講師(宗夜)ブログ

2026-03-24 08:21:00

●あな雅び…の光と影

趣味で古今和歌集を読み込んで3ヶ月目となりました。

 

1月は高野切第一種

2月は 〃 第二種

3月は 〃 第三種

 

本来、古今和歌集には1100首の和歌が収められています。

ですが長い年月を経て、上記の本には切れ切れでまばら、所有者も様々であるものを集められるだけ集めてテキスト化されているのでした。

 

第一種と第二種にまとめられている和歌は、花鳥名月を愛でた美しいものでした。

 

梅、鶯、桜、紅葉、月…

仮名文字を追って、

現代語訳で頷いて、

もう一度仮名文字で味わう。

 

小さな机の上なのに旅にでも出ているような満足感。

玉手箱を紐解くような気持ちになります。

 

『本当のところは生きるのが大変だったから、敢えて綺麗なものを国宝にして遺したかったのだろう』

と宗嘉教授。

天災、疫病、そして謀略。

 

確かに

少しも気が安まりません。

 

第三種を読み出すと、第一種・第二種とは異なる風景が広がりました。

つらい…、悲しい…

気落ちした和歌に多く出会うようになりました。

 

世の中はなんて辛いんだ。

もう山に籠ってしまいたい。

涙に暮れ、不運を嘆く

そんな意の和歌を多く目にします。

 

でも不思議。

実際のところは悲惨だったのかもしれませんが、和歌になると穢れが薄れる。

。。。。。。。。。。

よのなかは

夢かうつつか

うつつとも

夢とも知らず

ありてなければ

 

世の中は

夢か現実か

現実とも夢とも分からない

存在していて存在していないのだから

(第942首)

。。。。。。。。。。

 

現実と認められないくらいにつらい事に直面したのでしょうか。

生と死が近い時代。

末法思想の影響か『無空無絶』にも似ています。

 

やまと言葉の三十一音になると幻想的で美しい。

つらさが何処かに去ってしまうようです。

 

雅びには光も影も…

影にさえ美を持たせんとする

ここにも何か大きな意図があるのではないだろうか…。

やはり心奪われてしまうのでした。

2026-03-23 17:09:00

●戦国時代、なぜお茶碗が褒賞になり得たのか?

お稽古後、生徒さんとお片付けをしていた時に大河ドラマの話になりました。

。。。。。。。。。。

大河ドラマ(豊臣兄弟)でお茶碗が出てきました。

『あ!お茶碗だ!』

と思ってちょっと嬉しくなりました。

。。。。。。。。。。

 

ご自身も茶道に関わっておられることに誇りを感じたご様子。

 

『お茶碗がご褒美だったんですね。でも蜂須賀小六には価値が分からなかったみたいですよ。』

ちょっと不思議そうでした。

 

確かに戦の褒賞がお茶碗というのは不思議です。

武士ならば土地が欲しいはず。

なぜお茶碗なのか。

おそらく二つの理由が存在したと思われます。

 

●一つには土地の割譲が難しかったのではないかと思います。

分けられるほど広大な土地がなかったということもあるし、簡単に譲れない事情もあったでしょう。

 

農民や平民も武装すると戦闘能力が高く、経済力も持つ自治区も多く存在しました。

気に入らない所有者には刃向かうことも多かったとのこと。

 

 

●もう一つは、武士独自の文化を確立して根付かせたかったことが挙げられそうです。

茶道、書道、香道、華道…

これらの文化は室町時代に幕府と五山寺院を中心に形作られていきました。

 

室町時代の初期…

鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇と足利尊氏のタッグは、建武の新政後に崩れます。

再び貴族に力を集中させたかった後醍醐天皇。

 

言ってみれば醍醐天皇リバイバル

(Re・醍醐天皇)

醍醐天皇は905年に古今和歌集(日本初)編纂の勅命を下しました。

後醍醐天皇もまるで倣ったように

1326年に続後拾遺和歌集の編纂を命じています。

 

