講師(宗夜)ブログ
●ネガティブはマイナスにあらず
宗夜🔴『今までナルシストやポジティブについて語ってきましたけど、ネガティブってどうなんでしょう?』
宗嘉🟦『悪くないよ、ネガティブだって』
宗夜🔴『悪くないんですか?』
宗嘉🟦『優しいんだよね、ネガティブの人って』
宗夜🔴『優しいのはポジティブなのでは?』
宗嘉🟦『優しさの質が違う』
ポジティブの人は理屈に基づいた優しさ。
ポジティブの人は、自分が前向きで能力も高いから、最短距離がすぐに見えて、その道筋通りに行動できる。
優しいし、頭も良いからちゃんと誠実に聞く。
でも共有はしない。
『そうかぁ、大変だね…』
と悩みを聞くけど、話が終わってバイバイしたら自分の仕事に移る。
ネガティブな人は違う。
ものすごく真剣に聞いて、自分も本人と同じくらい一緒に腹を立てたり、自分の人生の問題として共有してしまう。
話を聞いてもらっている人は、肩の荷が半分降りて気持ちが楽になることだろう。
そして『共有してくれてありがとう』と感謝される。
『ああ、困った!どうしよう💦』
と右往左往している時に、パッと手を差し伸べて助けてくれる人にはネガティブな人が多い。
傷ついて育ってきたから傷ついた人にとても優しい。ネガティブな人の一番の長所と言える。
だけど他人の問題を自分の問題にしてしまうから、いつまでも引きずってしまう。
そうなると日常のペースが乱れてしまう。
そういう役回りを幼い頃から負わされてきた。
宗夜🔴『幼い頃から?』
宗嘉🟦『そう。幼い頃から。そしてよく気が利くから、周りの大人もついついその幼児に甘えてしまう』
宗夜🔴『それはつらいですね』
宗嘉🟦『そう。つらい。だから…』
心の中で親を恨んでいる人が多い。
でも優しいから顔には出さない。
そしてまた自分を責める。
『自分の親を恨むなんて…』って。
本当は恨んでも良いんだ。
そして『恨んでも良いんだ』と腹を括って、あとは綺麗さっぱり忘れてしまうんだ。
宗夜🔴『うーん。忘れることが出来れば苦労はしないんでしょうけど…』
宗嘉🟦『そうなんだ。それがなかなか出来ないからまたつらいんだ。忘れるためには…』
自分の良いところに気付くことが大事。
優しいところはすごく良いところ。
その優しさは、傷ついてきたからこそ得られた優しさだということに気付くことが大事。
理屈では測れない、正論など何の意味も成さない、どうしようもない人のつらさなどを受け止められる優しさは、子供時代からの経験が作ったものなんだ。ある意味、財産と言える。
そしてすごく気が利く。周りを見てすぐに適切に動ける。これも財産。
自分の過去を肯定できれば、嫌な思い出も自然に消える。
『あれはあれで良かったんだな』
と思えた瞬間に消える。
日常の過ごし方としては…
自分がネガティブなものに影響を受けやすいということを認めて、極力関わらないようにする。
暗い話題のニュースもなるべく見ない。
そうすると精神が安定してくる。
宗夜🔴『心が安定すると、明るいものに目が行きそうですね』
宗嘉🟦『そうなるとポジティブの友人が増えてきて、日常が楽しくなるよ』
つまりネガティブも養殖ポジティブになれるということですね。
ネガティブはマイナスにあらず。
開拓する余地があると捉えるべし!
●養殖ポジティブ
光源氏と愛を語り合う多くの女性たち。
それぞれ才能や能力を持ち、男性を引き寄せる魅力にも恵まれている。
ところが最終的に幸せを得た女性はごくわずか。
宗嘉🟦『二人だけなんだよね、幸せになれたのは』
宗夜🔴『どなたなんですか?』
宗嘉🟦『花散里と明石の君。二人に共通するのがポジティブな性格』
宗夜🔴『あれ?ポジティブは大きな成功はしないんじゃ?』
宗嘉🟦『ここが面白いところで…』
ポジティブな女性は自分の力で大きな成功を生み出すことはしない。
だけれども成功が転がり込んでくる。
成功を掴み取ろうというガッツはない代わりに、優しくて精神が安定しているから、良い気が舞い込んでくる。
ポジティブな人は無理はしない。
自分の能力の限界も、体力の限界もよく分かっている。優しいから他人のものを奪い取ろうという野心もない。
そういう確実性と性格の良さが信頼に繋がり、
『この人ならば…』
と他人にはそう簡単に任せられない重要な仕事を受け持ったりする。
宗夜🔴『すごく賢いですね』
宗嘉🟦『そう。すごく賢い。いちばん賢い。だからさぁ、あの人たちもポジティブだったら呪われなくて済んだのに…』
宗夜🔴『誰のことですか?』
宗嘉🟦『夕顔と葵の上と、紫の上。やたらネガティブなんだもん…。』
先生が言うとまるで生きてる人みたい。
え?知り合い?
