講師(宗夜)ブログ

2023-12-20 14:43:00

●不思議の国のアリスと茶道

宗嘉先生と話していると、

『まるで不思議の国のアリスの世界に迷い込んだみたいだ』

と思う時があります。

 

善とか悪とか

常識とか非常識とか

本当はそんなものは存在しないのだと。

人間が集団をまとめるために都合よく作り出したルールであって、その中に収まりきらない事象は本当は沢山あるのだと思わされます。

 

不思議の国のアリス

私は苦手なのです。

訳のわからない世界で頭が混乱します。

意味のない行動の連続

はちゃめちゃな会話

変なティーパーティ

ハートの女王に追いかけられたり

気味の悪い猫が宙に現れたり

 

だけどこの世界を無条件に楽しめる人たちもいて

『面白いじゃん』

とケタケタ笑っていたりします。

高校時代の友人が夏休み中に不思議の国のアリスを英語で読んでいて『面白いよ』と語っていました。

自分の子も小さい頃にこの話が好きでコロコロと転げながら笑っていました。

一方、私は子供の頃からちっとも楽しめないのでした。

子供の頃から理屈っぽいのでしょう。

可愛くない子供だったと思います。

 

あの訳のわからない世界を笑いながら本能で楽しめる性格になりたかったなぁ。

柔らかい性格だったら物事の感じ方がもっと豊かで楽しかっただったろうなぁ。

 

でも、そんな私も少しずつ茶道によって変わってきたように思います。

中級から奥伝に進んだ、最初のお稽古が

『行之行台子』

 

私からすると『行之行台子』は不思議の国の入り口でした。

お茶入は最初に天板の上にあるのです。

中級のお稽古までは、濃茶は畳の上でした。

天板の上に置けるのは薄茶器だけでした。

それまでに習った理論と違い過ぎます。

お茶入とお茶巾とお茶杓とお茶碗が全てお盆に載せられて天板の上にあって。

それらを一つ一つ下ろしていってお点前が始まるのです。

まるで白ウサギを追って穴に落ちてしまうアリスのよう。

地上から地下に潜り、繰り広げられるお点前。

白うさぎたちのティーパーティとも重なります。

火屋香炉は私には白うさぎの懐中時計に見えました。開けたり、閉めたり…。

役割は全然違うけど、材質が似ているし開閉の度に金属音がカチャリと鳴るところも似ています。

天目台はイカれ帽子屋みたい。

風炉の季節は終わったのに、風炉火窓正面を意識して、台子の地板にお茶碗を置いて、その天目台を清める。

まるで季節がアベコベです。

柄杓を仕舞う度に点前座と台子正面を行き来する亭主の姿は、白ウサギを追って右往左往するアリスみたい。

その度にカチャリカチャリと火屋香炉も鳴らすのです。

 

不思議の国のアリスは1865年にイギリスで数学者によって生まれたお話で、ルイス・キャロルが加筆修正を加えて出版されたそうです。

行之行台子は安土桃山時代に考案されたでしょうから、不思議の国のアリスよりも300年近く前に生まれています。

交わるはずのない文化ですのに、なぜだか共通のものを感じるのです。

『感知できない世界の描写』を文章ですれば

不思議の国のアリスになるし、

行動に移せば茶道の行之行台子になるし、

そんな風に思います。

 

人間はつい、感知できる範囲内が全世界だと誤解してしまいがち。見えない世界、聞こえない世界からの信号は信憑性に欠けるとして『怪しいもの』と忌む傾向があるように思います。

 

人を騙そうとする悪い人たちも現に存在するから注意は必要だけれど、自分たちの感知できている世界が非常に狭い範囲なのだという認識を持つことも大事なように思います。

 

人間が快適に生活できる範囲はごくごく限られています。

人体の塩分濃度は0.9%

血糖値は70mg〜140mg/dl

体内温度は37℃前後

見える範囲(可視光線)は下限が360〜400nmで上限が760〜830nm。

聞こえる音(可聴音)は20Hz〜20kHz。

 

こんなに狭い範囲で生きている。

であれば、

見えない世界、

聞こえない世界、

触れられない世界も

当然あるのです。

 

