講師(宗夜)ブログ
●ほどほどが一番難しい
いつも思います。
『ほどほど』が一番難しいと。
ここのところ少し忙しくしていて、つい食事が後回しになりました。
気持ちが乗っている時には、目の前のことに集中したいという思いが強く
『今は玄米と納豆とお豆腐を食べておこう』
と短時間で済ませることが増えていました。
『玄米といっしょに雑穀もたくさん混ぜて炊いているし、腸の動きも良いし、問題ないはず!』
と思っていたのです。
ところが…
ある時から食事が苦痛になりました。
美味しく感じなくなってしまったのです。
以前は食べることが大好きだったのに。
『食べなくて済むなら食べなくても良いんじゃないか』
とさえ思う時もありました。
おかしいのかな、と思っていたところ
『おかしいよ』
と宗嘉先生からダメ出しが…
。。。。。。。。。
ちゃんと食べないと性格悪くなるよ
。。。。。。。。。
🔴食べ方で性格が変わるんですか?
🟦変わる。栄養が足りてない人は陰険になる。他人の粗探しを始める。
🔴でも、やっと食欲を超えたのに。食欲が暴走していた頃に戻りそうで怖いんです。
🟦もう大丈夫なんだ。以前の自分とは違うんだ。手綱を緩める時が来たんだ。
そろそろ自分教育の最終段階に差し掛かってきたようだね。
。。。。。。。。。。
自分教育の最終段階には、必死になってはいけない。
体と心を解放させる運動が必要なんだ。
小さな魚の群れが、膨らんでは縮まって大海を舞う姿ににている。
周りの人や空間との共鳴を楽しむ余裕が大事なんだ。
。。。。。。。。。。
🔴そのためには…
🟦そのためには、ゆらゆら体操と波動ウォーキングですよ。
ゆらゆら体操と波動ウォーキングのお稽古を進めていくと、考えすぎなくても自分の『ほどほど』が分かってくる。
宗嘉先生のダメ出しを受けて、食事の量を増やすと、
🟦『そうそう、それくらい食べないと』
とのお言葉。
まだ無理して食べている感覚で、心から楽しんではいないけれども。
そして食後に胃痛と腹痛が。
これは…
🟦『胃と腸をしばらく使ってなかったから。せっかく健康なんだからしっかり使わないと』
イタタ…イタタタ…
ああ、そうか。
人間は生まれたら母乳しか摂らないで、離乳食を始めて少しずつ訓練し2〜3年かけて大人と同じ食事に変わるのだものなぁ。
胃腸の動きとか消化液の分泌とか練習しながら成長してきたものを、自分の思い込みで止めてしまうと使い方を忘れるのかもしれない。
実際、私の体は久しぶりの動きに戸惑っている様子。
ほどほど
いい言葉ですなぁ。
そうありたいものです。
⚫︎玄米生活3ヶ月
白米から玄米に切り替えて丸3ヶ月が過ぎました。
体調はとても良いです。
ですがここまで来るのにはアレルギー反応との攻防の過程がありました。
玄米に切り替えて最初の1ヶ月の反応は、腹痛でした。
食直後の腹痛が強くて大変でした。
お腹がパンパンに張ってすごく苦しかったです。
1ヶ月くらい経つ頃から落ち着いてきました。
実は以前に何度も玄米に挑戦しながら続けられなかったのは、この1ヶ月間の腹痛に耐えられなかったからなのでした。
10年前にも何度か玄米+雑穀米の生活を試みたのですが断念していました。
その頃には皮膚にアレルギー反応も出てアトピーが悪化してしまいました。
この反応は副反応とか、陽性反応とか呼ばれています。
何とも不思議な身体の仕組みです。
『良くなる前には悪くなる』
とのことですが、その反応に苦しむ自分としては
『なんでやねん!🫲💢』
とツッコミを入れたくなります。
と、宗嘉先生にお話ししますと…
🟦『あー、だからアレルギー反応が強くなっちゃうんだよねぇ』
とのことでした。
🟦『やる気満々のNK細胞(ナチュラルキラー細胞)がさぁ、間違って味方を攻撃しちゃったんだよね。その時に工藤さん、なんて声掛ける?』
