講師(宗夜)ブログ
●真之茶事
水無月の最終日曜日
よし庵にて真之茶事が催されました。
梅雨空の合間を縫うようにところどころで薄日が差し、ちょうど良い具合に腰掛け待合でのお時間と重なりました。
空模様を気にしながらのお茶事。
自然と寄り添う私たちの生活そのもの。
どんなお天気もそれなりの美しさがあることを気づかせてくれます。
よし庵での真之茶事は実に5年振り。
正式な真之茶事の流れそのままに行いました。
席入の仕方や炭手前までは同じ。
異なるのは炭手前の後に和菓子をいただくことです。
正午の茶事では茶懐石となるところ、真之茶事ではすぐに和菓子が供されます。
真之茶事では和菓子は七種。
(七種!)
すべて宗嘉先生の手作り。
七種の全てが製法が異なります。
と、いうことは…
お菓子を作る技術も、最低でも七種は身につけておかねばなりません。
亭主を名乗るには、大変な修練を必要とすることを和菓子が私たちに語りかけているようです。
宝石のように麗しい和菓子。
お写真はフォトグラファーの太田真弓さんが撮影してくださいました。
菓子(七種)・・・・・・・・・
◆練り切り「ぷちダリア」
◆蒸し菓子「浮島」
◆蒸し菓子「水無月」
◆焼き菓子「栗まん」
◆冷やし菓子「緑茶羊かん」
◆冷やし菓子「みるく水まんじゅう」
◆干菓子「琥珀糖」
・・・・・・・・・・・・
その場ですべて味わいたいところですが…
時間的にも難しいので、2〜3種をお選びいただきます。
残りは工藤の方で陰で箱詰めをして皆さまにお渡ししました。
その後に宗嘉先生による真之行台子のお点前の披露。
しんと静まり返ったお茶室。
皆さまの目が宗嘉先生の一挙手一投足に注がれます。
明瞭に道を照らしてくれる師は、世の中にそう多く存在しません。
限られた時間を惜しむように、皆さまは宗嘉先生のお点前をしっかりと目に焼き付けておいででした。
その余韻を味わいつつ、腰掛け待合に移動。
しばしの休憩を経て
精進料理、精進落とし、懐石料理、千鳥の盃と進みます。
。。。。。。。。
向附・・刺身こんにゃく
汁椀・・三色そうめん 青かえで麩 みょうが
煮物椀・・豆腐とかえで麩の信田巻き煮 春菊
香の物・・きゃべつのミルフィーユ
焼物・・さわらの西京焼き
向附・・鯛の造り 生野菜 胡麻だれ
椀盛・・結びキスの葛叩き 笹竹の子
預鉢・・牛肉の味噌和え
箸洗い・・へぎ青梅
八寸・・らっきょう漬け イカの一夜干し
。。。。。。。。。。
美しいお料理の数々。
旬の恵みを宗嘉先生が美味しく調理してくださいました。
いくつかお味の紹介をいたします。
《精進料理》
●向附:刺身こんにゃく
ん?イカ?と思ったらこんにゃくでした。適度な弾力と歯応え。
細切りのきゅうりと茗荷が酢味噌と添えられています。
薄切りのこんにゃくでこれらの香味野菜を巻いて酢味噌を付けていただくと、とても美味。
●汁椀:三色そうめん
やさしい味わいのお出汁に三色のそうめんが揺らぎ、つるりと喉をすべります。
茗荷の香りがアクセント。
●煮物椀:豆腐とかえで麩の信田巻き煮
豆腐?言われなければ豆腐とは気付きません。滑らかな舌触りは白身魚のすり身蒸し煮を思わせます。
青かえで麩を中心に、滑らかな豆腐が油揚げでぐるりぐるりと渦を巻かれ、その油揚げがたっぷりと旨みを含んでいます。
じゅわ〜と溢れ出すおいしさ。
●香の物:キャベツのミルフィーユ
きらりと光るネーミングのセンス。
程よくシャキシャキ感の残る浅漬けキャベツの爽やかなミルフィーユです。
若緑の色合いが美しく食感の楽しい一品でした。
《懐石料理》
●向附:鯛のお造り
丁寧な下処理にて旨みを引き出した鯛のお造りです。
生野菜と胡麻だれが添えられていました。胡麻だれには切り胡麻を使って食感と香りを際立たせています。
●椀物:結びキスの葛叩き
キスがこのように美しく結ばれているお椀を初めて拝見しました。
葛でつるりとお化粧されて中央に鎮座しております。