後醍醐天皇の息子は後村上天皇

言ってみれば村上天皇リバイバル

(Re・村上天皇)

村上天皇は醍醐天皇の息子。

951年後撰和歌集(日本2番目)編纂勅命を下しました。

 

貴族文化を再興させたい南朝の気概が感じられます。

 

一方室町幕府は、北朝にて天皇を立てますが権威の基盤は危うく、周囲の認知も今ひとつ。

後醍醐天皇は大変な能書家(書道の才能に長けた人)で、崩御後にもカリスマ性がありました。

たくさんの親王を全国に送り権力奪還の機会を伺わせます。

 

そのような折、海外や大陸から流入した文化・科学・学術が、幕府のニーズ・ウォンツに合致します。

航路の開拓によって頻繁に現れた欧州の行商人たち。

中国の王朝変遷により拠りどころを奪われた知識人たち。

五山寺院が交流の場として力を発揮しました。

 

日本語も大きく変化。

二字熟語・四字熟語が多く用いられるようになり、経済や法律の発展に活かされました。

 

この頃に、和歌から禅語の墨蹟へと人々の関心が移ります。

鎌倉時代以後の新興仏教の広まりもあって理解しやすい念仏が庶民に浸透していました。

『もののあはれ』に代表される大和言葉では時代の流れに対応できなくなりました。

和歌集の勅命も1439年の新続古今和歌集が最後です。

 

『道徳』の概念を持つ文化の中心に『茶道』

戦国時代に侘び茶となり、五感をフルに刺激します。

 

味覚:懐石料理、菓子、茶

嗅覚:香木、練香、炭

視覚:墨蹟、茶道具、建築

聴覚:静けさ(禅に由来)

触覚:茶道具拝見

 

身分を問わずに開かれたサロン

・茶室は人々を魅了します。

 

時代の担い手は我ら武士である!

武の力だけではない。

財の力だけでもない。

武士独自の文化『茶道』を価値あるものに仕上げてゆくのだ。

我々の手で!

 

動乱の時代だったからこそ尊ばれた『静寂』

 

21世紀の今も相変わらず動乱の時代です。

お茶碗を手にするとき、静寂と共に武士の逞しさも感じるのは、このような時代背景を持つからかも知れません。

2026-03-20 20:04:00

●質問してもいい時間、いけない時間

先日、生徒さんがお稽古中に

『いま質問してもよろしいですか?』

とお尋ねくださいました。

その時は別の生徒さんが点前座で亭主としてお稽古されていたので

『今は〇〇さんの時間ですので、ご質問はお稽古の合い間か、ご自身のお稽古時間にいたしましょう。』

とお答えしました。

するとその方は

『はい』

と静かにお返事をされ、お点前さんがお稽古を終えられたのちにやはり静かに宗嘉教授にご質問されたのでした。

 

突然に質問を切り出さないあたりが、『さすが上級者』と周りに思わせ、『しっかり教育を受けてきた方』とも思わせます。

 

お一人お一人の時間は限られております。

まさにその時間のために皆さまはお代を支払っておいでですので、周りの方々へのご配慮もお持ちいただくよう指導しております。

 

その指導が社中に浸透しつつあった頃合い、宗嘉教授が御家元から功労賞を賜りました。

様々な情報発信を通して、よし庵の指導方針をご評価いただいたように思います。

 

ご質問…

たくさんおありだろうと思います。

茶道には600年の歴史があり、代を替えて大勢の人々が伝統を繋いできました。

当初は意味も理由もわかっていたものが段々と曖昧になっていくことは仕方のないこと。

また、初心者・中級者のうちは理由に囚われずとにかく覚えていくことが大切。

上級者以上になって余裕が出た時に

『そういえば、どうして?』

と疑問が湧くことも、同様に仕方のないことであります。

 

問いによって互いの学びが深まります。

お寄せいただいたことで新たな視点が見出され、茶道の輪郭が鮮やかに浮かび上がることもしばしばです。

その時間の共有こそが社中に帰属する喜びでもあります。

『そうだったんだ!』

と驚きの声が上がり、気持ちが温かくなる機会がよし庵のお稽古では何度もあります。

 

ただ、志はあるのにタイミングを間違えると疎まれる存在になることも…

 

数年前に、ビジターで奥伝お稽古にご参加の方がいらっしゃいました。

お稽古前の全体の挨拶が済むなり

『ちょっと質問良いですか?』

と真っ直ぐに宗嘉教授を見つめて強い口調で問われました。

(ああ、これか!)