🔴『なんでやねん💢、です』
🟦『だからだよ。NK細胞としては悪気は無いんだよ。ちょっと頑張り過ぎちゃったんだよ。頑張り過ぎちゃったけど、でもやっぱり頑張ってるんだよね。だから褒めてあげなきゃ。よくやったねぇ、って』
🔴『よくやった、ですか…』
🟦『そうだよ。よく働いてくれてるじゃない。偉いもんだよ。』
との宗嘉先生の助言を受けましてから、腹痛のたびに『ありがとう』と呟いて凌ぎました。
そのおかげか、2ヶ月目からは腹痛も治まり、丸3ヶ月を過ぎた今では、玄米の力に驚かされています。
工藤の身に起きた、玄米による効果がこちらです。
。。。。。。。。。
・間食が激減した
・よく眠れるようになった
・仕事がもっと好きになった
。。。。。。。。。
以前は間食がやめられずにいました。
甘い物の摂り過ぎはアトピーには絶対良くないのですが、分かっていても、どうしてもやめられなかったのでした。
ところが玄米生活をしてみると、やめる・やめないの前に『欲しいと思わない』のでした。
子どもの頃から甘い物漬けだった自分には驚きの変化でした。
そしてよく眠れるようになりました。
相変わらず睡眠時間は6時間ですが、眠りの質が良くなり疲れが残らなくなりました。
眠る直前まで仕事やら勉強やらしていても、床に就けばすぐに眠りに落ちるのでした。
仕事がもっと好きになったというのも、それらの延長のようです。
以前は仕事と自由時間とを分けて考えていました。
休みの日に何しようとか、何食べようとか、ゆっくり寝ていようとか、休日を楽しみに待つことがありました。
それが最近は休日は次のアクションのための準備に充てるようになり、その心の状態が自分にとっての娯楽になりました。
仕事時間そのものがご褒美に思えてくるのでした。
ここまでの自分の変化を鑑みて
日本人のモノ作りの強さの秘訣はここにもあるのかな、と思いました。
日本はよく『職人の国』と言われます。
物を作らせたら比類がないと。
最後の宮大工と呼ばれる西岡常一さんが発した言葉を思い出しました。
『最初のお給料もろたら全部道具に使い込むようでなきゃ、あきませんな。自然にそうならんと。』
仕事が好きで好きでたまらないという状態。
仕事をしている最中の、集中力が高い状態に、もしかしたら仏心に触れるような感覚があったのではないかと想像しています。
それが玄米のおかげかどうかまでは分からないのですが、食欲を超えられた時にすごい力が発揮できるのは確かだと思うのです。
湧き上がる食欲を抑えようとすると、精神的なストレスがすごく掛かります。
でも欲求自体が起こらなくなればストレスから解放されます。
玄米はそのお手伝いをしてくれるかもしれません。
よろしかったらお試しくださいませ😊🤲
●アマチュアとプロの差 『衣擦れの音』
よし庵の生徒さんの中には、ほぼ完璧で殆ど間違えない優秀な方々も多くいらっしゃいます。
右手・左手・足の動き…
時間のやりくりをしながらよくここまで覚えてくださったなぁと感心いたします。
茶道が本当にお好きであられることに嬉しさを覚えます。
ここまでお上手になられると
アマチュアとプロの違いはどこにあるのか次のステップが気になることでしょう。
違いは『芸術性の高さ』にあると工藤は思っています。
一番分かりやすい差が
『衣擦れの音』に出ます。
プロの茶道家のお点前では衣擦れの音が鳴りません。
緩やかな動きが等間隔に舞うように続く時には布地の摩擦が起きないのです。
アマチュアの方々の動きは、脳の動きと体の動きが直で連動しているのが側で見ていて分かります。
(はい、この次は右手)
(で、次は左手と右手の二手)
動きの直前には『間』があって、(あ、そうだ右手だ!)