肉厚の椎茸が花笠のように添えられ、笹竹の子がお椀のバランスを引き締めています。
デザイン画を思わせる一品。
ふわり柔らかいキスの結び。
深い溜息が出るようなお椀でした。
宗嘉先生のお料理は素材の旨みを最大限に引き出しているものばかり。
手を加え過ぎず、優しいお味が身体と心をじんわりと温めます。
召し上がり終えましたら、腰掛け待合に移動し、少しの休憩。
その後に宗嘉先生による台子薄茶点前にて一服お召し上がりいただきました。
本式通りのたっぷりとしたお茶事。
大人になったなら本物を知っておきたい。
大人のための大人の時間でした。
●書道も武道である
先日、書道展に向けた特別稽古に参加してきました。
在籍している書道教室にて、仮名小筆の作品を出させていただくことになり、ご指導を賜りました。
いつもお教室に伺うときには、身が引き締まります。
ご参加の皆さまも同じ思いのようで、静かにお教室が開くのを待っていました。
ドアが開かれ、ドッと中に入り、それぞれがご自身のスペースにて早速に準備に入ります。
20名ほどの大人が一つの広間に集まっているのですが、まるで誰もいないかのような静けさ。
目の前の仕事に集中して、無駄口を叩く人は一人もいません。
30分ほど集中したあとで、ふっと空気が和んできて、静かなのに言葉を交わさないのに不思議な一体感が芽生えました。
工藤は小筆なので半紙に向かっていますが、皆さまのほとんどが大きな作品を仕上げていました。
全紙や、条幅と呼ばれる大きな紙に四つん這いになって向き合っておられました。
『じゃあ僕書きますんで、筆の運びを見たい方どうぞ』
先生からお声が掛かり、工藤も近くまで寄らせていただきました。
『ドン、と突いてここで筆を持ち上げて筆先を捻じる。次の足の着地点はここ。で、こうやって身体をひねって身体ごと書く』
(これが、書道か…)
驚きの連続でした。
武道ではないかと思いました。
またマネージメント能力も必要です。
『筆に含まれる墨汁の量を計算して、一字に掛ける時間を割り出します。紙に筆を下ろすギリギリまで、筆は床と並行を保ってください。
垂直にすると墨がどんどん下に降りてきますからね。』
(そこまで気を使うのか…)
すごい世界だと思いました。
工藤は小筆のお稽古をしています。
一時期に太筆にも挑戦したのですが、どうにも難しく。
太筆は座学のみとし、実践は断念しました。
太筆での技術が小筆でも使われるので、どちらも出来れば本当は良いのですが、時間と労力の兼ね合いもあります。
大人としての現実的な判断で、改めて小筆に集中することにしました。
私は手の平に収まる小さき世界を大切にしていこう。
気を取り直して自分の世界に入り直し、先生にアドバイスを仰ぐと
『この部分とこの部分の墨色の違いに気づきましたか?』
とのこと。
(んんんんん…?)
『こちらの方が少しだけ濃いでしょ?こういうところに気付いて』
(深い…。書道の海も深かった)
そして見渡せば、上級者のオーラの高さよ。
おそらくご参加者のほとんどが既に先生として地元でお教室を開いておいででしょう。
どなたもプロの風格をお持ちでした。
お使いのお道具も高価なものです。
まず第一に紙が高い。
安い紙は墨汁を弾きますので、本物の紙で練習しないと意味がありません。
高い技術で作られた大きな大きな和紙。
失敗したくないのが人情ですが、失敗を重ねないと上手くならない。
そのせめぎ合い。
墨汁も高い。
安い墨汁とは紙への浸透率が異なりますので、こちらも本物の墨汁で練習する必要があります。
高いけれども価値がある。
良いものを使うことで集中力が鍛えられる。
書道も、茶道も、着物も、みんなおんなじだなぁ、と思いました。
簡単に良いとこ取りは出来ない。
ここにも禅の精神が存在しました。
さぁ気持ちを込めて。
真之茶事の茶会記と、お献立の筆に向き合いますか。
茶人には茶人の書がありましょう。
●なぜこんなに厳しいんですか?
