揮され、更に笑い合うことでキーワードの効果が強くなるのかも知れません。

 

子どもに勉強を教えていた時、人間の脳や、身体の能力は本当に興味深いなぁと思いました。

当時は悩んで悩んで…。

鬼ババみたいに怒って怒鳴って…。

でも一緒に勉強して結構楽しい時もあって。

ん?青春?

あ、これ青春かも。

『いやー、あれは役に立った。今でも役に立ってる。』

大学生になった時にポロリと子どもから出た言葉でした。

あの時は訳が分からなかったけど、じわじわ後から効いてきたと言っていました。

 

詰め込み教育はダメだとか、色々な情報が飛び交うけれど、楽しいという気持ちが所々にあれば、それも立派な教育法ではないかと思います。

 

『なかなか覚えられない』

という生徒さまもいらっしゃるのですが、

まぁまぁそう言わず。

どんなことでも良いので、何か楽しいキーワードを見つけていただければグッと面白くなると思います😊

2024-01-27 15:03:00

●欲しがらない人

一緒にいて、楽しいなぁと思う方々。

その方々には共通点がありました。

欲しがらない気質です。

欲しい、欲しいと言わない。

そうすると安心してお腹の中を見せられる。

安心すると朗らかな笑いが生まれて楽しい空気に包まれる。

楽しい空気が溢れて流れると、『なになに?』と人が集まってきて、また楽しくなる。

 

欲しがらないという気質。

これはなんだろうと思いました。

欲しがらないところまで行くには、成熟が必要に思います。

『悟り』の一つの姿のように思います。

 

欲しがらない姿に最初に気付いたのは

『千と千尋の神隠し』でした。

カオナシから差し出された金の粒々を、千が断ったシーン。

『欲しくない、要らない』

 

このシーンはとても印象に残りました。

当時は2001年。

お台場など首都圏が建設ラッシュで、街の姿があらゆるところで急激に変わっていきました。

自分の知らないところで沢山のお金が高速道路を走る車のようにすごい勢いで流れていきます。

膨らんだり弾けたり。

経済にはあまり詳しくないのですが、世の中はなんと不安定なのかと思っていました。

 

そしてこのシーン。

大抵の人はお金を欲しがるのに、千は欲しがらない。

(え?要らないの?)

カオナシの悲しそうな顔。

要らないと断られたら、付き合いようがありません。

すごいなぁ、欲しがらないって強いんだなぁ。

自我が一つ作られた瞬間かもしれません。

 

反対に、欲しい欲しいと、いつまでも欲しがる人もいます。

欲に駆られるとカオナシに飲み込まれてしまう。

自分が自分で無くなってしまう。

そして気の毒だけど、あんまり欲しがると、逆に手に入らないのです。

宗嘉先生はそれを執着と呼んでいます。

あげてもあげても、まだまだ欲しい。

『え?まだ足りないの?』

どんなに優しい人でも限界がありますが、欲しがる人にはその限界が見えない。

 

自分が本当に好きなものとか、好きなこととかを見つけられたら良いなぁと思います。

そうすると余計な執着が消えてくるようです。

好きなもので満たされているから、余計には欲しがらない。

『もう十分いただきましたので…』

茶道の問答の一つ。

慎み深い素敵な言葉で、とても好きです。

2024-01-21 19:59:00

損する口癖『なるほど』

つい口に出てしまうクセ、口癖

悪気はないのは分かっているんだけど、ちょっとムッとくるものが『なるほど』の一言です。

印象が良くないのです…『なるほど』は。

 

ご本人としては褒め言葉のつもりなのでしょう。

テレビでのトーク番組などで出演者も

『なるほど』を連呼する姿を見かけます。

日頃から耳にする言葉ですので何が良くないのか分からない方も多いようです。

 

『なるほど』とは、部下などの報告を受けた時に、目上の人が納得した時に使う言葉です。

それでも、人の気持ちに敏感な役職の方は、たとえ部下だとしても使うことを避けるのではないでしょうか。

 

仕事とは人と人との繋がりです。

『この人の役に立ちたい』という気持ちが最後の支えになりますから、心理の推察に長けた人であればあるほど言葉遣いに慎重になるはずです。

 

宗嘉先生とお仕事をしていて、工藤はただの一度も『なるほど』と言われたことはありません。

反対に、工藤は先生とのお仕事を始めた頃には

『なるほど』を連呼していました。

先生から注意されるまで工藤も悪気なく使っていました。

全く、反省しかありません。

しかし人が使っている場に居合わせると、改めて色々なことが見えてきました。

 

『なるほど』の印象はどんなものでしょうか?