もしかして昔、つきあってた?
宗嘉🟦『ネガティブだからさぁ、六条御息所の餌食になっちゃったんだよ。』
宗夜🔴『餌食になっちゃうの?』
宗嘉🟦『なっちゃうんだよ、ネガティブな人は。ナルシストの餌食になっちゃうんだ。
私なんか、私なんか…っていうネガティブのジメジメした性格がナルシストの癇に障るんだ。』
宗夜🔴『ポジティブはいじめられないんですか?』
宗嘉🟦『いじめられない。ポジティブは一目置かれている。ナルシストはポジティブには敵わない。だからナルシストの光源氏も手玉に取られたんだ』
宗夜🔴『へー(°_°)』
ポジティブの清い精神は穢れ知らず。
ポジティブだって嫌なこともあるけれども、それは一瞬だけ。
『ま、いっか』
と受け流すのが上手い。
本当の本当に忘れてしまう。
光源氏は次から次へと異なる女性を愛していく。
瞬間瞬間で目の前の女性を本気で愛していて、邪念はない。
様々な才能を持っているから、何かキラリと輝くものを見るたびについつい足がそちらを向いてしまうのだろう。
なじられると、
『ごめんよ、ベイビー❣️』
と言って一応詫びを入れる。
でも心の中では反省しない。
(だってほら、僕って魅力的だろ。女性が放っておいてくれないのさ…。それが、僕なんだよ)
ナルシスト同士だと、仁義なき戦いに発展。
つまり六条御息所。
『よくも私のプライドを傷つけたわね!ボクちゃんのくせに!』
と絶対に許さない。
『夕顔とやら、随分と位の低い女性だそうな。そんな女に、そんな女にこのワタクシが負けるなんてーーー💢』
絶対に許さない。
聞けば独裁者にはナルシストタイプが多いそうな。
なんとなく納得。
ネガティブは、光源氏の詫びを真に受けてしまう。
ちゃんと謝ってくれたし…。
もしかしたら私の態度が良くなかったのかも…。
しかし光源氏は懲りない。
『ごめんよ、ベイビー❣️』
は、何度も何度も繰り返される。
『ベイビーじゃないよ‼️アンタこれで何回目よ』
それから反撃が始まる。
ネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチ……
光源氏ウンザリ…
(ふぅ〜、もう疲れちゃったよ。どうして分かってくれないかなぁ。しょうがない。また別の子と遊ぶか。)
しょうがないじゃない。
分かってくれようがくれまいが、遊ぶのである。
宗夜🔴『ポジティブは許せるんですか?』
宗嘉🟦『許せるんだよ、これが』
ポジティブだって嫌なものは嫌だけど、
『ま、仕方ないよね』で流す。
心の底から光源氏の言動に納得はしていない。
嫌なものはやっぱり嫌だけれど、じゃあ許せなかったらどうなる?
私はどうやって生きる?
ものすごく冷静に世の中を見ていて、腹を括っている。
心が広いという性格だけの問題ではなく怜悧な判断力が働いている。
右脳と左脳のバランスが取れていると言えそう。
・左脳で状況を冷静に判断。
この時代に女性が何の後ろ盾を持たずに生きていくのは不可能。
色々な女性と浮き名を流してはいるけれど、私の前で他の女性の話をするわけでもない。
我慢できる範囲内に収められている。
・右脳で幸福感を感じる。
光源氏とは目には見えない信頼関係が結ばれている。共有できる世界観がある。
今、目の前に光源氏が居てくれて、私はとても幸せである。今が幸せであるならそれで良い。
宗夜🔴『欲張りじゃないんですね』
宗嘉🟦『そこ!そこなんだ。欲張りじゃないんだよ、ポジティブは。だから成功するんだ』
欲張りは成功できないんだ。
ここだけはどんな性格の人もポジティブを真似しなきゃいけない。幸せになりたいのだったら。
元々の性格を変えることはできないけれども、言動を改めることはできる。
言動を変えれば生き方も人生も、中身が変わってくるんだ。
幼児期(5歳まで)にこれらの性格は決まるんだ。オーブンで焼かれたケーキのように。
型に流されてオーブンで焼かれたケーキは、もう形が変わらないでしょう?
