講師(宗夜)ブログ
●よし庵の懐石料理教室はエキサイティング
よし庵の懐石料理は・・・
『魂を込めている』
と先生が仰る通り、見た目も味も素晴らしいものばかり。
先生は仕事をしながらも合間を見つけては、日夜研究を重ねているとのこと。
魂が込もっている分、当然熱も入ります。
『工藤さん、次これ』
『はい』
『5分後にこれ、その次にこれ』
『はい』
『そしたらこっち』
生徒さまへの作業の説明をし、デモンストレーションをし、実践してもらい…、90分。
『あぁ…できた。』
明日のジョーのように燃え尽き、椅子に沈みこむ、私。
ところが一口、お料理を含むと…
復活〜ッ‼️ o(≧▽≦)o
『うわぁ、美味し過ぎます!』
生徒さまとその美味しさに目を見張っても、先生はいつもの仏のような表情を崩さず。
『フッ』と笑い、
(だから美味しいって言ったろ)というような面持ちで黙々と召し上がっておられる。
『ごちそうさま』
(早ッ…)
『茶室の準備してるねー』
『なんかすごいですね、宗嘉先生。いつもああですか?』
『いつもああです。』
エネルギーが次から次へと湧いてくる感じ。
しかしこの感じ。私は既に知っている。
これはどう見ても幼児の頃の息子と同じ。
あの頃の子どものパッションとそっくりです。
パッションは大事だなぁと思います。
心に浮かんだことを、浮かんだ時に、浮かんだままに実現したら、何か素晴らしいことが起こるのではないかといつも思っていました。
子どもには小さい頃からお料理を教えていました。将来一人で暮らす時に困らないように。
パンが好きだったのでよく家で一緒に焼いていました。
幼稚園に通っていたある日、息子が言いました。
『パンちゅくりたい』
その時、もう夜8時でした。
お風呂も終え、夕ご飯も終え、片付けも終え、あとはのんびり何するかな〜と思っていたところでした。
『えぇ〜、お母さんもう疲れちゃったよ。明日にしようよ〜。』
『ううん、ううん、ちゅくる!ちゅくる!』
かぶりを大きく振ってぐずる息子。
もー、何それ…。
可愛いじゃん‼️
『だったらちゃんとお片付けもするのね!』
『うん、やるよ!』
『眠いって言っても寝かさないよ』
『うん、いいよ!』
『よし。作ろう!』
そうとなると盛り上がるのはこっちの方で、
『クルミ入れちゃおうか?』とか
『レーズンも加えちゃう?』とか
『多めに作って明日の朝も食べよう』とか
どんどん拡張してしまう。
(ハッハッハ〜!なんかすごく楽しい!😆)
そして焼けたのは9時過ぎ。
紅茶入れて(子どもは牛乳)、焼きたてパンを味わう。
じーん…。美味しい。
『ああ、美味しいねぇ。息子ちゃんの言うこと聞いて良かったわ。ありがとうね』
『でしょー❣️』
育児書を開くと、夜寝る3時間前には食事は済ませるようにと書いてある。
わがままを聞き過ぎないようにと書いてある。
専門家の言うことだから間違いはないと思う。
だけれども、『夜にパンを焼きたい』という息子のわがままはこの日一度限りで、もう二度となかった。
当の息子は忘れているだろう。
むしろ私の方がこの思い出に癒され、時々宝石箱から取り出して懐かしく眺めることがある。
あの頃の子育て楽しかったなー。
と、いうような思いを先生といるともう一度、今現在でも味わえるのです。
『幼児の波動は高いんだよね』
と先生は言います。
幼児が楽しいことをしている時には雑念がないそう。だからなのか、私には子どもが天使に見えました。
先生からも同じ清らかなものを感じます。
次から次へと湧き出るアイディアとエネルギー。
夢追い人、宗嘉。
効率重視の現場マネージャー工藤とは、たまに意見の相違もある。でもそれは夢実現に向けてのプロセスなのであります。
一口食べるだけで元気になれるのは、先生ご自身がエネルギーに溢れているからかも知れません。
そして滋味深い。
身体と心に沁み渡る食材の生気。
真剣な調理時間。
美味しさを最大限に引き出すため、計量やタイムの管理には直向きです。
大切な人との時間をゆっくり味わっていただきたい。どこかに食べに行くのもいいけれど、ご自宅で、ご自身でそのような作ることができたらこの上ない幸せだと思います。
よし庵にてお料理の腕を磨いていただけたら。
幼児のような楽しい気持ちでウキウキと😊
皆さまのお越しを毎月第4火曜日にお待ち申し上げております😌🤲
●3/26(日)源氏物語茶事ご報告
3/26(日)源氏物語茶事が開催されました。
総勢8名さま。
この度初めて顔を合わせる方々も多く、待合での自己紹介は大いに盛り上がりました。今回が初めての茶事経験となる方々も多かったのでした。
お点前は経験豊富な生徒さまにお願いしておりました。
『久しぶりの続きお薄で、あまり自信がなくて。どうか皆さまのお力添えをお願いしたく…』
と仰ったところで
『た、助けられない…』
と、入門されて1年未満の生徒さまが仰ってドッと笑いが起き、この一言でみんな心から安堵した様子でした。
(私だけじゃなかった。良かったー🤭)
『みんなで助け合って楽しみましょう😊』
と結束しました。
みんなで頂く茶懐石料理の味は最高でした✨
《茶懐石料理のメニュー》
向附・・あじのみどり酢和え
煮物椀・・粟麩のオランダ煮 ほたるいか ふき
預鉢・・海老とうどのアボカド和え
焼物・・鰆の木の芽焼き
汁・・とろろ昆布の吸い物
菓子・・道明寺桜もち
特に皆さまからご好評いただいたのが、鰆の木の芽焼きです。
ふっくらと柔らかい鰆は、ほんのり塩味。
木の芽の香りが口いっぱいに広がります。
そして和菓子は桜道明寺🌸
桜あんを中に納めた道明寺です。
道明寺粉のつぶつぶの大きさが絶妙でした!
