講師(宗夜)ブログ

2023-05-15 21:00:00

●茶室の白い雲

茶道を楽しんだ人たちは、茶室に森羅万象を再現したかったのだろうといつも思います。

そして最近、茶道は化学とも近いのではないのかと思うようになりました。

きっかけは、湯気です。

釜から沸き出す湯気。

釜を熱する時の熱源の違いによって湯気の形が変わることに気がつきました。

 

湯気の形には美しい時と、そうでない時があります。

一番美しいのは、炭手前によって綺麗にお炭が組まれた時。

蓋の間から勢いよく噴き出して竜巻を起こします。螺旋を描いて立ちのぼる龍のような白い雲。

しゅんしゅんと湯の沸く音も心地よく。

茶室に音の波が流れます。

そして柄杓で湯を汲むと、柄杓は花のような白い雲をまとうのです。

それらは一瞬で消え、また新たに沸き上がり…。

茶碗に湯が注がれると、白い花は茶碗に移り、しばらく留まり続けて空を舞います。

美しい…。

昔の人も私と同じように美しいと思ったことでしょう。

緻密に計算されているからこそ起こる現象です。

花は野にあるように…

雲も野にあるように…

そんな思いで作られた白い雲だと思います。

 

他の熱源の場合はどうでしょうか?

ガスでも湯は沸きます。

けれども湯は吹くばかりで、このような綺麗な白い竜巻はできません。

茶碗に湯を移しても雲はすぐに消えて炭手前の時のように留まりません。

電気の場合も同じです。

ガスよりは穏やかな熱せられ方ですが、白い竜巻は現れません。

屋外ではどうでしょう。

昔、バーベキューした時の記憶を辿ると、やはり白い竜巻は現れなかったことを思い出します。

湯気は水の表面から均等に薄く現れていて、螺旋を描く竜巻は起こりませんでした。

ガスで沸かした時よりは美味に思えましたが、茶室での炭で沸かした湯とは、まろやかさが比べものになりません。

 

どうしてこんなに違うのだろう…。

茶道の炭は高価で高品質であること。

釜も鉄の純度が高くて高品質であること。

たくさんの要素が組み合わされて実現されていることに違いありません。

私はこんな風に考えています。

 

・炉や風炉の素材や形状により、絶妙な輻射熱を生むこと。

・炭の遠赤外線効果により、水の分子が激しく振動すること。

・炭の周りの灰に含まれる水分量が適量であり、熱を受けた時に発する水蒸気が上昇気流を生むこと。

・それによって対流熱を作り出し、釜の中の水も激しく対流していること。

・分子の振動と対流の激しさにより、水の中に静電気が発生していること。

・静電気が空中に放たれることですぐに電気が放出されて白い花みたいな雲が現れること。

 

こうなんじゃないのかなぁ…

といつも白い竜巻と雲を見ながら考えています。

茶道を作った人々は、きっと炭手前の組み方を幾度も幾度も試しながら、どの組み方が湯を一番美しく沸かすのかを考えたことでしょう。

こだわってこだわってここまで来た、茶の湯。

 

オタクの心は、オタクが一番よく分かる。

どーーでも良いじゃん!

そ、どーでも良いんだけどね。

ところでお茶って美味しいね。

2023-05-14 15:19:00

●自己プロデュース能力

20歳の学生時代に、ドイツ語の年配女性の先生からこんな風に声を掛けられました。

『周りに流されないで、計画的に生きなさい』

どのような状況で声を掛けられたのか、全く覚えがありません。

その後に続けてこうも言われました。

『5年ごとに区切って計画を立てると良い。何となく生きないで。よく働きなさい。』

 

ずっとその言葉を忘れていたのに、40歳を目前にしたある日突然思い出しました。

それ以降、目につくところに5年間カレンダーを貼っています。

私はカレンダーを3つ使っています。

・5年間カレンダー

・1年間カレンダー

・1ヶ月カレンダー

この3つを何となくいつも眺めています。

眺めながら夢を描きます。

2年後にはこんな風になっていて、3年後にはこう。5年後はこんな感じ。

ということは、今年はこんな風に過ごすんだな。

ということは、今月はこんな風に過ごすんだな。

そうやって逆算して計画を立てています。

 