感知できない世界を理屈で証明することは出来ません。理屈で証明した途端に、違うものに変化してしまうからです。

『存在するものを存在するままに受け止めよ』

それが行之行台子からのメッセージだと私は思っています。

 

人間は3次元または4次元で生きています。

通常は3次元ですが、頭の中のそれぞれの記憶も含めれば4次元と言えるでしょう。

あの時はああだった。

この時はこうだった。

悩みの多い人は思い出に浸る時間がとても長いのだそうです。

宗嘉先生は、4次元から3次元に修正しなさいと所々で私たちに仰います。

頭の中の記憶ほど怪しいものはないのだと。

ほとんどが自分の都合の良いように書き換えられているのだから、と。

それぞれが、それぞれに都合の良いように書き換えて頭に仕舞っているのだから、過去の思い出に執着するのは時間の無駄、無益である、と。

 

そんな事よりも、もっと面白い、素晴らしい、ワクワクするようなことに目を向けなさい。

自分が先にワクワクしてしまえば、別の次元からワクワクしたものを引っ張ってくることができるのだと。

 

引っ張ってきて、引っ張られて…

アリスは目を覚まして元の世界に戻ります。

限りある時間を豊かにしてくれるのは、夢の方かもしれません。

2023-12-10 20:42:00

●野生の掟と右脳

時間のある休日。

一年くらい前から、たまに野生動物特集の番組を見ることがあります。NHKのBSの番組です。

何となく野生動物に興味が出てきたのでした。

 

宗嘉先生と古事記の話をしたのがきっかけでした。古事記ではスサノオノミコトが、様々な他の神様を簡単に殺してしまうシーンがあります。

そのたびに私は驚いて

『何も殺さなくても良いじゃないのよ』

と反発したのでした。

宗嘉先生に聞くとこのように答えられました。

。。。。。。。。。

それが野生の掟だから。

良いとか悪いとかじゃない。

人間だって本当は野生の掟からは逃れられないのだ。

。。。。。。。。。

 

野生の掟?

私は野生じゃないから分からないな…。

野生ってどんな生活をしているのだろう。

 

ある番組でツキノワグマの子育てを追っていました。

冬眠を終えた大きなクマ🐻が穴から出てくると、その後から小さな子グマが2匹ヨチヨチと這い出てきました。

ヨチヨチ…。かわいい!

坂を転げ落ちてコロコロコロコロ…

『あーーっ』と追う母グマ。

口に咥えて穴まで戻ります。

子グマは何度も穴から出て転がります。

お母さんも何度も坂を降りて子グマを咥えます。

大変だよねぇ、子育ては💦

でもお母さんグマは何だか嬉しそう。

子グマを連れて色々なところにお散歩に行ったり。大変だけど嬉しそう。

そんなある日。

高い木に母子3匹が登って寝ていました。

ある日を境に必ず高い木に登ってひっそりと寝るようになったとのことでした。

ちょうど繁殖期の季節でした。

大きな若いオスのクマが辺りをウロウロし始める季節でした。

オスのクマは子グマを見つけると食べてしまうのだそうです。

子育て中にはメスのクマが発情しないためです。

母子3匹はオスのクマを恐れて木に登っていたのでした。

だけれども、やっぱり見つかってしまいました。

木の下から鋭い爪を使って登ってくる大きな若いオスのクマ。

必死に子グマを守る母親。

ああ、でも…。

守り切れない。

崖を転がり落ちる小さな子グマ。

かわいそうに…🥺

かわいそうに…🥹

一番かわいい年頃なのに。

悲しみに打ちひしがれる若い母グマ。

かわいそうに🥲🥲🥲

 

と、思った次の瞬間。

『じゃ、行きましょうか❤️』

母グマは若いオスのクマを誘うように森に入って行きました。

 

なんと‼️

いま、つい今さっき。

自分のかわいい子が、その…その若いオスのクマに命を奪われたと言うのに。

アリなの❓それ、アリなの❓

もしこれが人間で法廷の場であったなら…

 

🔵検察官:あなたは自分から若いオスグマを誘って森に入りましたね?