最近ご入会された生徒さまから、このような問いをいただきました。
以前に茶道の経験をお持ちです。
ブランクを経て、よし庵にて久しぶりに再開されたのでした。
『前のところではこんなに細かく言われませんでした…』
なぜこんなにも注意されなければならないのかとご不満でした。
。。。。。。。。。。。
茶道は600年の歴史を持っています。
安土桃山時代に形成されていますが、文化の根本には縄文時代や古墳時代などの古来の精神があります。
様々な宗教との結びつきもあり、生きる知恵が集約されています。
私たちはその教えをきちんとした形で皆さまにお伝えしたいのです。
。。。。。。。。。。。
そのようなことを畳に手をついて目を見てお話ししました。
いま分からなくても、いずれ分かって貰えればいいと思いました。
正直なところ、宗嘉先生も工藤も、この状態がさほど厳しいものとは感じていないのであります。
自身が何かを学ぶ時、厳しいところに身を投じるからかもしれません。
厳しい先生は、まずご自身のあり方に厳しく、その姿に感銘を受けて
『よし、この先生についていこう』
と心が決まります。
厳しいけれども光を持っている。
このような先生たちは、瞳の力が強く、体つきが引き締まっていて、動きに無駄がないことが特徴と言えます。
一方で、甘えたいという欲求が強い方には不向きかもしれないです。
そんな工藤ですが…
宗嘉先生にお会いする前には、お菓子のように甘く優しい先生についていました。
『良いのよ、良いのよ…』
と何でも許してくれました。
子育ての都合もあり、度々にお稽古をお休みしました。
『良いのよ、仕方ないものね』
再開すると、とても喜んでくださり、毎回お菓子のお土産を持たせてくれました。
お稽古にてお点前を間違えると、
『あら、ごめんなさい』
と先生の方から謝られて恐縮しました。
上にも置かない扱いで…
お菓子を食べて、お茶を飲んで…
これが『茶道』なのかな…
優しくしてはくださいましたが、いつまで経っても『茶道』というものが見えてきませんでした。
そのうちに通訳ガイドの勉強をして、日本という自国の文化や歴史、気候や産業を包括的に学び直しました。
大人になって初めて、自分を育ててくれた日本に愛情を持つようになりました。
茶道に対しても愛情を持ちたかったのですが、どうにも捉えきれずに苦しく思っていました。
そんなある時、先生に誘われて外部のお茶会に行きました。
先生と先生のお友達数名がご一緒。
新緑の美しい季節で、お気に入りの着物を着て、心が躍りました。
荷物を預け終えて、向こうにいらっしゃる先生に向かって駆け出しました。
『先生』と声を掛けようと思ったところで…
『工藤さんて〇〇なのよね…』
という先生の小さな声が聞こえました。
肝心の〇〇のところが聞こえません。しかしご不満を口にされたことは明らかでした。
『若いからねぇ。仕方ないわよ。』
と慰められていました。
自分は何かいけないことをしたのだと思いました。
でもそれが何なのか自分では全然分かりません。
それまで心がウキウキしていただけに、悲しい気持ちになりました。
別のお茶会などでも、自分の無作法をよその社中の先生から厳しく注意されることがありました。
どうも私は何かが違うらしい。
自分の何が間違っているのだろう。
日を改めて先生にお願いしました。
『先生、私の無作法がありましたら是非ご注意をお願いしたいのです。自分では分からないのでどうぞよろしくお願いいたします。』
先生はいつもと全く変わらない優しい口調で、
『そうね。そうしましょうね。』
とゆったり答えてくださいました。
優しくてニコニコしている。
でも…
でも…
そんな時に宗嘉先生に懐石料理教室でお会いしました。
『いつもは茶道教室をしているんです。一度ご参加ください。』
と声を掛けてくださいました。
そしてお稽古にて先生がお茶を点ててくださいました。
宗嘉先生のお茶はそれまで経験していたお茶とは全然違いました。
まず静寂。
呼吸に意識が向きます。
足の運び。
畳の上を滑るように白い足袋が進みます。
足幅はまるで測ったように均等。
空中で一瞬止まる茶筅の位置。
毎回同じ。
お茶碗を持つ親指の位置も毎回同じ。
宗嘉先生のご指導は、口調は優しいけれども揺るぎない茶道への熱意に溢れたものでした。
自分がずっと探していた道がここでなら見つかるかもしれないと思いました。
そして宗嘉先生を師として仰ぐ旨、お許しをいただきました。