全てが計画どおりに上手く運んだかと言われると、そんなことはなく、最初は挫折の繰り返し。

計画が能力を大きく超えていたのだと思います。

ところがめげずにチャレンジし続けるうちに、無理が無理ではなくなりました。

体力がついてくると挫折さえ楽しめるようになるようです。

なぜ挫折したのかというと、計画が細か過ぎたのでした。

そしてカレンダーに書き込み過ぎました。

『絶対〇〇する!』

まるで受験生みたいな言葉を書いていました。

今は書き込むのはやめています。

何となく『こんな風になっているといいなぁ』とイメージするだけにしています。

世の中も、自分の人生も、予想がつかないことが多いから。

何となくのイメージを描き続けて数年。

ほぼイメージ通りに実現できています。

 

大切にしているのが『好き』の気持ち。

幸せとは…、成功とは…、

『好きを見つけること』

そんな風に思います。

 

『好き』は不思議です。

ひとつ、ものすごく好きなことが出来ると、それが思わぬところで別の芽を出していきます。

竹の子みたいに土の中で地下茎として繋がっているようです。

『まさか、これとこれが繋がっていたとは!』

じゃあ、これも勉強しなきゃだな。

そんな風に新たな夢が出来ます。

 

時間軸を可視化することで得られる感覚なのでしょうか。何らかの枠組みを作ることで、却って時間から自由を得られます。私にはこのカレンダーの方法が自分に合っているみたいです。

 

皆さまにも、ぜひ性格に合った自己プロデュース方法を見つけていただきたいと思います。

時の流れを止めることはできませんが、活かすことは出来ます。

 

『人生の計画を細かく立て過ぎぬよう…』

と助言をくださったのは宗嘉先生でした。

 

・夢を文字にするな。

・目標を細かく立て過ぎるな。

・それは夢でも目標でもなく、執着である。

・執着は自分も他人も追い込む。

・そうなると夢は自分から離れてしまう。

 

知らなかった。そうなんだ。

目から鱗の助言の数々。

外側から自分を見ることは大事です。

よし庵のイベントにて、皆さまの今後にお役立ていただけましたら幸いに存じます。

源氏物語茶事や、お茶会にて、女性の輝ける生き方を皆さまと一緒に作って行きたいとよし庵では考えています。

2023-05-05 21:15:00

●しゃーないやん

数年前、奈良を旅していた時のこと。

仏像や曼荼羅図のことを知りたかったのでガイドさんに説明をつけてもらいました。

阿修羅像を見ながらガイドさんが言いました。

『綺麗なお顔でしょう。憂いを帯びたような何とも言えない表情よね。でもね、怒ると怖いんよ。』

そのあと、曼荼羅図を見ながら説明してくれました。

『さっきの阿修羅はね、帝釈天と喧嘩してしまって追放されてしまったのです。ですので曼荼羅図には描かれていないんです。』

『そうなんですか?』

『そう。怒って怒って鬼神になって、戦いをやめられなくなってしまったんだって。』

『神様でも喧嘩しちゃうんですねぇ…』

『しゃーないやん?そらこれだけおったら合わんのもおるわ。』

 

しゃーない、かぁ。

なんかホッとした言葉でした。

私は頭の硬いところがあって、

『質問には全てきちんと応えねばならぬ』

とがんじがらめになる時があります。

そっか、時には『しゃーないやん?』と流してもいいんだな。

 

しゃーない状況って結構ありますもんね。

阿修羅と帝釈天の喧嘩。

そこから『修羅場』という言葉が生まれたそうです。

修羅場は『しゃーないやん』で回避。

大人の知恵ですね。

2023-05-05 21:11:00

●茶道とJAZZ

先日、生徒さまと平点前(濃茶)のお稽古をしていて、思わぬ形で茶道とジャズの共通点を見つけました。

その生徒様はすでにお茶名をお持ちなのですが、一から茶道を見直したいということで平点前からお稽古してくださっているのでした。

改善ポイントは連動性と統一感でした。

 