🔴弁護人:異議あり!今のは誘導尋問です。

🔵検察官:質問を変えましょう。どんな目的を持って自分から森に入ったのですか?

🟡裁判官:被告人は質問に答えてください。

🐻母グマ:私は…

〜辺りが急に暗くなり、一人スポットライトを浴びる母グマ〜

 

🐻母グマ『私は野生の掟に従っただけです‼️』

 

以下、宗嘉先生のお言葉。。。。。

そう、自然は厳しいの。

だけどポジティブなの。

だってそうでしょ?

その母グマ、オスグマを憎んでないでしょ?

恨んでないでしょ?

『よくも…』なんて言ってないでしょ?

気持ちを切り替えて新しい生命を育んでいくわけでしょ?逞しいじゃない。

だから、ポジティブ。

右脳の世界。

。。。。。。。。。。。。

 

そうなのか…。

人間の世界には様々なルールがあるので、野生の掟は普段は目には見えない。

けれども

●強いものが勝つ

●状況は刻々と変わる

●変化に応じてすぐに行動を変える

という掟は人間社会でも変わらない。

 

『ひどい』とか

『あんまりだ』とか

『誰々のせいだ』とか

文句を言うことに時間を使わないで

『そういうこともある』

と受け止めて次の行動に移るという冷静さも時には必要だろう。

 

だからと言って簡単には割り切れないという気持ちも人間らしい優しさで、これが人と人とを繋ぐ絆ともなる。

野生の掟かぁ…。

母グマの後ろ姿から色々なメッセージを感じたのでした。

2023-12-10 16:05:00

●スレンダー美人、柄杓

柄杓の形。

頭がまん丸で大きくて…、かわいい。

と思うのは私だけでしょうか?

まん丸、かわいい。

竹の節の自然な形を生かして作られています。

裏側がすこし凹んでいるの、ここもかわいい。

体はシュッとスレンダーで、美しい。

柄の中心の竹の節が素敵なアクセント。

そして全体に竹の繊維が縦に走っている。

ここに成長の速さを感じます。

そして全側面が滑らかに研磨されています。

亭主が怪我をしないように角が丸くなっています。

作り手の優しい思いやりを感じます。

 

でも…

お道具の中で、最も頻繁に買い替えるもの。

それも柄杓。

落としてしまうことが多いからなのです。

頭が大きいのでバランスが悪い。

結果、落としやすい。

もちろん、わざと落とすような方は一人もおられません。

皆さま真剣にお稽古を行ってくださっています。

落とした際には申し訳ないと謝ってくださいます。

 

だけれども…

打ちどころが悪ければ一回の落下でヒビが入り使えなくなります。

それに、やっぱり柄杓がかわいそう。

頭から落ちてとても痛そう。

そして、お値段も決してお安くはないのが現実です💦

 

スレンダー美人をみんなで大切に扱いましょう。

柄杓を落とさないためには何に気をつければいいのでしょうか?

落とさないコツを3点にまとめてみました。

 

《柄杓を落とさないコツ3つ》。。。

①ターンする時の足の位置を迷わずに決める。

②左手首を直角に曲げて健水の上線を水平に保つ。

③静かに動く。上下左右に揺れない軸を整える。

。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

①ターンする時の足の位置を迷わずに決める。

足を進める時に一本の細い線を感じながら歩きます。足の親指と人差し指の間に、その細い線が一直線に走っている意識です。

ターンの時には、足をかぶせるように直角に交わらせるのが美しく回るコツです。

直進と直角の動きをすると畳も痛みません。

動きに迷いがないことで目線が泳がず、お顔の表情も引き締まって美しく見えます。

 

②左手首を直角にまげて健水の上線を水平に保つ。

手首を直角に曲げて床と平行にする意識を持ちます。体が動くのに合わせて水平を保つのは結構難しい技だと思います。手首の柔軟性が大切です。

おうちでこの動きを練習する場合には、少し深めのお皿にビー玉やピンポン玉などのボール状の物を入れて練習すると効果的です。

ご自身の体だどれだけ揺れているのかがよく分かります。

 

