講師(宗夜)ブログ

2023-06-12 18:34:00

●ふくだめ潰しちゃダメ

先日、zoom中級の実践お稽古で福溜(ふくだめ)の話をしました。

『福溜(ふくだめ)は潰さないようにしましょうねー☺️』

お茶巾が畳まれる時に作られる、あの福溜です。

 

お茶巾は、お水次(おみずつぎ)を持ち出す際に蓋の上にのせられます。

お水次の注ぎ口を拭うためです。

お茶巾で注ぎ口10cm下を補佐し、注ぎ終わったら下から拭って、もう一度蓋の上にのせます。

日本人らしい、細やかな心遣い。

丁寧にするととても美しい。

でも、ぞんざいにすると…

拭う際に福溜が潰れやすいのです。

潰さぬよう角度や力加減にとても気をつけます。

福溜(ふくだめ)には福が溜まっていると考えられています。このふんわりとした丸みを潰さないように気をつけてお稽古しています。

 

茶道では常に『福が来るような』お点前や所作を心がけます。

 

運が上がる言葉を使い、

運が上がるような話題を選び

運が上がるような雰囲気を作ります。

 

お稽古を始めた頃にはそのような心掛けができていませんでした。

宗嘉先生によくよく注意されました。

『あああっ‼️』

(え?なに?私、何をしたの?)

『福溜が潰れているじゃないですか‼️』

(ああ…、そんなことか…)

 

『あのね…』

膝を改めて宗嘉先生が語りかけました。

『この福溜にね、あなたの全ての幸せが掛かっていると思いなさい。幸せになりたいでしょ?だっったら丁寧に扱わなきゃ。』

 

そのように注意されて、先生の丁寧な扱いを真近で拝見したら、やっぱりそれは丁寧な方が美しく見えていいなと思いました。

でも、

・美しく見えること

・運気を上げること

この二つが一体どんな関係を持っているのだろうか?

 

身近に分からせてくれたのは、大河ドラマでした。

『どうする家康』

松潤の熱演から目が毎週離せません。

戦国時代の真只中。

先週は長篠の戦いでした。

長篠の戦いは1575年。

 

利休居士はこの時53歳。

ちょうどこのあたりの時代に、侘び茶が生まれたということになります。

こんなに殺伐とした時代に。

庶民でも、明日をも知れない命です。

そう考えると『一期一会』の持つ重みが身に沁みます。

 

『どうする家康』の前は

『鎌倉殿の十三人』でした。

脚本家は三谷幸喜かぁ。

あの人ちょっと軽いんだよね…

とか思いながら気が付いたら毎週見てました。

面白いっ!

こんなに面白かったら次の松潤大変だなぁ…

どうしてどうして、松潤のも面白い!

 

面白いのもそうですが…

なんと武士の世は厳しいことか…。

むごい…。

『謀反の疑いあり!』と言われたら

言い訳しても助からない。

再起できないよう家人もろとも消されてしまう。

後の世に禍根を残さぬための常套手段でした。

この厳しい時代が、その後も続きました。

 

江戸時代になって治安も安定したのかと思っていたらそうではなかったそうです。

確かに大きな戦いは無くなりました。

ところが街中では江戸時代中期ころまで『辻斬り:つじぎり』が多かったと言われています。

辻とは、十字路のこと。

辻斬りとは通り魔のような存在でした。

江戸城下を治めるに当たって、街中の治安を何とかせねばと立ち上がったのが5代将軍綱吉。

有名な『生類憐れみの令』の発令には辻斬りに見られるこのような治安背景も鑑みてのことと伝わります。

 

また清い水を手に入れることも大変でした。

湧き水はどこにでもあるわけではありません。

川の水の場合は、一旦煮沸していたと思います。

 

今の日本は平和です。

穏やかな気持ちで安全にお茶を愉しむことができます。

でもここまでに至る道のりは、長く長く険しかった。

その歴史に想いを馳せれば、一服のお茶の重みをもっと知ることが出来るでしょう。

 