その時期に両親がとても仲が良く、特に母親が心身ともに満たされて子どもと接すると、その子どもはポジティブな性格になる。
ポジティブな思い出が多いから、それらが層のように重なって、前向きで思いやりのある性格になる。
だったらナルシストもネガティブも、思い出を全てポジティブなものに書き換えて記憶してしまえばいいんだ。
人間の脳の記憶はかなりいい加減で曖昧だから、本当に書き換えが可能なんだ。
ただ、書き換えには時間と労力が掛かる。
記憶はすぐに元の型に戻りたがる。
それを承知の上で、根気よく努力して一つ一つ書き換えた人だけが幸せを手に出来る。
そうなると…
ポジティブだろうが、
ナルシストだろうが、
ネガティブだろうが
もう関係ないのかもしれませんね。
自分なりの幸せを見つけることが出来れば、みんなポジティブですね。
天然ポジティブは無理でも、養殖なら可能かも。
めざせ、養殖ポジティブ❗️
●ナルシスト・ネガティブの陽
怪しげな呪文ではありません。
宗嘉先生が分析した私の性格です。
え〜、なんか面倒くさそうな性格。
って私か…(;´д`)
そうかぁ、そうだなぁ、確かになぁ。
宗夜🔴『良いんですかね。この性格のままで』
宗嘉🟦『良いわけじゃないけど仕方ない』
宗夜🔴『変わらない?』
宗嘉🟦『変わらない。』
宗嘉先生によると、人の性格は大きく分けて3つに分かれるとのこと。
・ポジティブ
・ネガティブ
・ナルシスト
そしてそれぞれにまた、ポジティブとネガティブがあり、更にまた陰と陽があるとのこと。
宗夜🔴『そう言えば性格ってどうやって決まるんですか?』
宗嘉🟦『親!』
宗夜🔴『親…』
宗嘉🟦『と、環境』
宗夜🔴『で、もう変わらない…と』
宗嘉🟦『成人したら変わらない』
宗夜🔴『ナルシストで、ネガティブで、なんて言われると、私このさき大丈夫?と心配になるんですけど…。大丈夫なんですか?』
宗嘉🟦『大丈夫。自分の失敗するクセをよく分析すれば大丈夫。』
宗夜🔴『えぇ〜、ポジティブが良かったー』
宗嘉🟦『ポジティブは…』
ポジティブは一見よさそうに思うかもしれない。
前向きだし、優しいし、好かれる。
性格が良いから敵を作らない。
ただ、その代わり大きな成功もしない。
本人が大きな成功を望んでいないから。
優しいから人が寄ってきて、人から頼りにされて、人の世話を焼いているうちに自分の成長のチャンスを逃してしまう。
成長するための時間とエネルギーを知らず知らずのうちに人に奪われてしまう。
でもそれで良いと思っている。
だってポジティブだから。
宗夜🔴『ポジティブな人の心の中は平和で幸せそうですね』
宗嘉🟦『幸せだね。ポジティブだから』
宗夜🔴『ネガティブは?』
宗嘉🟦『ネガティブは…』
ネガティブは、自分はダメな人間だと思っている。
『そんなことないよ』と言われても、
『いいえ、ダメなの。ダメなのよー』と言い張る。だけれども本当は『そんなことないよ』と言い続けてもらいたい。
宗夜🔴『うわ、めんどくさ…』
宗嘉🟦『そう。めんどくさい。だから最終的に人が離れてしまう。』
人が離れると『ほらね、私ってやっぱりダメな人間でしょ?』と言ってまた自分の殻に閉じこもる。
こういう人と付き合うには、褒め過ぎないこと。