頭を下げながら社中の生徒さんが合点が行ったと共通の表情をされたのでした。

 

『はい。ただ…後ほど、ご自身のお稽古時間内で宗嘉先生にお尋ねください。』

と申しますと

(あっ💦)

と何かに気付いたお顔をされました。

 

向学心を持つことは素晴らしいです。

向学心は自分の内側から芽生えるエネルギーそのもの。

よそから植え付けることは出来ません。

 

エネルギーはそのままにもう一歩。

ひと様の時間も大切にできる女性

になられたら、より素敵になられるだろうと思いました。

2026-03-02 20:57:00

●好きな先生を見つけること

何かを始めるとき、

長く楽しく続ける秘訣は、

好きな先生を見つけること。

ここに尽きると言えそうです。

 

『道』がつくお稽古では生き方が現れますので、好きではない人からの指導は身体が拒否反応を示します。

 

中でも、特に茶道はそう言えるかも知れません。

茶道の指導には大きく三つの段階があります。

①所作

②お点前

③こころ

 

①所作

生きる上でのところどころの作法が所作です。

立つ・座る・歩く

これらの作法を直すとは、

『赤ん坊からもう一度やり直す』

に等しく、未経験者・経験者問わずほとんど全ての人がムカッ💢とした顔をされます。

(私は大人です。子どもではありません。)

それを承知で講師も指導しています。

お茶碗はこう持ちます。(ムカッ💢)

襖はこう開けます。(ムカッ💢)

お菓子はこう食べます。(ムカッ💢)

 

だけど…

周りを見渡せば、ズラリと並んだ見目麗しい先輩方。

(本当だ。先輩たちもご指導通りに行っている。)

 

着物をセンス良く着こなして、

美しいけれども仰々しくなく、

静かで、いかにも賢そう。

 

これが大人の文化力。

認識が改まれば行動も改まるもの。

少しずつ所作が整います。

最初は反発していても、一年ごとに別人のように美しくなられます。

 

②お点前

『覚えた先の自分』を見せてくれる教室かどうか。

覚えることは何にせよ簡単ではなく、時間も労力も掛かります。

それでも『覚えたい』という意欲を教室が持たせてくれるかどうかが大切。

 

覚えたらどんな良いことがあるのか。

自分はどう変わるのか。

それはつまり、先輩方みたいになりたいかどうか。

最終的には先生みたいな人間になりたいかどうか。

 

なりたいと思えたら覚える時間も労力も全て楽しみに変わります。

見るもの触れるものへの愛着も増し、日々が色鮮やかなものに変わってきます。

 

③こころ

お点前を覚えて終わりではないのが茶道のすごいところ。

実は覚えたところからが

『始まり』なのであります。

 

覚えている最中は実に楽しくて、夢中になるときがあります。

『ゾーンに入る』状態が茶道にもあり、スルスルと頭にも身体にも染み込みます。

 

ところが…

人間は忘れる動物でもあります。

何もしなければ苦労して得た技術も廃れます。

(あれ?おかしいな…)

 

忘れたのか、わたしは。

ここに虚しさを覚えます。

絶対なんてものはこの世にはないんだ。

運動によって形状が維持されているだけの話で、運動をやめれば糸が解けるみたいにバラバラになってしまうんだ。

 

では結局

茶道って何だろうか?