お茶巾の小さな福溜。

ほんの少しの力加減で、すぐにぺしゃんこになってしまうから、大事に大事に…。

小さきものへの愛情を忘れずにお茶を点ててくれたなら、とても嬉しい。

細やかな心遣いを感じ取れる自分でいられたなら、もっと愉しい。

だから、ふくだめ潰しちゃダメ。

2023-06-04 19:44:00

●同じお点前でも楽しい

私どものお教室に、ずっと同じお点前を楽しんでくださる生徒さまがいらっしゃいます。

静かに穏やかに愉しんででくださる。

そして優しい雰囲気を纏っていらっしゃる。

 

しかし最初からそうではなかった。

しばらくはツンツンしていました。

私も、生徒さまも。お互いに。

それを、反省しては次に活かし…と時間をかけて、波長の合わせ方を二人して根気よく学んでいった結果です。

 

最初は色々と覚えて欲しいと思っていました。

茶道にはたくさんのお点前があります。

それぞれに美しさがあります。

なるべく沢山のお点前を正確に覚えるのが茶道だと思っていました。

それを教えるのが私の使命だと思っていました。

でもどうやら私は狭量だったようです。

あれも出来る、これも出来る、というのは半ば押し売りであったと今では反省しています。

一つのお点前をじっくり愉しむのも良いものですね。生徒さまから教わりました。

大切なのは波長を合わせること。

 

他人と波長を合わせるのは簡単ではありません。

子どもの頃からの共感体験の積み重ねにより、少しずつ獲得していく能力です。

子育て中にその能力を知りました。

10年くらい前、子どもの小学校で絵本を読むボランティアをしていました。

そこで絵本の種類や読み方、子どもの脳の発達の仕方などを勉強させてもらいました。

ママ友との雑談も勉強になりました。

 

『昨日の夜さぁ、ウチの子が本読んでと言うから絵本読んだんだ、この本。』

『うんうん、これね。これ良いよね。ウチの子も好きだよ。』

『読むのは良いんだけど、11回読んだよ。』

『11回❗️』

『だってこの前、子どもが欲するままに読んであげなさいっていう話あったでしょ。だから読んだの。疲れちゃったけど最後は満足して寝たよ。』

『うわー、お疲れさん。〇〇ちゃん幸せだねぇ』

 

11回も読んだのか。偉いなぁ。

低学年用の子どもの絵本は、飽きないよう5分程度に作られています。

5分×11回=55分

ほぼ1時間もそのママは同じ本を繰り返し読んだことになります。

ママも偉いけど、そのお子さんも偉い。

同じことを繰り返しているようで、実はそうではないように思います。

そのお子さんの脳内では毎回違う感動を得ていたのではないでしょうか?

そしてそれ以上に、母親との交流を心ゆくまで愉しんでいたのではないかと思います。

子どもだって『あ、ママ疲れてきたな…』という変化を感じています。

そして多分本人も疲れてると思います。

でも、でも甘えたい。

母親の胎内にいた、あの一体感を味わいたい。

同じ絵本を読んで、同じところで不思議がって、同じところで笑いたい。

波長を合わせる訓練をしているようです。

 

子どもは笑うことが好きです。

何だか知らないけどやたらと笑いたがる。

もしかしたら笑うことで呼吸器官を鍛えているのかもしれません。

そして走ることも飛ぶことも好きです。

心臓の筋肉の力が弱いから、走り回ることでふくらはぎのポンプの力を使って血液を心臓に戻していると言います。

そして甘いものを好みます。

遊ぶときにはおやつは欠かせません。

みんなで同じ甘いものを食べることで、快楽物質ドーパミンを他者と協調して一斉に出す訓練をしているのかもしれません。

不思議なもので、子どもの頃甘いものを一人で食べてもそんなに美味しくないんですよね。

みんなで同じ甘いものをあーだこーだ言いながら食べるのが良いんですね。

子どもは幼ければ幼いほど、おやつを巡って喧嘩します。甘いものへの執着は凄まじいです。

脳をいち早く発達させることが生きるために不可欠であるから、成長期はブドウ糖への執着が凄まじくなるのかもしれません。

喧嘩も真剣そのものです。

そして…

これらの経験を共有できる相手を常に必要としています。

 