評価するということは、誰かと比べていることだから過剰に反応する。
親が過干渉だったり、過保護だったり、逆に放任主義だったりするとこうなる。
宗夜🔴『過保護と放任は、真逆じゃないですか』
宗嘉🟦『真逆ながら本質は似ている。親は目の前の自分の子どもの将来を本気で考えていない。その時々の感情で可愛がったり、突き放したりしている。一貫性がない。』
宗夜🔴『ネガティブの良いところを挙げるとすると?』
宗嘉🟦『危機管理能力があると言える』
粗探しをするのが上手い。
捉え方を変えれば危機管理能力が長けているとなるだろう。
完璧なものはこの世にはない。
完璧はあり得ないと思っている。
人にしろ、仕事にしろ、必ず欠陥を持っている。
業務の遂行を妨げるほど深刻なこともある。
ネガティブな人は、ネガティブなものに反応する。見逃さない。
要注意人物や案件をいち早く見つけ出し、具体的な対策を考えて講じることができる。
宗夜🔴『ナルシストは?』
宗嘉🟦『ナルシストは…』
ナルシストは、自分第一主義。
関心があるのは自分『だけ!』
宗夜🔴『いたたまれない気分なんですけど…』
宗嘉🟦『いや、それも悪くない』
自分の成長を自分が一番喜ぶ。
だから人からの評価を当てにしていない。
褒められようが、けなされようが、良いのよ私は、これで。と思っている。
褒められれば『当然でしょ』と思うし、
けなされれば『あら残念。あなたには私の良さが分からないのね。』となる。
自己評価が本来の自分の力と適合していれば、良い結果に繋がる。自分よりも優れた人を正当に評価して、その人の言うことを素直に聞き、更なる成長につながる。
適合していない場合にはアドバイスも褒め言葉も無意味。『私はすごいのよ、黙って私の力を見なさい』となる。
宗夜🔴『あらあら、本気で心配になってきましたよ』
宗嘉🟦『大丈夫。心配しているということは自分のことが外側から見えているから』
宗夜🔴『見えていない人は?』
宗嘉🟦『自分をナルシストと認めない。だから成長できない』
宗夜🔴『ところで源氏物語の登場人物に、先生の性格分析を施すとどうなります?』
宗嘉🟦『まず、光源氏はナルシスト。でも良いナルシスト』
出た〜ナルシスト❗️
そしてナルシストっぽい〜‼️
源氏物語の登場人物の性格分析は、よし庵の茶事にて宗嘉先生が詳しく詳しくお話しています。
ほんの少し、後ほどのブログで紹介いたしますね。おたのしみに…☺️
●東洋的思想と西洋的学問
宗嘉先生との会話で、頻繁に話題に上るのが
『陰陽五行』『風水』『兵法』などの東洋的思想に基づく理論です。
先日の会話もこのような感じでした。
宗嘉🟦『僕たちのような講師業はオーラを高めて水魚(すいぎょ)にならなくてはいけないんだ。』
宗夜🔴『水魚(すいぎょ)…?』
宗嘉🟦『そう、そして』
『木魚(もくぎょ)の生徒を伸ばす』
宗夜🔴『木魚(もくぎょ)の生徒…?』
宗嘉🟦『うん。だって木は水を吸って成長するでしょ?』
宗夜🔴『はぁ…、まぁ。』
水魚(すいぎょ)…
木魚(もくぎょ)…
っていったい何?
宗嘉先生の理論は、いつも唐突に始まって唐突に終わります。
『🟢🟢って🔸🔸でしょ?だから●●なの』
え?え?待って待って。
なんで🟢🟢が🔸🔸って言い切れるわけ?