③静かに動く。上下左右に揺れない軸を整える。

これが最も難しいかもしれません。

揺れている人は、ご自身の揺れを感じないからです。軸を整えるのは簡単ではありません。

私は常に踵(かかと)をくっ付けるようにしています。何気なく立っているときも踵をくっつけています。それだけでも効果的です。

 

もしも根本的にご自身の姿勢を変えたければ、宗嘉先生主催の『茶道パフォーマンス』のご受講をお勧めいたします。

宗嘉先生は幼少の頃から武道に親しみ、合気道・空手の有段者です。

武道ではお稽古の前に必ず準備運動を行います。

怪我をしないように体と心に刺激を与えてギアチェンジをします。

安心、安全な日常から離れて『戦う身体』に変えていくのです。

武道は、武術の流れを汲んでいます。

現在、スポーツとして自己鍛錬のために存在している武道の数々は、江戸時代には武術として存在いしていました。

剣術から剣道が生まれ、

柔術から柔道が生まれました。

合気道は、沢山の流派の総合武術を親としています。

武術は戦場で実際に戦うための術であります。

生と死を分ける闘いです。

しかし、武士の世である江戸時代が終わりを告げると共に、武術は武道として精神哲学を有するスポーツへと変貌を遂げました。

スポーツではありますが、真剣勝負ですので何が起こるか分かりません。

準備運動は自分の体にも相手の体にも責任を持つことを教えてくれているように思います。

 

そのような視点で茶道を見ますと、柄杓の長い柄は刀の扱いから生まれた所作のように感じます。

おそらく無関係ではないでしょう。

 

安心、安全な現代の暮らし。

『でも本当はやっぱり、何が起こるか分からないんだよ。いつでも体と心を準備しておいてね。』

バランスを取るのが難しい柄杓の扱いは、そんな風に私たちに問いかけているのかも知れません。

平和な世に甘やかされ過ぎないよう気をつけたいものです。

 

柄杓。茶室のスレンダー美人さん。

扱いを極めれば、きっとご自身もスレンダー美人さん。

2023-12-01 22:36:00

●茶道に感じる武士の精神

茶道は小さな空間に宇宙の広がりを持つ香り高い世界。精神性豊かで、素敵です。

で、ありながら…

有無を言わせぬ実力世界でもあると、ところどころで感じます。

武士の世界、ちからの結集の場と感じる時があるのです。

 

知力、財力、政治力

 

知力。

知っているか、知らないか。

出来るか、出来ないか。

年齢、年数、学歴、社会的地位など意味をなしません。厳しい面であるのと同時に、とても公平で公正です。

でも、出来ても出来なくても…。

限られた時間を心から楽しむこともまた知力。

心を込めて茶を点てて、お相手を和ませる空気を作って、ひと時を美しいものにする

賑やかにワハハと笑って終わりにするのではなく、何かそこに学びを作ることで、お稽古の後も心を支えるエネルギーとなることでしょう。

 

財力

茶道はお道具が揃わないとお稽古が出来ません。

静かに並ぶお道具がその力を語っています。

良いものは、良い。

職人さんが命を吹き込んで出来た品々。

昔から連綿と続く技術に、心意気を感じます。

技術をつなぐのは人であります。

大変な思いをして人と品々を育てたのだろうと、お道具を見ると思うのです。

価格の高さはその労苦そのもの。

大切に大切に使いたいものです。

たくさんのお道具を揃えれば、それだけたくさんのお点前が出来ますが、どれだけ綺麗に使い続けているかも財力のうちかも知れません。

今度は教室側が生徒さまの心を育てなくてはいけません。

背景を深くご理解いただき、大切に扱っていただくことが、教室と生徒さまとの絆を意味します。

それもまた力と言えるでしょう。

 