 

ここで『こころを整えるお稽古』の登場です。

虚しさ・怒り・悲しみなど、ネガティブな感情にアクセスしないお稽古です。

 

赤ん坊の時

幼児の時

思春期の時

 

全ての感情にフルアクセスの状態でした。

楽しいことも容量いっぱい

悲しいことも容量いっぱい

経験を積むことが大切でした。

人生の前半で人間としての幅が出来ました。

 

でも大人になったら

フルアクセスはおしまい。

人間のストレージには限度があるのです。

 

これからは自分に相応しい感情だけにアクセスするお稽古です。

虚しいことは、あることはあるんだけど、

『私はそこにアクセスしないの』

と心に決めて、設定をOFFにします。

 

OFFにする設定に必要なのが前述の

①所作

②お点前

です。

 

美しい所作と、数々のお点前を覚えているうちに、虚しさが心の中で少しずつ小さくなってきます。

 

無くならなくても良いのです。

アクセスしなければ良いのです。

小さくなってカラカラに乾いた虚しさを見つめて『うん』と思う。

 

否定も肯定もしない。

自分がここにいる実感を楽しむ。

これが『こころのお稽古』

 

 

令和8年も春を迎えました🌸

皆さまがそれぞれに好きな先生を見つけられますように…

2026-02-22 15:59:00

●雅な語り口 ②

問答において、もう一つ大切なのが『柔らかい言葉遣い』です。

 

ここにこそ知性が現れるとよし庵では考えています。

 

茶室での問答は、決まり事だから行っているのではありません。

。。。。。。。。

美味しかったわ。

ありがとう。

。。。。。。。。

言の葉を

玉手箱にそうっと入れて

風呂敷に包んで

お相手に手渡す

 

こころを込めるとはどういう事か

茶道を通じて私たちは日々味わっているのだと思います。

 

作法だからお茶名を聞く、

という気持ちで問答をすると

『お茶名は?』

と、愛想なくそのものズバリを相手に問うてしまいます。

まるでボールを投げつけているような感じで攻撃的に受け取られてしまいます。

これでは輪の中に溶け込めず、仲良く茶の湯を楽しむ雰囲気が作れません。

 

大人になればなるほど、クッションが大切です。

それも、柔らかで品のある美しいクッションが望ましいでしょう。

 

問答の具体例を挙げてみます。

。。。。。。。。。

●香り高く美味しいお茶をありがとうございます。

ただいまのお茶名は?

 

●お湯加減の程よいお茶を美味しく頂戴いたしました。

この度のお茶名は?

 

●お練りのしっかりとした美味しいお茶をありがとうございます。

(間を置いて)お茶名は?

 

●鮮やかな緑色(りょくしょく)のお茶を、目にも美味しくいただきました。

(間を置いて)お茶名は?

 

●つややかなお練りの美味しいお茶をありがとうございました。

(間を置いて)お茶名は?

。。。。。。。。。。

 

お濃茶は上手に練らないと香りも艶も出ませんので、

『ちゃんと受け取りましたよ』

と問答の中で、亭主の誠意に感謝の心を伝えます。

すると点前や作法を超えた温かい空気が茶室全体を満たしてくれるのです。

 

・ただいまのお茶名は?

・この度のお茶名は?

などと、お茶名を聞く前に短い句を入れるのも優雅。

 

または、一呼吸おいてからゆっくりと『お茶名は?』と尋ねます。

 

お道具拝見の所望でもクッションを挟みます。

。。。。。。。。。

●どうぞ、お茶入れ・お茶尺・お仕覆の拝見を。

 

●恐れ入ります。

お茶入れ・お茶尺・お仕覆の拝見を。

。。。。。。。。。

 

どうぞ、とか。

恐れ入ります、とか。

 

このような句を茶室で頻繁に口にするようになると、茶室以外でもするりと口から出るようになり、人間関係が滑らかになります。

 

それまでは咄嗟に出る言葉が

『すいません』一辺倒だったのが、

『恐れ入ります』に変わった時、

相手から自分に向けられる視線が明らかに高くなったことにご自身も気がつくでしょう。

 

年齢を重ねても『オバサン』にならない。

重ねれば重ねるほど魅力の増す

『貴婦人』なのであります。