だけれども先生は待ってくれません。
先生の思考の速度が早過ぎるのです。
『だから、●●なの!』
何ですか、それ⁉️
よくわからないんですけど…
このような会話が、先生と出会ってから今まで、とにかく絶え間なく続いてきました。
疑問は疑問のままです。
先生は言います。
疑問は疑問のまま胸に持ち、見えてくるまで待っていなさい、と。
これが東洋的思想のようです。
東洋的思想は理論ありき。
西洋的学問に慣れている私たちは、『なぜ?』と、つい疑問が湧いてしまう。
西洋的学問は疑問を持つところからスタートします。客観性を重視するからかも知れません。
陸続きの国家間では、紀元前から常に争いが絶え間なく起こってきました。
己の正当性と大義名分を主張するためには、客観性を持つことが重要だったと思われます。
仮説を立て、実験を繰り返し、その平均値などを採用して話を展開し、証明して、理論を打ち立てて結論に至る。
ところが東洋的思想は、もう形が出来上がっていて、即結論。
世界を大きな一つのかたまりと捉えている様子。それを内側へ内側へと学びを進めているみたいです。
西洋的な学問は逆で、外へ外へと拡張していき、自分たちの住む世界がどういったものなのかを外から捉えようとしているみたいです。
常に探索しようとしているみたいに見えます。
中世には大海原に乗り出し大後悔時代を経て制海権を得、20世紀初めには空に飛び出して制空権も得、20世紀中頃には宇宙にも出ました。
そして学問はどんどん細分化していきます。
細分化するから進化のスピードが早い。
そして細分化した先に、『あれ?この学問とこの学問、すごく似てるんじゃない?』ということがままあり、東洋人から見れば『そりゃそうだよ。もとは一つなんだから』という理論で片付くということがありそうだと思いました。
これが東洋と西洋との感覚の大きな違いなのかもしれないな、と思いました。
現代の日本人は、複雑な歴史の関係からか、東洋的思想に触れる機会を失っていました。
明治6年(1873年)にフランスを模範とする学制(学校制度)が定められます。
その後の改正や、太平洋戦争での敗戦を経て、教育システムも教育内容も大きく変化したと思われます。東洋的なもの、日本的な感覚から遠ざかってしまいました。
江戸時代は庶民は寺子屋における、読み書きそろばんで、生活に密着した勉強をしていました。
優秀な人材は、藩校や私塾などで専門的な高等学問を学んでいました。
それらの教育機関の全てで東洋的思想の学びを進めていたとは言えないかも知れませんが、生活に役立つ知恵は詰まっていたのではないかと思います。
その知恵の背後には、実は東洋的な高度な理論があるように思います。
先日、ブラタモリで足利学校のことを放送していました。軍師の多くを輩出していたと言っていました。
足利学校では『易』についての教えを施していたとのことです。
これこそ東洋的理論と言えそうです。
かの武田信玄公も足利学校出身の軍師を欲していたという書状を紹介していました。
ん?じゃあ、あれか…。
三方ヶ原の戦いでの武田軍の陣形も、もしかしたら有名な軍師によるものかも知れないのか。
あの陣形は強そうでした。
『どうする家康』での三方ヶ原の戦い。
家康をおびき寄せて待ち受ける武田軍。
陣形は鱗型の逆三角形をしていました。
逆三角形の鋭い頂点が幾重にもズラリと並び、徳川軍を睨みつけているようでした。
この大河ドラマの時代考証は戦国時代のスペシャリストであられる小和田哲男氏とのこと。
陣形は史実通りだと思います。
東洋的思想のすごいところは、即結果を出すところにあります。
『🟢🟢って🔸🔸でしょ』
と言い切る結論の思想。
迷いが生じる隙がない。
そして戦いの場で、勝敗という形ですぐに結果が出てしまいます。
疑問が湧く余地もないのかも知れません。
疑問が多く湧いたのは、自分が幼いからなんだなと思いました。
世界は及びもつかないほど複雑で難解。
理解できないことの方が多い。
そう思うと理論を素直に受け入れられるようになります。疑問を疑問のまま胸に抱えても嫌ではなくなりました。
不思議なもので人間関係も上手くいくようになり、無理な努力をしなくても、お点前も自然と頭に入るようになりました。
『気の流れが整ったんだね。』
と、宗嘉先生から声をかけられました。
東洋的思想は心の中もお見通し。
『心の中も宇宙だからね。』
若い頃にはうさん臭く思えていた東洋的思想。
西洋的学問を一通り学び終えてみたら、実は非常に優れた最先端科学であることがわかってきました。
地学、気象学、物理学、経済学、天文学、医学、心理学…
あらゆる学問を包括してしまう理論。
面白いかも、東洋的思想。
あまりにもゆっくり進むから、若い時はそのゆっくりさに耐えられなかった。
今はゆっくりな方が心地よい。
ゆっくりと思想を味わう。
茶とともに。
●和を以て末広がりの人生を
末広がり
良い言葉だと思います。
豊かな人脈を作れたなら日々の生活に張りが出て楽しいでしょう。
ところが大人になってみると友人を作ることはなかなか難しいもの。
大人になればなるほど本音と建前の関係が複雑になるからです。
建前だけだと堅苦しくて、いつまでも仲良くなれないし、本音だけだと衝突します。
大人になってから肉親との関係が悪化するのは、状況が変化しているにも関わらず、双方が本音を通そうとするからかも知れません。
素の姿を知っている以上、建前は意味を成さず、その結果、新しい関係を構築しづらいのかもしれません。
人は一人では生きられない。
誰かと関わっていたい。
ところが、近すぎるのも面倒だし、疎遠になるのも寂しい。
人と仲良くなるためには、ある程度自分の本音を出して、相手の本音も受け入れて、常識を踏まえつつ、建前も残しておく…
という高等な技が必要なのかもしれません。
文章にすると余計にややこしくなってしまいました💦
ところで人間には性別があります。
女性と男性。
異性からとても人気がある女性が一定数いらっしゃいます。
『モテる』女性です。
モテるって何だろう?