つぶにより生まれる食感のリズム。
桜あんと相まって春のハーモニーを奏でます。
その後に千鳥の盃。
茶懐石のハイライトと言えましょう。
よし庵ではお酒を供することはいたしておりません。形だけとさせていただき、作法の説明と共に宗嘉先生が燗鍋を持って回ります。
その後、しつらいの拝見を経て腰掛け待合に下がり、炭手前、続きお薄のお点前となりました。
よし庵ではお膳をゆっくり召し上がっていただきたいという配慮から、炭手前は続きお薄の直前とさせていただいております。
この会では炭手前の立候補がございませんでしたため、宗夜がいたしました。
そしていよいよ、生徒さまによる続きお薄のお点前となりました。
お正客もお次客も、茶事が初めての生徒さまでした。お二方とも、とても緊張なさったとのことですが誠実なお人柄が滲み出ていて、茶室全体が優しい雰囲気に包まれました。
生徒さま同士が教え合って助け合って温かい茶事となりました。
初級の生徒さまのお隣にいらした中級の生徒さまが、
『ここで干菓子を召し上がると良いですよ』
とアドバイスくださり、お菓子を取る作法も同時に教えてくださっていました。
宗夜はどうしても水屋から離れるわけにいかなかったため本当に助かりました。
お点前を終え、送りつけのご挨拶にて…
皆さま口を揃えて、先輩生徒様の続きお薄のお点前の素晴らしさを述べられておられました。
『あんな風に自分もお点前をしたい…』
先輩の美しい所作と優しさ溢れるお点前に心打たれたとのこと。
先輩の方も、後輩生徒さまの心の清らかさに触れ、同じように感動されたご様子でした。
しつらいの拝見を終えて、もう一度広間にお集まりいただき、宗嘉先生の源氏物語のお話を楽しみました。
平安時代のお茶と、平安時代の和菓子。
光源氏、夕顔、六条の御息所、葵の上、若紫…
(ああ、私にも似たようなところあるかも…)
宗嘉先生が本当に伝えたいのは、男女の恋愛を超えた、女性としての美しい生き方。
反省してほしいわけではなく、ガツガツと前のめりになってほしいわけでもなく、もちろん無気力になってほしいわけでもなく…
1000年前の女性のモデルを解説することで外側から自分を見つめられたら、それでもう悩みは半分解決したようなものだと言います。
湘南藤沢、弥生の末の昼下がり。
午前中はしっとりと雨模様で始まったお茶事も、午後には晴れ間が差して参りました。
皆さまのお顔も晴れやかで、共に時間を過ごせたことに幸せな気持ちでいっぱいになりました。
皆さまご参加ありがとうございました。
●3/21(火)懐石料理教室ご報告
3/21(火) 10:00より
よし庵にて卯月の懐石料理教室が催されました。
春らしい5品のお料理がテーブルを彩りました。
《卯月の懐石料理》
・鯵のみどり酢和え
・ひげしんじょ
・海老とうどのアボカド和え
・菜の花の辛子漬け
・よもぎ麩の西京味噌仕立て
この日は新鮮な鯵をまず三枚に下ろすところからスタートしました。
鯵のみどり酢和え🐟
『うぅ…、難しい…』
生徒さま苦戦。
分かります。難しいですよね💦
私もお魚を捌くのは不得意で、頑張ってー!と応援していました。
鯵の薄切りを胡瓜と茗荷でさっぱりといただきます。また味付けが絶妙。胡瓜🥒はいつもよりもお化粧してよそ行きのお顔。
『こんな風に胡瓜をお料理したことなかったわ』
と生徒さまも驚きの表情でした。
ひげしんじょは、具沢山!
