講師(宗夜)ブログ
●諺(ことわざ)からの教訓
諺に『若いうちの苦労は買ってでもしなさい』というものがあります。
確かにその通りだなぁと思うようになりました。
しかし若い時分にはその意味は分かりません。
分からないどころか相手が悪いのだろうと思ったりもします。
それなのに上手く行かなかったことは、喉につかえた魚の骨のように時々チクチク痛み、忘れたくても忘れられません。
もしかしたら何かを自分に教えてくれているのかな、と思って自身を省みて行動を一つひとつ改めていくと、骨は自然に抜け、いつの間にか痛みも感じなくなるようです。
そうなるまでに数十年を要し、今ではすっかり良い大人。
そんな昨今、複数の新人生徒さまより、こんな風に声を掛けられました。
『悪いところがあったら、遠慮せずにビシビシ指摘してください。』
きちんとした作法を身につけたいのだ、という切実な思いがその言葉に込められていました。
お一方ではなく、複数の生徒さまより同様のメッセージを同時期にいただいたのでした。
人と人が向かい合うにはエネルギーが要ります。
そしてリスクも伴います。
ハラスメント意識の高い今日では尚更で、心の触れ合いを避ける傾向があるように見受けられます。
何となく平和に続く日々ではありますが、
『自分はこのままで本当に大丈夫なのだろうか?』
という漠然とした多少の不安を誰しも抱えているようです。
お稽古での注意。
茶室という擬似空間で、月に数回というお稽古回数だからこそ、気持ちが落ち着いて素直に聞けるという性質があると思います。
そしてもうひとつは適齢期。
若すぎると反発して身体に入りません。
年齢を重ねすぎると今度は諦めが入ってしまいます。
『実るほどに頭を垂れる稲穂かな🌾』
教えてくださいと頭を下げる姿から、実りの時期を迎えつつある青みの残る稲穂を連想しました。
お互いに精神を成長させるにちょうど良い年齢なのかもしれません。
いつか黄金色の実をたわわにつけ、気持ち良く風になびきたい。
みんなでそうなれたら素敵だと思います。
私どもがお稽古で一番大事にしていることが『集中力』です。
間違えても良い、スラスラと進まなくても良いから、ただひとつ集中してほしいと願っています。
集中力の低い方には『無駄口が多い』という共通点があります。
まずはこれを嗜めます。
また、他の生徒さまの間違いを講師に先駆けて指摘することも、控えていただいております。
お稽古をつけるのは簡単ではありません。
目の前に座る生徒さまの性格や、只今の精神状態なども加味してお稽古をしています。
敢えて間違いを見逃すことも多いのは、数年先の成長を見込んでのことです。
ご自身のお稽古に集中している方は、他の方に優しくて寛大でいらっしゃいます。
これこそが私たちが目指す集中力の極みであります。
過去に、講師のお稽古に度々に反発される生徒さまがおられました。
十分に人生の経験を積み、お許状も高いものを持っておられました。
宗嘉先生のご指導にも、他の教室との比較を交えて批判を繰り返されました。
足が痛いと怒ったり、お稽古代が遅れたり、お釣りを要求したりするので、注意すると『おお怖い』とおどけていました。
しかしある日
『どうして自分はこんなに孤独なのか。一体何をどうすれば良いのか?』
というメッセージが送られてきました。
『ふざけているように見えるかも知れませんが、私は真面目に努力しています。』
とメッセージが続いていました。
ご本人が仰るのだから間違いはなく、きっとその通りだと思います。
その方は性格が意地悪なわけではありません。親切で優しいところもたくさんおありでした。
お稽古代も支払わないわけではなく、問題にはなりません。
ご本人としては毎回一生懸命にお稽古をしているつもりでした。
でもこの文面の『ふざけているように見えるかも知れませんが…』というところに、全ての答えが表れていました。
ふざけているように見えてはいけないのです。
わざとじゃないから許してよ、というのは通用しないのです。
もう子供ではないから。
私たちも他の生徒さまたちも拒否はしませんでしたが、どうしても馴染むことが出来ませんでした。
学びには時期がある。
もう少し前に、ご自身の内面に目を向けて修正を加えていたなら、今とは違った生活を送られていたかも知れません。
諺(ことわざ)からの教訓が身に染みた出来事でした。