連動性とは、全ての動きをつなげることです。

動きを脳で再確認しながら行っていると、どうしても手が一旦お膝に戻ります。

茶筅通しを終えたら、一旦手がお膝に戻ってしまう…といった具合です。

お膝は『ホーム』なのかもしれません。

空中に手が浮いたままでは心理的に落ち着かずに不安定になりやすいのかもしれません。

でも大丈夫。すでに十分なお力をお持ちでいらっしゃるから、そのお力を信じて。

全ての動きを流れるように行いましょうとお伝えしました。

手が流れるように空中を舞うと、驚くほど動きが美しくなられます。

 

そして統一感。

生徒様の動きにはムラがあり、速いところと遅いところが出来てしまうことを指摘しました。

ムラは美しく見えません。

無意識に起こるからです。出来るところは早くなるし、苦手なところは遅くなる。

メリハリとは異なります。

メリハリとは緩急のことで、全体像を見ながら計算した上で意図的につけていくのです。

それにより統一感が生まれます。

その背後にあるのがリズム。

ここがジャズとの共通点でした。

 

ワーン、トゥ、1、2、3

ッッ…トゥーン

この最初のリズムをずーっと維持しなさい、とジャズピアノの先生に指導されました。

 

『あー、ほらほら。出来るところだけ早くなっちゃう。そうすると他の楽器の人と合わなくなっちゃうでしょう?リズムの縦の線をずーっとキープするのよ。』

 

リズムの取り方は、クラッシックとは全然違いました。

『4ビートの裏に3連符を常に感じよ』

と教えられました。

 

1             2             3             4   の裏に

タタタ タタタ タタタ タタタ

●                          ●

 

更には『2と4の最初にアクセントを感じよ』と。

 

この3連符がクセモノでした。

クラッシックでの3連符とは異なりました。

『もっと正確に。感情を抜きにして。デジタルに。』

 

私が習ったクラッシックでの3連符は、曲の途中で音を強調させるために出ることが多かったのでした。

タタタではなくて『ダダダ』と言った具合。

そこだけ少し遅くなりました。

その要領で弾くと、先生から注意されました。

『あー、ダメダメ。そんなところにアクセントないよ。』

そもそも使っているメトロノームが違いました。

クラッシックでは振り子式のメトロノームを使っていました。

『振り子式だと不正確だから電池式のを買って。リズムはジャズの命なのよ。』

『リズムという共通のルールがしっかりしているから突然のセッションが成り立つの。アドリブの小説数も決まっているから全体の流れから把握して。最初のうちはリズムとフレーズから小節を計算するしかないわね。そのうちに感覚が掴めるけどね。』

掴めないうちに私のジャズピアノ歴は幕を閉じました。残念…😢

芸事は難しい。身を以て知ったことが私の財産となりました。

 

茶道では、お茶室に足を踏み入れた際の足捌きがこの『リズム』に相当します。

右足、左足と踏み入れた音、それがジャズで言うところの最初のリズム。

シュッ、シュッと摺り足の音が響く。

その摺り足のリズムをお点前の最初から最後まで背後に感じましょう。

摺り足は早すぎても遅すぎても良くありません。

お点前の格によって速度が決まっているから努めてそれを一定に保ちます。

帛紗を捌く時も、お道具を清める時も、脳裏に摺り足の音を響かせて。

1、2、3、4、5、6、7、8…

規則的な大きなうねりに手足の動きを連動させていくと美しくなります。

 

ジャズとのもう一つの共通点『3』という数字。把握の難しい『3』

茶道では空間的に感じます。

風炉の点前畳を0°とするなら、客付きは約45°

健水を下げるときのひと膝下座は、約30°

お客様との問答はお道具正面、約90°

すべて3の倍数。

 