大人になってもやっぱり同じです。

共感したい。

だからどの国でもお笑い番組があるのではないかと思います。

一緒に笑いたい。

 

お笑い番組と言えば…吉本新喜劇。

やっぱり10年くらい前の話なのですが、大きな台風が来て我が家のアンテナを倒しました。

業者に修理を依頼しましたが、予約が立て込んでいて目処が立たないとのこと。

しょうがないねぇ、テレビ見れないよ。

じゃあYouTubeで吉本でも見るか、となりました。

そのころ吉本新喜劇にハマっていました。

とある学校の文化祭に行った時、高校生が吉本新喜劇を演じていたのです。

そのクオリティの高さたるや!

めちゃくちゃ笑いました。

教室は超満員で、見ず知らずの他人でごった返していて身動きが取れません。

うわ、しまった…と後悔していたところで劇が始まりました。

タラララッタラ〜🎵

タラララッタラ〜🎵

あのお馴染みの音楽が鳴り響き、全員の目がステージに注がれます。

劇が始まると先刻の後悔が吹き飛びました。

はちゃめちゃなストーリー展開。

『ハハハ!何それ!ハハハ😂』

笑いっぱなしの90分。

 

それ以来、吉本にハマってしまいました。

ストーリーは大体同じ。

登場人物も大体同じ。

そして人物ごとにミュージックも決まっていて、登場するタイミングも同じ。

キーパーソンが登場すると、『カーッ!』と観客に向かって目をひんむいて笑いを取る。

観客も笑う場所を全部心得ていて、同じ場所で同じように笑う。

あれ、落語も同じだ。

同じ時期に落語にもハマっていて、CDをかけてよく笑っていました。

当時は文珍さんが好きでした。

なんで同じ話を聞いてこんなに笑えるんだろう。

ふと不思議になりました。

 

どちらにしても、観客の笑い声も収録されています。

そう言えばドリフも笑い声を収録しています。

アメリカの『奥さまは魔女』も、『ファミリータイズ』も笑い声を収録しています。

もしかして、こっちが主なのか?と思いました。

他人が笑うから私は笑うのか?

私は共感したいのだ。

自分は一人ではないと笑いを通じて実感したい。

そして同じ話を何度も聞くのは安心したいから。

 

茶道でも脳の欲するところは同じなのかもしれないと思いました。

年齢を重ねるにつれて人前で『ガハハ』とは笑えなくなります。恥ずかしいし美しくないから。

老化のスピードは思いのほか早く、美しくあろうと常に心掛けておかないと、美しさは簡単に減じてしまうのです。

でも人との繋がりを保っていたい。

共感したい。

静かに、美しく、美味しく、愉しく…。

 

一つのお点前を愉しむのも、

色んなお点前を愉しむのも、

全部あり。

その時々で生徒さまの欲するように寄り添うのが私の本当の使命なのだな…と思いました。

2023-05-28 20:20:00

●プロってすごい

ただいま5月の末。

拙宅の庭は、かつてないほど様々な花が咲いてくれています。

こんなに綺麗なお庭の姿を見るのは初めて!

ちょっと感激しています。

今まで色んな花を植えては枯らし…を繰り返してきて(ああ、私ってダメな女…(>_>))と落ち込んでいたのです。

これではいけない。

もっと心豊かに生きたい。

そう思って、去年の秋からプロの意見をきちんと聴いてお庭作りをしようと考えました。

 

YouTubeを見るとたくさんの園芸のプロが情報を挙げてくれています。

土作り、苗の植え付け時期、相性の良い苗の選び方、剪定の時期と方法、成長期の追肥の仕方、水のあげ方…

全部アドバイスを守って8ヶ月。

本当に綺麗に咲いてくれました。

わぁ嬉しい。私でも咲かせられた🌸

 

特に驚いたのはバラの管理🌹

真冬に切り戻しをせよとプロは言います。

確かに伸び放題になっていた枝は美しくなく、これは何とかせねばと思っていました。

『思い切って半分くらいに切りましょう』

とプロは言います。

(え?いいの?そんなに切って。)

半信半疑でしたが、えいやと本当に切りました。かなり太い枝だったのでノコギリでギコギコ切りました。

寒空の下、バラの枝が縮こまっているように見え、なんとも心許ない様子。

(え〜、これで本当に良かったの?)

