講師(宗夜)ブログ
●角出しと銀座結び
『よし庵では浴衣と半幅は避けましょう』と宗嘉先生と意見が一致した数年前、ほかの帯結びについても色々と考えていました。
角出しと銀座結びは茶道にはどうでしょうか?
今まで茶室でこの結び方をしている方を見かけたことはないけれども…
茶室にはどうなのだろうか?と思いました。
宗嘉先生にお聞きすると、私と同様『見たことはない』とのこと。
角出しは江戸時代に商家の女性が締めていた帯結びとされ、銀座結びはその角出しをやや簡単に結べるように大正時代に考案されたとのこと。
これらには様々な説があって、どれが正解なのかよく分からないのが私の正直なところ。
ただ共通していたのは
・カジュアルな結び方なので礼装には向かない。
・オシャレ着であるが、年長者に対して無礼という訳ではない。
ということでした。
『失礼ではないならば、お稽古の場では締めても良いのかもしれない』と思い、まずは自宅で試してみようと思いました。
そんなことを考えていたある日、地元のバスにてちょうど角出しを締めている女性に出会いました。
バスに乗り込み、後部座席に座ってふと前を見ると、角出しを締めている女性が一人席に座っておられたのです。
ス・テ・キー❣️
年配の女性で、白髪のボブカット。
着物はあずき色の夏物。
帯は、苧麻(からむし)に見えました。
ふんわりとしたボリュームのある角出しが、苧麻の魅力を最大限に引き出していました。
エアリーな素材感。
真夏にも関わらず、その女性は堂々として涼しげです。バスを降りると、やはり誇らしげに背筋を伸ばして街中に消えていきました。
街中で角出しを見かけるのは初めてでした。
ステキ、ステキ、私も結んでみよう❣️
苦労しながらも、完成。
ああ良いわ、角出し。
鏡の前であっちこっちを見回して大満足。
では少し休憩してお茶でも飲みにリビングへ…。
ググッ。
膨らんでいるところがドアノブに引っ掛かりました。
『え?なに?やだもー』
もう一度部屋に戻って形を直し、ドアノブを避けるようにしてリビングへ…。
ガサッ。
今度はドアの縁に角が当たって向こうへ押され、角の形が崩れてしまいました。
『またぁ?』
再々度部屋に戻って形を直し、自分の帯姿を観察すると、
『ああ、思っていたよりも角が外に出っ張っているのね』
これは一重太鼓や二重太鼓にはない形状です。
帯結びにより、自分の腰回りが、左右にも前後にも大きく膨らんでいるのでした。
どうやら正面突破は難しそう。
横向きから出るか。
カニさん歩きで用心しつつ廊下に出て、リビングへ。
やれやれ…。お茶、お茶…。
ボトッ。
突然棚の上のティッシュケースが落下しました。
また角が当たったようです。
振り向いて取ろうとすると、
ボトッ
今度は調味料(わさびのチューブ)が落ちました。わさび(未使用)で良かったー💦💦
椅子に座るも、かなり前の方に座らないと帯の形が崩れてしまいます。
こ、これは…。
無理ですな😢
どう考えても水屋で準備や後片付けなど出来そうにない。お道具を引っ掛けたら大変です。
電車に乗るのも難しそう。
他のお客様からクレームが出そう。
そもそも自分の部屋から一度で出られなかったし。
だから裕福な商家のお嬢様とか奥さまが結んでおられたのね。
身分制度の厳しい江戸時代。
裕福な方々はお勝手仕事などされなかったから、この帯結びが可能だったわけね。
なるほど、なるほど、と一人で納得していた時、もう一つ納得しました。
だから街中では見かけないんだ!