茶道とJAZZ

達人ほど、いとも簡単に自由に行っているように見える。でも実はきちんとした規則があって、その中で個性を発揮しているのでした。

2023-04-30 17:15:00

●茶道と数学

茶道に向き合っていると所々で数学を感じることがあります。美しいと思える動きにはいつも法則が存在します。

繰り返し繰り返し練習しているうちに、動きの軌跡は洗練された線となって宙に現れます。

美しい。

私はいつもその線に魅了され、何度でもいつでもその線を思うように生み出せたら、なんて素敵だろうかと思うのです。

自分からも生徒さまからも。

 

最初に気付いたのは放物線。

宗嘉先生が蓋置を扱う所作から。

その軌跡とスピードがあまりにも美しく、何度も真似して繰り返しているうちに、放物線が目に浮かびました。

ボールをポーンと空中に投げると現れる放物線。最初と最後はスピードが速くなります。

運動エネルギーが大きいから。

それが頂点に近づくにつれて位置エネルギーに置き換わりスピードが失われて、頂点でほんの一瞬止まるような感じ。

そこからまたスピードを増して地に帰ってくる。美しい放物線を意識するよう生徒さまにも毎回指導しています。

頂点で折り返すときに、軌跡が左右対称になるよう、スピードも同じになるよう維持すると更に美しさが増します。

 

その次に現れたのが、パスカルの三角形。

炉の時の柄杓の柄の角度と、茶杓の柄の角度、そして自分の膝の角度が並行に揃っている姿。

楽譜の五線譜🎼のようにも思えます。

自分もお道具も、音を奏でる楽器の一部。

心和む音楽になるようにと気を配ってお点前に臨みます。

 

フィボナッチ数列。

カタツムリの渦巻きが有名ですが、そのほかにも様々な動植物がその数列を自らの姿に取り入れています。取り入れている、というよりも進化の過程で淘汰されたという表現が正しいのでしょう。

茶道では、釜の蓋を開けて蓋置に置くときの軌跡にフィボナッチ数列を感じます。

また、棗や茶入れを清める際の右手の動き。

左手で棗や茶入れを帯の上線まで持ち上げ、膝の線まで入った時に右手の帛紗が追いかけるようにして蓋に到達するのですが、その時の右手の動きがカタツムリの渦巻きにそっくりです。

私はここで必ず生徒様に『カタツムリの渦巻きを意識してね』とお願いしています。

 

七事式での東や半東の動き方からは双曲線も感じます。決して広くない茶室の中で複数人がピタリと動きを合わせた時、心が一つになった感動を得て空間に無限の広がりを感じます。

 

西洋の学問でしょ?

偶然でしょ?

と思われるかもしれませんが、日本文化の中にも数列は溢れています。

茶道で使う扇子を広げればフィボナッチ数列から派生した黄金角137.5°にピッタリと重なります。

私の家紋『庵木瓜』はパルテノン神殿にそっくり。その縦横の比率は1:φという黄金比で構成されています。

裂地の紋様『亀甲紋』や『鱗紋』はパスカルの三角形だし、米俵の積み方もパスカルの三角形を用いています。

江戸時代に町中を繋いでいた橋の形は放物線を描いています。

浮世絵師として名を馳せた北斎は代表作『神奈川沖浪裏』の構図にフィボナッチ数列を用いています。

 

美しさを多くの人に理解してもらうため、磨いていくうちに、たどり着いたのが普遍的な法則。

その美しさの先生が『自然』

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自然という偉大な書物は数学という言語で書かれている (ガリレオ・ガリレイの名言)

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人間は自然を畏れ、敬い、憧れました。

朝焼け夕焼けの美しさ。

山の稜線。波の音、鳥のさえずり。

何とかしてその美しさを手に入れたい。

再現したい。

そして、芸術が生まれました。

芸術が数学と近しい関係であることはある種当然なのかもしれません。

 

茶道は自然からのエッセンス。

古今東西から抽出された最良のエッセンス。