バラを見るたびに後悔する私。

数ヶ月の間、バラは無言。

何の変化も見られません。

ところが、陽が徐々に高くなり春の兆しが現れ始めた頃、茶色い古い茎から濃い朱色の柔らかい芽が出て来ました。

(良かった!生きてた💦)

一つ出たと思ったら、続いて何本も何本も出て来ました。

『おっはよ〜☀️』

長い眠りから目覚めたような勢いで、ぐんぐんと茎を伸ばしていきます。

あっという間に元の2倍以上の高さになりました。

そしてたくさんの蕾をつけてくれました。

気がつくとアブラムシが…。

すぐに対処。

プロは薬を撒くようにアドバイスしていました。私はつい買い忘れ、爪楊枝でコショコショして取り除きます。

それでもかなり効果があって、バラは『サンキュー』とでも言うように喜んでくれます。

バラの名は「プリンセスマサコ」。

品の良いピンク色のバラです。

毎朝新しい蕾が次々と膨らんでいます。

ああ、やっぱりプロはすごいな。

そう思いました。

 

プロと言えば…

よし庵にはプロフォトグラファーの太田真弓さんが活躍してくださっています。

太田さんの仕事振りは誠にスマート。

静かに仕事を済ませます。

物音ひとつ立てず、居るか居ないか分からぬほどに気配を消して。

いえ、消しているのではない。

溶け込んでいる感じです。

空気と一体になっているようです。

そして一番美しく見える瞬間を逃しません。

被写体の構図、光の入り方…。

素人の私には及びもつかない沢山の条件をカメラの枠で捉えていらっしゃる。

また、被写体の尊厳を大切にしてくださる。

黒子に徹して相手の集中力を邪魔しない。

それでいて、モデルになるとスポットライトを一身に浴びた主役となる。

この変わり身の速さ。

その場その場で、相手のニーズを的確に掴み、実績を重ねる。

まさにプロ。

改めてプロってすごい。

2023-05-22 21:24:00

●愉しむことの奥深さ

愉しむということは、とても奥深いと思います。

 

近いようで異なるのが『笑い』。

笑いにも色々な種類が存在するようです。

そして年齢と共に笑いも成長します。

子どもの頃はドリフが大好きでした。

『8時だヨ!全員集合』

は子供にとって必見番組でした。

欠かさずに見ないと翌日のクラスの会話についていけません。

それなのに家庭では『品が悪い』といって禁止令が出て途中から見させてもらえませんでした。

卑猥な歌をメンバーが歌っていて、それを大声で兄弟と真似たことが逆鱗に触れました。

全くもって記憶がありません。

怖くてとても思い出せません。

 

成長するにつれ、ドリフを見ても笑えなくなりました。

笑うだけでは満足出来なくなってきました。

テレビの前では年下の兄弟が床に転げ回ってゲラゲラと笑っています。

『あんたの方がよっぽど面白いよ』

と横目でその姿を見ていました。

 

中学生になってからは勉強と部活とで大変な日々でした。勉強しろ勉強しろと親はうるさく追いかけてきます。

どうやらどこの家庭も同じだったようです。

弁論大会にて、同級生の男の子が

『僕たちの幸せはどこにあるのか』

と訴えて大喝采を浴びました。

 

『良い点数を取って、良い高校に行って、良い大学に行って、一流企業に入る。

それが本当の幸せなのだろうか。』

『そもそも宿題が多すぎる。夏休みなど、漢字の本一冊を丸々暗記せよという宿題も出る。勉強の得意な人もいれば不得意な人もいる。せっかくの貴重な夏休みなのだから、勉強以外のことに時間を使いたい。』

そのような内容でした。

 

練りに練った文章構成で、言葉も分かりやすく、私たち中学生の心にまっすぐに響きました。

(そうだ、そうだ!)