半幅で角出し風に結んでいる女性は今まで何度も見かけたけれども、袋帯での本格的角出しは滅多に見ない。
それはこのように扱いにくいことが要因だったのね。
と、いうわけで…
お稽古も含めて、お茶室では一重太鼓か二重太鼓でお願いいたします😊🤲
●浴衣と半幅
よし庵では、暑い時には洋装でのお稽古をお勧めしております。特に昨今の猛暑は、もう本当に凄まじいですよね💦
着物は皆さまへの負担も大きいので、無理せずに洋装でお越しいただくようにお伝えしています。
ただ、浴衣と半幅はご遠慮いただいております。
先ごろご入会された生徒さまより、その理由を問われましたのでこの場で説明いたします。
……………………………
《浴衣》
浴衣は湯帷子(ゆかたびら)に由来し、江戸時代には寝巻きでした。
江戸時代後期には、町々に公衆浴場があったそうで庶民でも日常的に使っていたとのことです。
石鹸はないので、米糠を晒しに入れたもので身体を洗っていました。
また、バスタオルなどもありませんので、小さな手拭いでちょちょっと体を拭いたあと、水分の残ったまま浴衣を着ていたと言われています。
ほてった体に浴衣を羽織り、肩には手ぬぐい引っ掛けて。夜風に後れ毛をなびかせ花火を楽しむ江戸男女の姿が目に浮かびますね。
う〜ん、粋です✨
現代では和服は遠い存在であり、浴衣もよそ行きのカテゴリーかも知れません。
浴衣であっても着るにはそれなりに技術も必要なので、『なんでダメなの?』と感じられるのも無理はないと思います。
ですが、元は寝巻きと知ってしまうと、茶道にはちょっと…、という判断が働くのです。
《半幅》
半幅は、街中の庶民や使用人が締めていた帯でした。普通の帯に比べると使う道具は極端に少なく、早くて簡単。
また、背中がコンパクトなのでお勝手仕事に持ってこいです。
貝の口や矢の字や吉弥結びなどは、横から見ると背中がぺったんこなので動きの邪魔とならずにクルクルと働けます。
半幅には他にも色々な結び方があってオシャレ。
街中で歩くのにはとても素敵です。
ですが茶道の場では、カジュアルな印象が強くて設えの厳粛さから浮いてしまうのです。
こちらも、元はお勝手仕事のための帯結びと知ってしまうと、お茶室にはちょっと…となります。
………………………
茶道は武家文化を背景とする芸術ですので格を重んじます。現代の生活からは馴染みがないため、最初は堅苦しく感じるかも知れません。
でも『格』を少し意識すると今までとは違う角度でものが見えるようになります。
根拠を得るので堂々とした気持ちになります。
これが大人世代の本物のオシャレなのかな、と思っています。
●夕去りの茶事のお献立
向附…すずきの薄造り
汁…赤だし味噌 さいの目豆腐
椀盛…かぼちゃととうもろこしのすり流し
預け鉢…夏野菜の胡麻和え
焼物…さざえのつぼ焼き
和菓子…抹茶みぞれ羹
宗嘉先生の心尽くしのお料理たち。
どのお料理も、お客様が口に運ばれるその瞬間に一番美味しい時を迎えるよう供されています。
赤出汁味噌汁のしっかりとした塩味は、暑さにより遠のきがちな私たちの食欲を即座に呼び覚ましてくれました。
さいの目豆腐はやや小ぶり。
柔らかな絹ごしの優しさそのままに大豆の味を赤みそに負けずに伝えてくれました。
すずきの薄造りは、まるでレースのよう。
透き通る美しさが涼を爽やかに演出。
余分は水分や臭みは一切なく、ほのかな塩味。
すずきの身の本来の旨みが凝縮されていました。
ああ美味しい。
目を瞑って美味しさに浸っていた時、生徒さまから声をかけられていたようでした。
『先生』
『………』
『先生!』
『あ、失礼しました😓』
『堪能されているところ、すみません💦』
ついつい仕事を忘れるほどの美味しさでした。
かぼちゃととうもろこしのすり流し。
朱の椀に映える、健やかなかぼちゃの色味。
その中央には海老が、これまた朱色の背をやや恥ずかしげに内側に丸め、オクラが励ますかのように添うています。
さっぱりとして喉越し爽やか。
甘くて冷たくて美味しいこと!