と、間を埋めるように素早く動かれるので『シュッ』と衣擦れの音が鳴ります。
茶道には音楽や演舞と同じような時間芸術性があり、静謐な中で行われるので小さな衣擦れの音でも腕の差になって表れてしまうのであります。
ただ、あまり神経質になると本来の『茶の湯を愉しむ』ところから離れてしまいますので、気にするのは程々で良いかと思います。
むしろ気にせずに
一旦覚えたら茶道から離れてみるのもお勧めです。
私が行っていたのが茶道をしながら交響曲を奏でるということでした。
頭の中で二つのことを同時に行うのです。
奥伝などですとお点前に40分くらい掛かるものもありますので、交響曲を奏でるのにちょうど良いのでした。
茶道以外のもう一つのことに同じくらい集中して、それでも手が間違えずに動くかどうかを訓練していました。
これができるようになると精神が解放されて自由になる感じがしました。
一度は集中して茶道に向き合って全部覚える。
覚えたところで、何か別の美しいものにも触れてみる。
音楽でも良いし、建築でも、美術でも、服飾でも、お料理でも、和菓子でも、学問でも、ガーデニングでも、アロマでも、書道でも、華道でも、香道でも…
とにかく自分の『好き』を広げてみる。
自分なりの美の王国を作ってみる。
人に話す必要はないのです。
早い段階で人に話すと浅はかに思われてしまいます。
黙して語らず。
ただただ自分の世界を深く深く掘り下げてみる。
その気持ちを大事にして味わいながら茶道にもう一度向き合ってみると…
右手とか左手とか、細かいところはどうでも良くなる。
『どうでも良いけれども間違えない』という不思議な感覚に落ち着いてくる。
そして心地良い。
当人が心地良いから見ているお客様も心地良くなります。
この状態が芸術であり
整うということのように思います。
誰がやっても同じお点前の筈なのに、そうではないのは、人それぞれ美の意識が違うからでしょう。
茶道だけに拘っている人のお点前には遊びが無くて窮屈な感じ
遊びすぎると散らかり過ぎて奔放でまとまりがなく…
バランスを取りつつ自分の美を創り上げるところに醍醐味がありそうです。
●毒親とは
朝ドラ『あんぱん』で、準主人公の嵩の母親(松嶋菜々子さん)が『見事な毒親ぶり』とネット上で評されていました。
ねっちょり、ねっちょりと嵩を追い詰めるあたり、確かに毒親。
でも人間は大なり小なり毒を持つ生き物。
そんな人間が子を持てば誰しも毒親になり得るのではないかなぁ、なんて思いました。
そう言えば私の母親も
『勉強しなさい』
とよくヒステリックに叫んでいたなぁ。
あれ、嫌だったなぁ。
同級生も同じような悩みがあったようで、母と喧嘩して泣いて目を腫らした翌日に、友人2人も同様に母と喧嘩して泣いて目を腫らして登校して、皆んなで一緒に笑ったっけ。
毒親でない親を持つ子は存在するのだろうか…
なんて逡巡していた時に読んだ本が『きもの:幸田文(著)』でした。
大正時代の女学生の日常を描いた作品です。
前半は何て事ない、ごく普通の家庭の風景。
3人姉妹の末っ子・るつ子が主人公です。
超美人の長女、まぁまぁ美人の次女、色白だけが取り柄のるつ子。
姉妹の喧嘩とか、友人の付き合いとか、よくある日常生活が描かれています。
後半から一変。
母親が病気で倒れます。
るつ子はおばあさんと一緒に懸命に看病をします。
そんな最中、るつ子は偶然に父親の想い人に出逢います。
母とは印象の違う女性。
若い学生るつ子には辛い出来事がその後も重なりますが、おばあさんの助言を得つつ、意外にも捻くれずに素直に育ちます。
おばあさんの深い愛情がるつ子の心の支えになっている様子。
読者としては
『どうか心優しいるつ子が幸せになりますように』
と願わずにいられないのでした。
ところが…
ふと出会った男性にるつ子は心を奪われて、そのまま押し流されるように結婚に向かってしまうのです。
『あの男はやめておけ』
普段静かな父親が珍しく強い口調で反対し、家族の誰もが口を揃えます。
するとるつ子はグッと口をつぐんでそれ以上話そうとしないのでした。
『頑固に黙りこくるところ、死んだ母さんにそっくりだ』
などと言われ
『そんな風にお母さんのこと言うのひどいわ』
と余計に強情になってしまいます。
しかしどうやら年長者の言葉通り、あまりよろしくない男性のよう。
読者もヤキモキさせられるのでした。
(ああ、これはきっと上手くいかない…)
そんな未来を匂わせつつお話が幕を閉じるのでした。
宗嘉先生にその小説の話と共に私の感想も伝えました。
工藤🔴:主人公は良い子なんですよ。優しくて素直で。それがどうしてハッピーエンドにならないんでしょうね。
先生🟦:可愛がられ過ぎたね。
工藤🔴:え?子供って可愛がって育てるもんじゃないんですか?