政治力

知力、財力が十分でも、人が集まらないことには茶道は出来ません。

人脈作りはいつの世でも大切です。

特に目上の方々と上手く付き合うには、それなりの作法に則って行動する必要があります。

茶事の開催など、この政治力が物を言います。

大抵の社中においては、茶事の開催に全てをアウトソーシングしています。

宗嘉先生は懐石料理の師範ですが、大抵の茶道の先生はそうではありません。

そのために茶懐石料理を供することができる料亭を予約します。

予約する前に大切なのが、ご自身の先生にお伺いを立てること。まだ未熟であると判断されれば茶事の開催は出来ません。

茶事を開催することが出来るということそのものが、ある種のステータスです。

その後も、人選やお道具の種類、お茶、お菓子、お花、お花入れなど、全てにおいて毛筆にて会記をしたため、先生にお伺いを立てます。

人選においてはこの上なく細心の注意を払います。

水面下で様々に動いたのちに、最終的にご招待客に毛筆の書にて招待状をお出しします。

お茶事はお教室にとって、一年を通じて準備に奔走する本当に大変な行事なのです。

お客様も亭主の気持ちに誠心誠意で応えます。

一座建立

みんなでこの場を楽しみ、創り上げるのだという意味の禅語。素晴らしい言葉だと思います。

お茶事にぴったりです。

室町時代から続く茶の湯。

茶事に武士の精神を垣間見るのでした。

 

よし庵のお茶事では気の合う仲間と共に季節の移ろいを心から楽しんでいただけます。

宗嘉先生が懐石料理と和菓子の師範であること、お教室でありながら、必要な設いを備えていることで生徒さまとの心通うお茶事の機会を数多く持つことが出来ております。

 

皆さまには日常を離れた別空間にて、ご自身を解放させ、五感を研ぎ澄ませて、新たなるエネルギーを満たしていただきたいと願っております。

幾世を渡ってきた茶道の強さ。

美しさの芯となっています。

2023-12-01 20:29:00

●成功する法則『全て出し切る』

成功している人から共通して滲み出ているオーラがあります。

力の出し惜しみをせず全て出し切るオーラです。

宗嘉先生に茶道の教えを受け初めて今日に至るまで、感動しない日はありません。

『ここまで丁寧に教えてくださるのか…』と。

技術の出し惜しみをする姿を今まで一度も見たことがありません。

その時々でご存じのことを全て教え尽くしてくださいます。

 

書道の先生も同じです。

何度も何度も分かるまで、時に分からなくとも、

『いつか分かってくれれば良いから…』

と言って全ての情報を出してくださいます。

 

以前、英語の勉強をするために都内の専門学校に通っていましたが、その学校の先生も同じでした。

非常にお忙しいにも関わらず、質問には毎回丁寧に丁寧に答えてくださいました。

 

教育サービス業で成功するのは至難の業ですけれども、それぞれがそれぞれの道で成功なさっておられます。

 

講師となった今、私も持っている情報は全て出し尽くして生徒さまにお伝えています。

茶道は宗嘉先生の教えをそのままに。

着付けは新しい情報を得るたびに、または技術を改良するたびに。

しかし最初は全てをさらけ出すのは怖かったのです。

出し惜しみをしたい気持ちになりました。

すぐにアイディアが枯渇するのではないかと恐れていました。

 

ところが、

『出し惜しみしていると成長しないよ』

宗嘉先生に見破られました。

『出して、出して、出し尽くしてごらんよ』

。。。。。。。

持っているものは全て与えよ。

心が正しければ新しいものが天から降ってくる。

。。。。。。。

 

その言葉は本当でした。

出し尽くしてみると、新しい発見がふとした時に浮かぶのでした。

ですが、浮かんだそのままの物を出すのはダメみたいで、毎回改良が必要です。

実験のように何度もテストを繰り返し、これならば人に伝えられるだろうと完成度を高めます

努力しているその姿を、誰かが天から見守っていてくれているような、そんな視線を最近感じるようになりました。

 

今、この時。

宗嘉先生もお料理教室の試作を繰り返していらっしゃいます。

浮かんだアイディアをそのままを出さず、改良を繰り返して、プロとして相応しい品々へクオリティと高めていらっしゃいます。

 

成功へ導く神様から愛されるのは、そのような心根をお持ちだからでしょう。

素直で、誠実で、優しいという心根が技術の根底にあります。

 

その心根に気付き、感動し、感謝し、見習って努力する人が、次に成功する人となります。

講師業のみならず、どの業界でも、おそらく成功する人はきっとこのような心根を持つ人々でしょう。お顔の表情が穏やかで爽やか。

とても素敵だと思うのです。