滑らかに喉をくだります。
丁寧に丁寧に漉されたかぼちゃの甘味。
海老もかたくり粉でお化粧されて艶やかなお姿。
プリっとした食感も楽しく、メインの貫禄たっぷりの一品でした。
預け鉢は夏野菜の胡麻和え。
シャキシャキとした歯触りの夏野菜を、クリーミーな胡麻が包み込み、脇役ながら存在感のある美味しさでした。
パプリカの赤、とうもろこしの黄、葉野菜の緑が、畑の元気を届けてくれました。
焼物はさざえのつぼ焼き。
先生肝入りのお品。
まず目を引くのがその見た目。
磯の香りそのままに、波の音まで聞こえてきそう。
ここは湘南。江ノ島もすぐそこ。
江ノ島の名物と言えば、さざえのつぼ焼きなのです。
宗嘉先生のサザエさんはとても上品な装い。
身は小さく、お箸で取りやすくされています。
歯応えがありつつ柔らかく。
そして苦くないのです。
女性に好まれるお味でございました。
和菓子は、抹茶みぞれ羹
お抹茶の羊羹と、みぞれに模した道明寺粉の羊羹の二層仕立て。みぞれ羹からは粒あずきがところどころで顔を出し、何とも涼しげです。
ぷるぷるとさっくりの中間くらいの柔らかさ。
水分量が絶妙で、楊枝にてお召し上がりいただけます。
山の幸、海の幸、豊かな日本の食を堪能できるお席でございました。
宗嘉先生のオリジナリティ満載のお料理。
懐石料理教室にて、ご自身でお作りいただけます。
プロのお味をぜひご家庭でもお愉しみくださいませ☺️🤲
●夕去りの茶事
文月後半の日曜日、よし庵にて夕去りの茶事が催されました。
会員さまの中には、オーストラリアからのご参加者もおられて、とても盛り上がりました☺️
生徒様はコロナ禍最中の数年前に私どものzoom茶道教室にご入会くださいました。
最初は午前中の初級・中級コースをご覧になられていたのですが、『私には難しすぎます😥』というお声をいただき、初級入門コースを立ち上げました。そして初級の資格を取得されて、その後に中級実践コースに進まれて、中級も取得され、ついには先ごろに上級の資格に申請したところであります。
最初のうちはお互いに手探りのお稽古でした。
お茶巾はこう畳みます…とか
茶碗はこう拭きます…とか。
カメラの向きをあっちこっちに変えてお稽古していました。
『お茶碗を拭いているうちにどうしても正面が向こうに行ってしまうんです…』
と悲しそうな顔をされていたので、
『ではナビしますので、私の言う通りに手を動かしてみてくださいね』
とお稽古をしたところ、
『あ、来た、正面来た。すごーい!』
と声をあげて喜ばれていた姿が今でも目に浮かびます。
一度などはミュートのままお稽古をしていて、それに気付かずに最後までミュートで通してしまったこともあります。
生徒様は画面の前で無音のお稽古にずっと付き合ってくださって、終わってから『ごめんなさい、ごめんなさい🙏』と私は平謝りしたのでした。
そんなお稽古の途中で、
『いつか会えたら良いですね。いつかお茶事に参加できたら嬉しいですね』
と頻繁に語り合っていました。
それが今回本当に叶いました。
お茶事の迎えつけのご挨拶にて、
『口に出したことは叶うんですね』
とお互いに涙を堪えながら喜びを噛み締めました。
夕去りの茶事は、主催者としては私たちも初めての経験でした。
最初は蝋燭に火を付けるのは怖く感じたのですが、実際に灯してみると和蝋燭の炎は優しい暖かさで安心感さえ感じました。
ゆらめき方が独特で、古の先人たちは長らくこの炎で生活していたのか、と思うと自分たちもその空間にタイムスリップしてしまったような不思議な感覚になりました。
ご亭主をしてくださった生徒さまは、実に慎重に手燭を扱ってくださいました。
お点前もスラスラと流れるようで実に素晴らしかったです。
ほの明るい茶室にて、亭主の集中力が客側にも伝わり、それぞれの意識が近づいてひとつにまとまる感じが何度もしました。
意識の糸が束ねられたり、ほどかれたり、を繰り返しつつ時が進んでゆく、そんな景色でした。
『和蝋燭の優しい灯火の中でのお点前は、いつものお稽古では味わえない不思議な感覚になりました…』
とご亭主がしみじみと仰っておられました。
『是非皆さまにもこの感覚を味わっていただきたい』と。
日々医療の現場に立たれ、人の心理状態に詳しい専門家でいらっしゃる生徒さまのお言葉です。
何かを肌で感じられて、優美さの根拠を得たような、不思議な満足感が言葉からも表情からも伺えました。