よし庵が、お点前以外にも細々としたお作法に厳しいのは、工藤が身を以て恥ずかしい思いをしたからなのです。
きちんと先生について社中に在籍しているのにも関わらず、他の社中の先生に注意されることはとても恥ずかしい経験でした。
それでもあの時ハッキリと注意してくださったことには感謝しなくてはなりません。
まだ30代で若かったから注意してくださったのでしょう。
これが今の50代で同じことをしていたら、注意すら受けられず、人が寄り付かずに遠巻きにされて、もっともっと悲しい思いをしていたかもしれません。
知っているか知らないか。
身についているかついていないか。
これが非言語コミュニケーション
Non-verbal communication
言語よりもむしろ雄弁です。
それによって受ける待遇に差が出てきます。
一度身についてしまえば恐るるに及ばず。
正しい作法が身に付けば、服装も姿勢も言葉遣いも何もかもが変わってきます。
自信がつくからオーラも変わってきます。
よし庵は厳しいかもしれない。
しかし是非とも信じてついてきていただきたい。
私たちが信じる道。
ひとりでも多く共感していただけたらとても嬉しく存じます。
●ストレス
ストレスというものは、色々に形を変えて突然に身に降りかかってくるものなのだなぁ、と最近また思いました。
若い頃にもそれなりに悩みはありましたが、人生も中盤となると問題の深刻度が違います。
即行動が必要です。
対処の仕方によって結果も変わるので神経を使います。
『ああ、疲れた…』
山を越えたあたりでふと気が緩むと体調を崩してしまったり。
もともと更年期で揺らぎがちな体調が、精神的な負担により更に整いづらくなってしまう現状。
我が身に降りかかってようやく気がつきます。
朝ごはんの時にちょっとテレビを付けると有名な俳優が自身の病気を説明していました。
『一時期体調を崩して、病を抱えながら仕事を続けていました。〇〇はこんな病気で、こんな症状があって…云々』
共演者のちょっとウンザリした顔、顔、顔。
(あ、しまった)
と思ってテレビを消しました。
宗嘉先生がテレビを見るなと仰る理由は、こういうネガティブな情報に頻繁に触れてしまうからだなと思いました。
。。。。。。。。。。。
自分の辛い体験を詳細に説明する人のことを『劇場型ナルシスト』という。
こういう人は次から次へと悲劇を引き寄せる。
悲劇を披露することにより、人から注目されることに快感を得ている。ナルシストなので自分のことが一番大事。
他人の気持ちはどうでもいい。
関わらない方が無難である。
。。。。。。。。。。。
以前、宗嘉先生が色々なタイプの他人の分析をしたのを思い出しました。
先生の分析がこの方にもピタリと当てはまり、納得しました。
でも自分も調子の悪い時には、この方に近い行動を取っていたように思います。
不調時には、言動が大袈裟になります。
五感が利きづらくなるせいかもしれません。
目がかすみ、耳が遠くなり、触感も鈍くなり、味の伝わりも悪くなる。
(まるで水中にいるようだ)
と思ったことがありました。
その時は、声が無駄に大きかったと思います。そして何度も同じ話を繰り返し、味の濃いものを食べていたように思います。
そしてその生活が新たなストレスを生んでいました。
今回の不調はそこまでには至らずに済みました。
『道』と名のつく文化に触れているおかげでした。
大人になってつくづく思います。
生きるには信じられるものが必要であると。
だからいつの世も宗教が必要とされるのだとようやく実感しました。
茶道や武道、書道の基盤となっているのが『禅』です。
実践を基にして、自分の身体ごと悟りに近づく道のりを文化としています。
この道を進んでいて良かったと、今回はむしろストレスが人生の光の方に目を向けてくれました。
胃腸に負担をかけないように食事は控えめに。
キビキビ動いて静かに眠る。
ストレスはそう簡単には無くならないけれども、自分の道を大事にしていけば多分大丈夫。
誰かに『大丈夫だよ』と声をかけられるよりも、自分の内側から『大丈夫』と声が出せることの方が何倍も心強い。
畳の上で立ったり歩いたり座ったりしている奥に、このような強さを磨いていたんだなと感じたのでした。
●稲と日本人
『稲と日本人』
私の好きな絵本作家の一人
甲斐信枝さんの晩年の傑作です。
この絵本の存在を知ったのは7〜8年前。
通訳ガイドになりたてだった頃。