先生🟦:幼児まではね。それ以降に優しくされ過ぎてしまうと自我が育たない。
工藤🔴:おばあさんはすごく良い教育をしてくれたんですよ。人のこころの機微とか、細やかな心遣いについての教育を。
先生🟦:それだよ。良過ぎたんだ。親は未熟ぐらいがちょうど良いんだ。親も未熟、子も未熟で、未熟同士が『やいのやいの』とやり合って成長するんだ。
工藤🔴:ということは、毒親は…
先生🟦:分かりやすい毒親の方が立派だよ。
毒親が立派かぁ…
毒にも色々あるから、全ての人に当てはまることではないでしょうけれど…
でも、確かにあんぱんの嵩も、苦悩の後に自分らしい道を見つけました。
自分が一番好きなものを再認識できたのは毒親と言われる松嶋菜々子母のお陰かも知れません。
私の母の『勉強しなさい』も、
それなりに効果があったかも知れないと、五十路になってから認めるようになりました。
私は要領が悪くて効率よく点数を取ることが出来ませんでした。
勉強してるんだけど、点数が取れない。
こだわりが強くて好きなところばかり勉強するから。
要領が悪くてなかなか覚えられないから、長い時間机に座り、何度も何度も勉強する。
大人になっても劣等感が拭えず何度も何度も勉強する。
それが良かった。
気がついたら勉強が好きになっていました。
講師は、一生勉強をし続ける職業です。
この気質を身につけられて助かりました。
もしかしたら
苦労しながら親からの毒を消していく過程が、その人ならではのアイデンティティを作るということかも知れません。
毒を消すのは簡単ではないけれど、だからこそ価値があることのように思います。
●光明皇后の書風
最近勉強した書道史の中で、光明皇后が取り上げられました。
書店でテキストを購入して眺めているうちに
『あれ?ちょっと待って。いま普通に私は眺めているけど、本当はこれ、すごい事なんじゃないの?』
とじわじわと感動してきました。
正倉院に納められていた国宝がテキスト化されて自宅にていま普通に眺めている。
744年に光明皇后が記したとされる
楽毅論(がっきろん)が本になって誰でも購入できる時代。
すごい時代になったなぁ。
さて、光明皇后の字。
『エネルギッシュ』
というのが最初の印象でした。
夫の聖武天皇の書風とは対照的。
聖武天皇は緻密で繊細で美しい字を書かれておられます。
聖武天皇と言えば、
・度重なる遷都
・大仏の建立
・国分寺、国分尼寺の建立
が有名です。
遣唐使によって大陸から様々な文化がもたらされた時代。
紙と墨が日本に伝わったのは聖徳太子の頃(約100年前)だそうですが、聖武天皇の頃にはそれらが花開いて唐文化が大ブームだったとのこと。
ファッションも建築も食べ物も学問も法律も、そして文字も。
すべてが唐様(からよう)。
その時に伝わった文字とは、書聖『王羲之(おうぎし):約300年頃』を始め、初唐の書家たちのもの。
虞世南(ぐせいなん)
欧陽詢(おうようじゅん)
褚遂良(ちょすいりょう)
だと言われています。
日本では当時これが最新のものとして紹介されています。
しかし、初唐の文化は大陸では約100年前のものです。
こんなすごい文化が大陸では100年も前に起こっていたのか!
と聖武天皇も光明皇后も驚愕したのではないかと思われます。
メディア文化の確立。
権威には絶対不可欠な要素であるから、それはもう懸命に学んだことでしょう。
遅れを取り戻さねば!
すこしでも早く!
私は女性であるので、どうしても光明皇后の気持ちを想像してしまいます。
進んだ文化への憧れ・焦り・畏れなどが入り混じった複雑な思いを持っていたのではないかと思います。
疫病や地震などで人の心が不安定な時代だから尚更です。
ところがどうでしょう。
このエネルギッシュな書風。
満々の意欲が溢れています。
不安を吹き飛ばすくらい、学ぶ喜びのようなものを感じます。
当時、光明皇后は44歳。
最新のものを学ぶんだ。
学んで学び取って自分のものにするんだー!
罫線?
関係ないない。
想いとかリズムとかが大事だから。
所々で中心線からはみ出す自由さ。
頼もしい。
私の目にはとても魅力的な女性に映るのでした。
がんじがらめになりやすい世の中。
精神を解放できるのは、このような軽やかさかも知れません。
軽やかだけど弱くない。
見習いたいと思いました。