お椀の中にこんもりと盛られて、口に含むと柔らかくほどけます。千切りした数々のお野菜をおひげに見立てています。
材料の比率にヒミツあり!
それぞれが主張し過ぎず一つの味にまとまっていました。生椎茸の豊かな香りが鼻腔をくすぐり、大満足の一品。
海老🍤とうどのアボカド和え🥑
もー、これは間違いないでしょ!
ええ間違いございませんでした😆
その中でもプロの細かい技が随所に光ります。
菜の花の辛子漬け
宗嘉先生が作る菜の花は、そんじょそこらの菜の花ではございません。
お料理前の最初のひと手間が大事。
こんなに違いが出るんだ!と驚きました。
食材に対する愛情がなせる技と言えるでしょう。
よもぎ麩の西京味噌仕立て
西京味噌の甘く濃厚な味わいに、よもぎの香りがぴったりの一品。
よもぎ麩の上に桜をあしらって春満開です🌸
10:00に始まって、11:30過ぎに終了する、よし庵の懐石料理教室。
ノンストップの90分。
ちょっと忙しいけど充実しています。
『本当に全部作らせてもらえるんですね!』
生徒さまが目を輝かせて感想をおっしゃってくださいました。
全部皆さまに作っていただき、全部召し上がっていただきます。
女性好みの食材チョイスと優しい味付け。
量もちょうど良く、香りも豊かです。
それは風水師としての顔を併せ持つ宗嘉先生が、広い視点で献立を考えているから。
是非ぜひ、よし庵の懐石料理教室においでくださいませ。
感動を全身で味わっていただけると思います😊
●やっぱり練習あるのみですか?
先日、初炭のお稽古をしていた時に、生徒さまから掛けれれた言葉です。
管炭と割管炭を背中合わせにして火箸で持つところ。ここは本当に難しいです。
はっきりと明言できるほどのコツはありません。
それを確認するように生徒さまが仰ったのでした。
『やっぱり練習あるのみですか?』
私は嬉しく受け止めました。
『練習あるのみ』という言葉は、いま現在練習を重ねている人の口からしか出ません。
練習を重ね、ある程度の効果をすでに実感している人から出る、大人の言葉だと思います。
習うより慣れろ
という諺があります。
その通りかもしれないなと思います。
私たちは教室を運営していますから、『習いながら慣れろ』と上書きしたいところですけれども…
この諺は、日本各地に残る伝承文化とも大きく関係しているように思います。
何かを伝承して時間を過ごすことに、心の平和を得る気質が日本人にあるように思います。
土から離れて暮らしても、この精神性はそう簡単には変わらないのかもしれません。
なぜ日本各地には独自の伝承文化が生まれたのでしょうか。
土地々々には、それぞれの地を守る神様がいらして、私たちはその神様のもとで暮らしを営んでいるという考え方があります。
農に根差した考え方です。
江戸時代は260の藩があり、それぞれが独立国家でした。
農の力は、藩の力に直結します。
収穫量が国家歳入です。
その時代には、トラクターなどありません。
田植えも収穫もすべて人力が頼りです。
田植えは、村人総出の大事な作業。
一直線に、リズミカルに手早く作業を行う必要があります。植え付けが曲がると日当たりにムラができたり茎が倒れやすくなったりと収穫にも影響するからです。
リズムを取るため、気持ちを盛り上げるため、『田楽』が生まれました。
都市部に暮らす私たちには及びもつかないほど、田楽に懸ける気持ちは真剣なものであったろうと思います。
収穫した作物は、幕府に上納する分、地元民の食べる分、他の藩に売って外貨を稼ぐ分、災害時に向けて備蓄する分へと振り分けられます。
昔はダムなどなかったので、災害時への備蓄はとても大事な役割を持っていたことでしょう。
万が一、備蓄が間に合わない場合には、他の藩から輸入しなければなりません。
弱みにつけ込んで米価を釣り上げる輩も多かったそうです。
幕府から『釣り上げぬように』とお触れも出ますが、現場ではどれだけ守られたでしょうか。
甚大な被害時には、中央幕府から『お救い米』が出されます。しかし動きは遅いでしょうし、後々の政治にも影響が出るからなるべく借りは作りたくありません。
天候に左右されやすく、虫害も受けやすい、農。
何とか今年も無事に収穫を…と神へと祈りを捧げる形が神楽となりました。
季節ごとに祭りが催され、村人は互いの絆を確かめ合います。
そのような時に芸能が大きな役割を果たします。
各地の伝承文化はこのような背景で生まれました。
次世代に大切に伝えられる芸能。
そのような背景で『習うより慣れろ』という諺は生まれたのではないかと、私は想像しています。
教える世代は、次の世代に手取り足取り根気よく教えたと思います。
それなのに『習うより』という言葉から始まるのはどうしてなのだろう?