米についての勉強会があり、色々と資料を集めていた時でした。
甲斐信枝さんの新作だと知り、気持ちが踊るのと同時に驚きました。
甲斐さんは1930年生まれですので、出版時には85歳でした。
本を手にしてまたまた驚きました。
85歳にしてこの大作。
なんという中身の濃さ。
後書きを読んでさらに驚きました。
発案から十余年の歳月を掛けてようやく描き上げたというのです。
そのバイタリティに脱帽する思いです。
甲斐さんの人生を賭けて描いた最高傑作。
持てる能力の全てを注ぎ込んだ一冊と言えるでしょう。
取材から作成まで十余年掛かるのも無理はありません。
お米は一年に一度しか実を付けませんから、取材や研究にはどうしても時間が掛かります。
きっと甲斐さんは色々な地域に足を運び、お米の味の違いを知り、生育環境の違いを肌で感じつつ、何百枚も何千枚もスケッチしたことでしょう。
朝昼晩と様々な時間帯に出掛けて、一番説得力のある景色を求めて、色々な空模様の日に、何度も何度も現地を訪れたことでしょう。
私には田舎と呼べる故郷はありません。でも甲斐さんの絵からは郷愁を感じます。
日本人の遺伝子が懐かしいと思わせるのでしょうか。
絵本に書かれているのは、このようなものです。
・日本列島への稲の伝播の歴史説
・稲の種の歴史と野生稲の紹介
・栽培方法の変遷
・災害と稲への影響
(飢饉、台風、山瀬風、浅間山大噴火、水枯れ、ウンカの大発生)
・水不足の苦難を乗り越えた沢山の実話
・品種改良に挑んだ若者の話
・戦後に導入された化学肥料と、その影で消えていった在来種の話
・今も昔も変わらぬお百姓さんの心
・稲の花の詳細な説明
・現代のおいしいお米
・おいしいけれど災害に弱いのではと思われる心配の数々
などなど…
60ページ余に
詳しく詳しく書かれています。
電気釜のボタンひとつで、
便利にポチッとあっという間に炊かれてしまう、美味しいお米。
毎日毎食のお米に、これほどまでの厚みがあろうとは。
この厚みを、甲斐さんは何としても伝えたかったのだと思います。
豊かすぎる時代の私たちに。
甲斐さんは1930年生まれ。
太平洋戦争が終わった頃、15歳でした。
最も多感な年頃に戦争を経験し、その後の日本の変わりようを見て、一体どのようなことを感じていらしたのでしょう。
甲斐さんの目は、いつも身近な自然に注がれ、言葉は優しく穏やかです。
人間社会が凄まじい変化を見せる中、雑草や虫たちはただそこに存在し、ただ生きています。
甲斐さんの絵本には説教臭さはありません。
でも『稲と日本人』の最後に(大丈夫かしら…)と控えめに危惧が表現されていました。
危惧でありながらも
『でもまぁ、なるようにしかならないものね』
と、突き放した感じで締めくくられていました。
これが、生を掛けて自然と向き合ってきた人の悟りの境地なのだろうなぁと思いました。
この絵本を読んでから、以前よりもお米を味わっていただくようになりました。
お米に神性を抱くようになったのでした。
先日、私たちの動画にコメントをいただきました。
『美しい所作、和食の頂き方』
へのコメントでした。
●ご飯を小皿代わりにしてはいけませんか?
というご質問でした。
ああ、そうか。そういうご家庭もあるだろうなぁ、と思いました。
お母さんの気持ちとなれば、洗い物が少なくて済むし、ご飯におかずの味も染みるし、それが美味しく感じることもあるだろうなぁと思います。
ご飯の時間は、大切な家族団欒の時間ですから、作法通りが正しいとは限りません。
家族水入らずで過ごせる時間は、それほど長くありません。
ご家庭ではお作法はちょっと脇に置いておいて、お喋りに花を咲かせながら、心を解放して美味しく楽しく召し上がるのが一番です。
でも社会に出たら、大人になったら、是非とも美しく召し上がって頂きたいと思います。
ご飯の上におかずを載せる行為。
甲斐さんの絵本を読んだ後で、この画を目に浮かべると、とても悲しい気持ちになります。
悪気がないのはもちろん分かります。
昔、白いお米はこの上ないご馳走でした。
おかずを上にのせるということは、知らず知らずに私たちはお米を下に見ている心の現れです。
悪気がないからこそ悲しく思います。
美しい作法や体裁を整えることは、大人の世界ではとても大切です。
また、外見にふさわしい中身に整えることも大切なことです。
どうして作法が必要なのか
ぜひ皆さまも自分なりの答えを探っていただきたいと思います。