参加者の全員が、しばらく夢うつつの状態で、幽玄な空気に浸っていました。
今回の夕去りの茶事にて…
日常を離れて、ガラリと雰囲気を変える経験をすることは、とても大切だと思ったのでした。
どこか特別な場所に行かなくても、自分たちの努力で、空間をこれほどまでに大きく変えられるのだという経験は貴重でした。
体の中の新しい細胞が目覚めたかのような茶事。
これからもそのような茶事を心掛けて参りたいと思ったのでした。
●茶道のバックグラウンド
宗嘉先生の動画のうち、裏千家茶道とキリスト教との関係を解説したものがあります。
その動画をご覧になられた生徒さまから、このような質問を受けました。
『茶道って禅仏教から生まれた日本文化ですよね。それなのに他宗教であるキリスト教からも影響を受けているんですか?』
『ああ、そうですよね。普通はそう思いますよね。』
仏教は紀元前6世紀ごろに北インドで生まれたと伝わります。そしてお釈迦さまの死後、弟子などによって教えが徐々に広がり大陸を巡りました。
元々の土着信仰も巻き込んで独自の発展を遂げながら普及したと言われています。
そのうちの一つがシルクロードでキリスト教とも交わり『極楽浄土』という新たな発想を得ました。
それらが海を越えて様々に日本にも伝わり、仏教という形の中で間接的にキリスト教の概念も私たちの意識に根付いていったと思われます。
善悪とか、天国や地獄といった概念の土壌は、既に日本人の中に根付いていました。
それらが外国から来た煌びやかな人たちの口から流れると、新しい光となって瞬く間に人々を魅了していったのではないかと想像します。
ところどころで共通点があって、でも自分たちとは少し違った香りがする。
その塩梅が絶妙だったのではないでしょうか。
美しい抑揚を持つ外国語。
まるで何かのメロディのよう。
優しくて美しくて豊かな光の世界に、人々は希望を求めたのだと思います。
殺伐としてどうしようもない辛い世の中。
そういう時代を迎えると、人は『たった一つの絶対的な存在から丸ごと救われたい』という気持ちを持つものだと聞いたことがあります。
日本には八百万の神が棲んでいらっしゃるけれども、本当に辛い時には、あっちの神様、こっちの神様と願い別にお祈りする余裕は消えてしまう。
とにかく今の状態からどうにか私を救い出してもらいたい。お願いだから。
そういう気持ちで教典を勉強したり、お経や念仏などをとにかく一心に唱えるものだと。
為政者からすると、信仰はとても扱いが難しいことでしょう。言っていることは素晴らしいんだけど、為政者自身に注目が集まらないと治政ができない。自分のために喜んで働いてくれなくなるから税の取り立てが困難になる。
弾圧すればどこまでも抵抗するし、町は荒廃して世の中はますます乱れるし。
心の中まで統制は出来ない。
しかも信仰は世代を超越して伝わる。
知らず知らずに日々のルーティンワークに組み込まれていくから。
茶道はある意味、融和政策なのかもしれません。
『心の中で信じていて良いよ。でも「キリスト教」って口に出すのはやめてね。あと教会に行くのもやめて。赤ワインを飲み回しするんじゃなくて、茶室でお茶を飲み回しするならいいよ。』
救いを求める人間の気持ちは、どんな世の中でも絶えることはないのだなぁと思います。
子どもが高校生だった頃、唐突にこのように質問されました。
『人間に宗教は必要なの?』
(来た来た。ついにこういう質問が来た。)
成長を嬉しく噛み締めながら
『必要だよ。』
と言い切りました。
『ただし、宗教という形を取っていなくてもいいと思う。何か自分の気持ちを支えてくれるものがあれば、それがその人の宗教だと私は思っている。』
世の中は厳しい。
今も昔も厳しい。
人は誰もが不完全なのだけれど、大人になるとそれは許されない。完全を求められる。
または完全を目指すよう求められる。
誰から、とは言えない。
世の中から、としか答えられない。
だけど、人間はそんなに頑張れない。
限界があるから、失敗だって様々にある。
そんな時、
『それでも良いよ。失敗を経験することも成長だよ。』
と慰めてくれて忘れさせてくれて、明るい気持ちにさせてくれる存在とコミュニティが必要なの。
そういう場所を心に持てたら、それが幸せというものだろうなぁと思いました。
茶道はやはり救いの道なのだろう、と改めて思いました。