一つには、おじさんぽい感じです。

工藤の勝手なイメージでは愛川欽也。

昭和のクイズ番組に『なるほどザ・ワールド』というものがあってその司会者だったからかもしれません。

(あの番組は面白かったです。小学生の頃に夢中になりました。)

その他には、刑事コロンボ。

(こちらも面白かったです。)

この二人が、口に何か挟みながら『なるほど』と呟く姿がしっくりきます。

ちょっとしょぼくれたおじさんのイメージなのです。

しょぼくれてはいますが、どこか相手を喰った感じ。一筋縄では行かない人物を思わせます。

 

もう一つのイメージは女子学生。

または女性新入社員。

世の中をよく知らないのに、分かった風を装って『なるほど』と言う。

こういう若い女性の姿を時々ドラマなどで見かけることがあります。

若い女性の成長ストーリーなどです。

さすが脚本家は人の心理を上手に描くのだなぁ、と思います。

視聴者はその姿を見て『生意気だな』と思う。

でも若いから仕方ないか。可愛いし。とも思う。

しかしヒロインが成長しきった姿では、そのような言葉遣いはさせていません。

もっと上品な柔らかい言葉遣いをさせるでしょう。

 

『なるほど』は音声的に分析しても美しくないのです。

『ど』という濁音で終わっています。

濁音で終わる言葉はなるべく避けたいところ。

不躾な印象を与えるからです。

 

何かの説明を受けてとても納得できた。

その気持ちを伝えたいと思われたときには、

『なるほど』の一言で済ませず、

『よく分かりました。ありがとうございます。』

2024-01-14 14:33:00

●本音でつながる

先日のお稽古にて、営業の講師の顔ではなくて、つい本音が口を突いて出てしまいました。

ご入会して4年ほどの生徒さまとのマンツーマンお稽古。

別の生徒さまに申し上げないといけないことがあり、ちょっと目を離すと本来と違うことをなさっておられました。

『あれ?お茶巾取りました?』

『取ってません』

『も〜〜、覚えてよぉ〜💦』

いつも同じところで間違えるので、笑いながらもつい本音が出てしまいました。

生徒さま、『エヘヘ😅』と笑ってくださり、

私も(あ、しまった。言ってしまった)と思ってバツが悪くて『エヘヘ😅』と笑いました。

バツの悪さとバツの悪さが相まって、お互いの心が分かり、その本音の一言でグッと距離が縮んで却って楽しい気持ちになりました。

 

生徒さまの薄茶を工藤が頂戴したのですが、思わず驚きの声を上げたくなるほどに美味しいお茶でした。

ふんわりと空気をはらんだ優しい薄茶。

『ああ美味しい』

お世辞でも何でもなく、本当に美味しいお茶でした。

生徒さまは声を出さずに手を付いて会釈しました。

 

。。。。。。。。。

茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて

のむばかりなる事と知るべし

。。。。。。。。。

 

ああそうか。

茶の湯の本来の姿とはこのような関係を築くことなのかもしれないなと思いました。

 

本音を言えるようになるには、長い時間が必要です。

ある時は相手のテリトリーに入りすぎたり、

ある時は遠慮し過ぎたり…。

お互いに心地よい距離を身体で測りながら、人格をゆっくりと理解していきます。

 

その過程を愉しむ余裕を心に持ちなさい。

列車に揺られて景色を楽しむように。

 

そんなメッセージが届いた1日でした。

2024-01-09 21:03:00

●信頼できるリーダーに出会えると人の心は安定する

人との出会いで人生は大きく変わる。

そう思います。

。。。。。。。。。

今の自分を変えたい。

信頼できる人に出会いたい。

自分よりも遥かに優れた能力を持つ人に出会って能力を伸ばしてもらいたい。

学びたい。学び続けたい。

。。。。。。。。。

茶道を志す人にはこのような欲求が、やる気の根源にあるように感じています。

決意や覚悟のような強い気持ちを持って『茶道』という、想像もつかない難しそうな大きな文化に身を投じる。

で、ありながら…

助言を素直に聞き入れられないこともある。

便利で快適な世の中に甘やかされた現代人には、茶道のヒエラルキーがなかなか馴染まないからかも知れません。

ヒエラルキー(上下関係の序列)

若い頃にはこれが嫌でした。

嫌でたまらず、反発ばかりしていました。

 

なぜか?