私は疑問に思いました。
『とにかく言われた通りにやってみなさい』
ということかなと思いました。
やっているうちに分かってくるから。
分かるまで続けてみなさい。
そういうことなのかな、と思いました。
教える立場になってみると、この諺に実感が伴います。
生徒さまから様々な質問が飛び出す気持ちもよく分かります。自分もそうだったから。
だけれども、物事はあまりに深すぎて、説明し切れないことも多いのです。
例えば着物では、素材によってコツが変わります。技術ひとつでは太刀打ちできません。
袷や単衣や薄物など、季節ごとにコツが変わります。
染め方、織り方によっても変わります。
紐ひとつ変えただけでも変わります。
年齢を重ねると体型が変わるので、そこで新たなコツが必要になります。
人によって骨格も筋肉の動き方も可動域も異なるので、当然コツも変わってきます。
『分からないことは聞きなさい』
私たちは学校教育でこのように教え込まれます。
子ども時代はそれでもいいかもしれない。
子どもだから仕方ない。
何もかもが初めてだから。
しかし大人になったなら、子どもの頃ままの性質を通すことには無理があると言えるでしょう。
失敗を挫折を経験し、世の中のことをようやく肌で感じられるようになった大人世代。
自分の力ではどうにもならないことがあることも事実。
一方で、努力を続ければ少しずつ良くなることがあることも現実です。
『練習あるのみ』
生徒さまの口から出たこの言葉。
生徒さまはご自身の幸せを見つけて、育てていらっしゃるのだなと思いました。
その気持ちを共有できる仲間を見つけらたこともまた幸せです。
よし庵はいつも幸せで満たされています。
●お稽古前の静かな時間
よし庵ではお稽古前の時間も大切にしています。
各々がご自身の準備に集中している時間で、不必要なお喋りをしている生徒さまは一人としておりません。
私、工藤も火起こし器を扱っているため、とても集中しています。
静かにそれぞれが確実に準備を進めています。
最近は主たる生徒さまがほぼ上級者となられたので、新しくご入会された生徒さまの準備など、お手伝いもお願いしております。
慌ただしい準備を終えて、ひとしきり静かな時間を味わってからご挨拶をし、お稽古を始めます。
静と動の気持ちの切り替えを上手に行えるような教室にしたい。ずっと思っていました。
そう考えるきっかけとなったのが、10数年前に見た映画『鬼に訊け』です。
『鬼に訊け』は、鬼と呼ばれた伝説の宮大工、西岡常一氏のドキュメンタリー映画。
西岡常一氏は、昭和55年に薬師寺の西塔を再建されました。
木の声を聞き、山を知り、土を知り、研究に研究を重ね、人心を束ね、困難を超えて再建に辿り着きました。
自然や先人を敬う謙虚な姿勢にとても大きな感動を得たのを覚えています。
中でも特に心に残ったシーンが、数名の宮大工が一言も発せずに大きな木材を抱え、黙々と作業をしているところでした。
そこに西岡氏のアフレコが重なります。
『誰も何も話しまへんやろ。次に何をやるのか、みんなちゃんと分かってますから声を掛け合う必要がないんですわ。』
このような言葉だったと思います。
人間は本当に集中した時には声が出ないものなのだ、と西岡氏は続けました。
みんな心が繋がっている様子で、神々しさを感じました。
誰の心にも雑念がなく、光に向かって一つの塊となって進んでいるように感じられました。
自分もそうなりたいと強く思いました。
そのような心持ちで仕事に向き合いたいと思いました。また、同じ気持ちを共有できる仲間を作りたいとも思いました。
ふと気付くと、その夢が叶っていました。
映画を見てから10数年。あまりにも時間が経っていたため、夢を思ったことすら忘れていました。
『夢とはそういうものだ』
宗嘉先生から言われました。
本当に叶えたい夢は、一旦忘れるのもだ。
いつまでも考えているのは夢ではない、執着だ。
夢から離れて、忘れて、自分を立て直して、
その夢に相応しい自分になった時に、気がついたら叶えられているんだ。
自分が夢を選ぶのではなくて、夢が自分を選ぶようです。選ばれる人間にならないと夢は叶わないというのです。
よし庵での静かな時間。
皆さまそれぞれの光に進める時間となりましたらとても嬉しいです。