今更ながら改めて思う時があります。
私の幼なじみにやたらとモテる女性がいました。
小学生の頃からモテました。
いや、幼稚園の頃からモテました。
中学、高校に上がるとモテ度は加速。
美人な上に成績も良く。
彼女と目が合うと、男性はそれだけで恋に落ちるようでした。
同級生、上級生、下級生、学校の先生、塾の先生。
言葉も交わさぬのにコロリ、コロリと落ちる。
大学生の時も、もちろんモテて。
就職してからも、もちろんモテて。
彼氏が途切れることなく次々と現れていました。
今の彼氏と別れるのを待ち、スタンバイしている次の彼氏が常にたくさんいました。
はぁー、すごいんだねぇ。
私には摩訶不思議な世界だと感心しました。
当時、母に話すとこう返ってきました。
『いいのよ。人間は中身が大事なのよ。』
その会話を宗嘉先生に話したら
『だって励ますしかないじゃん。』
なぬ❗️少し口を慎しまれよ。
『どうする家康』見過ぎの結果↑
一体この差は何なのだろう。
私はモテない。
モテた試しがありません。
いいんだもーん。興味ないんだもーん。
(うっすらと涙💧)
そうやって触れないようにして生きてきました。
しかし、しかしである。
やっぱりモテる方が人生楽しいのではないか!
と思うようになりました。
動物の世界に目を移してみましょう。
・孔雀は、なぜあんなに綺麗な羽を持っているのか?
→モテるため
・鶯はなぜあんなに綺麗な声で鳴くのか?
→モテるため
・エリマキトカゲはなんであんなに派手に速く走るのか?
→モテるため
みんな、みんな、モテるため。
そうだったのかぁーーッ!
でも私たちは常識を持った大人女性。
ここからは『モテる』という単語を
『人気者になる』という単語に置き換えて話を展開したいと思います。
異性を惹きつける女性は、同性を惹きつける魅力も同時に持っています。
その魅力とはこのような点が挙げられます。
・清潔である。
・おしゃれである。
・荷物が少ない。
・時間に正確である。
・ひとの話を静かによく聞く。
・TPOをわきまえている。
・自己アピールしない。
・質問が少ない。
・問い詰めない。
・優しい。
・正直である。
・フォローが上手。
・笑顔がかわいい。
こんな感じでしょうか。
いかにも仕事の出来そうな女性像。
そして全体的に『受け身』の印象。
相手の情報や力を引き出すのが上手なのです。
相手の力を引き出して受け止める役割が女性に期待されているからと推察します。
前述の、孔雀も鶯もエリマキトカゲも、モテるために努力しているのは全部オスです。
オスたちはものすごい努力をしています。
鶯などの鳥たちは、小鳥の頃から父親にさえずり方を聞かせてもらい、英才教育を施されているのです。そして常に練習を積んでいます。
必死です。
しかし必死に努力しているのはオスであります。
『女性は必死になってはいけない』
と生物学を修めた宗嘉先生は言うのです。
『よし、来い!』などと必死に受け身をしようとしても、相手は引いてしまいます。
スルーされてしまいます。
オスはオスに警戒するからです。
そして女性からも警戒されてしまいます。
『仲良くしましょ』と友好的に近付いたのに
『あんたじゃないわよ』と噛み付かれてしまったら…
もう二度と近付けなくなります。
これは寂しい。
せっかくの人生です。
末広がりでいきましょう。
出来る限り、全方位に。
人脈の核となるところを『和』としたなら、そのつながりは優しく穏やかなものになるように思います。
茶を喫んだり、
和菓子を作って一緒に楽しんだり、
懐石料理を習って家族を喜ばせたり、
着物を着て姿勢を整えたり。
定期的に習い事に通えば、顔を合わせる人と親しくなります。
同じ興味を持った人同士の集まりです。
きっと心が通じることでしょう。
静かに永く穏やかに…
和を以て末広がりの人生を送ってもらえたら。
そして私自身もそのように送りたいと思います。