心から尊敬できる人に出会っていなかったからだろうかと思います。

それだけでなく、自分自身の心も狭くて人を受け入れることが出来なかったように思います。

どんなに優れた人にも欠点や短所があります。

それが許せなかった。若い頃には。

自分だって欠点や短所は多数ありますが、人のそれは許せなかった。

全く勝手なものです。

ようやく今になって至らぬところを見ても、尊敬する気持ちが失われないようになりました。

 

そしてそれと共に、ヒエラルキーの意味も分かるようになってきました。

単に社会の安定のために必要な制度だから、というわけではありません。

実は心の安定にも繋がっているように思うのです。

 

30代の前半あたり。

論語の一文がすごく気になっていました。

。。。。。。。。。。

七十にして心の欲するところに従えども矩を踰えず

(好きなように行動しても非常識にならない)

。。。。。。。。。。

どういうことだろうと思いました。

当時は矩を踰えっぱなしでした。

色々な場所で非常識な行動や不用意な発言をし、軋轢を生みました。

どう生きるのが正解なのか分からずにいました。

周囲に迷惑をかけたことだろうと思いますが、自分にも辛い時間でした。

ヒエラルキーの構造を身に付けずに成長してしまったことが、その原因ではないかと思います。

 

ヒエラルキー(上下関係、じょれつ)の感覚。

人間以外の動物はどうなのでしょうか?

霊長類は大抵は群れで生活していると言います。

ニホンザルも、チンパンジーも、ゴリラも…

その他の哺乳類も群らがることが多いと聞きます。陸でも、海でも。

そして群れの中には、はっきりとした上下関係があるそうです。

以前、宮崎県の都井岬に生息する野生馬の話を聞いて驚いたことがあります。

馬が整然と横に少しずつずれて並んで立っていました。静かでありながら何とも言えない緊張感が馬から流れてきました。

お互いの横腹を沿わせるように並んでいますが、頭ひとつ分くらい少しずつずれて5頭ほどの馬が立っていました。

『並んでいるお馬さんたちは、こちらのオス馬の奥さんたちです』

ガイドさんが説明してくれました。

『オス馬に近い順から、第一夫人、第二夫人、第三夫人、第四夫人、第五夫人です。ちゃんと序列があって、序列通りに並んでいます。結構厳しい社会なんですよ。』

馬たちの長い睫毛と静かな伏目が印象的でしたが、何かそこには侵してはならない見えない線が引かれているのでした。

 

チンパンジーなどの霊長類もボスに毛繕いできるメンバーは決まっていると聞きます。

ボスの隣に座れるメンバー、隣の隣に座れるメンバーなど、座る位置が明確だそうです。

まるで江戸時代の封建制度みたいだ思いました。

将軍に謁見できる御目見(おめみえ)以上の旗本と、謁見できない御目見以下の御家人みたい。

 

ちょっと話は飛びますが…

時々、宗嘉先生がものすごく眠そうな顔をしている時があり理由をお聞きすると

『猫が朝からケンカして…』

と仰います。

『ケンカは猫社会にとっては大事なのだ。

人間の都合で無理やり止めてはいけないのだ』

『常日頃からケンカをして序列をハッキリさせることで、お昼どきの暴力的な争いを回避しているのだ』

人間社会に住む飼い猫であっても、やはり侵してはならないヒエラルキーが存在しているのだなぁと思いました。

 

動物も若い者はやんちゃで、上の者から随分と怒られながら仕込まれています。

ですが、力関係がシンプル。

人間は恨んだり、拗ねたり、悩んだりするから問題が複雑になるのだろうと思います。

 

論語を記した孔子であっても

『七十にして…(ようやく)』

と残していますから、誰にとっても人間社会で気持ちよく生きるのは難しいことなのかも知れません。

 

その一方で、信頼できるリーダーに出会えると心は安定するものだなぁと実感しています。

安心感を得るとエネルギーが湧いてきて、無理やりにやる気を出そうとしなくても、自然と学びに気持ちが向いていくもののようです。

そして学ぶことが好きな真面目な仲間が増えていき、教えたり教えられたりしながら、そこには柔らかいヒエラルキーがふわりと浮かび上がってくるように思います。

人と人との関係はこんなに温かくて気持ちの良いものだったんだなぁ。。。

 

皆さまにもそのような時間を味わっていただきたいと思っています。

心安らぐ場があれば、他の世界で腑に落ちないヒエラルキーに固められても、素直な気持ちを失わずにいられるように思います。

 

令和六年。辰年が始まりました🐲

皆さまがご自身らしく健やかに過ごせますように。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。