ちょうど映画『ボクらの七日間〇〇』などが流行っている年代でした。

そして驚いたことに、本当に次の年から夏休みの宿題が減ったのです。

(私たち中学生が大人を動かしたんだ!)

にわかに興奮しました。

 

ところが…

夏休みを終えてみて、私は虚無感を覚えました。

 

宿題は減った。確かにやることは少なかった。

では自分は、宿題の代わりになるような素晴らしい経験をなにか得たのか?

……得ていない。

満足感など特にない。

宿題が減った分、ダラダラしただけのことである。だったらあくせくしながらも宿題をしていた方がまだ良かったのではないか?

 

なんだか心底がっかりしました。

そしてやっぱり勉強はした方がいいと思いました。それが当時の私たちの本当の学びだったようです。

 

愉しむの原点は、学びかも知れません。

勉強とはちょっと違う。

教養ともちょっと違う。

ところどころで、色んなことに気付いて、吸収して、自分の道に活かしていくことかもしれません。

 

誰よりすごいとか、昔より良いとか、

そういう比較から心を自由にして、気の合う仲間を増やしていって、穏やかな時間を持つことが学びであり、愉しみなのかな…と思います。

大人が自分の幸せを得て、心から愉しんでいると、その姿を見た子どもは安心します。

安心すると子どもも自然に学びます。

愉しむことは奥深い。

そう思います。

2023-05-22 19:20:00

●御所籠のお稽古

先日の土曜日の午後、生徒さまからのリクエストで『御所籠』のお稽古をいたしました。

 

『明日のお稽古で御所籠をしたいのですがよろしいですか?』

生徒さまからメッセージが前日に届き、

『もちろんです🎵』

と返信しました。

 

よし庵では生徒さま達に、前日までにお稽古の科目のお知らせをお願いしております。

釜の準備やお茶の準備があるためです。

おかげさまでお稽古が定刻に始められるのでとても助かっております☺️🤲

 

御所籠のご指定をいただいて、私も前日からワクワクしました!

お稽古を楽しみにしていてくださる🎵

とても嬉しい気持ちになりました。

もうお一方は薄茶のお稽古とのこと。

この日は、宗嘉先生と宗夜とで二手に分かれてのお稽古です。

宗嘉先生は別部屋にて奥伝のお稽古でした。

 

よし庵社中は、みんな茶箱好き❣️

宗嘉先生が茶箱大好き師匠だからです。

最初は全然覚えられなくて苦労しました💧

しかし面白いもので、手が掛かる子ほど可愛いというか…。途中からとても好きになりました👶

 

和敬、卯の花、花、雪、月、御所籠

みんなちがって

みんないい

zoomでも茶箱のお稽古を大切にしています。

カメラに手を寄せてドアップにして

『ここがこうで、ああで』

と丁寧に丁寧にお稽古しています。

海外にお住まいでも心は一つなのであります。

 

茶箱は、おもちゃ箱みたいで夢がありますよね。

何が出るかな、何が出るかな🎵

『うーん🤔、お茶碗!🤨』

『残念!振出でしたぁ!』

『かぁ〜っ、そっちか…😅』

とは言わないけど(お稽古だから)、そんな感じの楽しみがあります。

 

お茶を点てて定座に出し終わると、生徒さまは必ず綺麗に並べられたお道具を見渡すのです。

あって欲しいところに、ある。

茶箱のお稽古をすると、星空を眺めているような気持ちになります。

星それぞれに軌道があって、力の均衡を保っている。たまにそれが崩れる。理由はさまざま。

宇宙も生きているから。

膨張と収縮を繰り返す。

開いたり閉じたり、茶箱みたいに。

茶箱のお道具はいつものお点前の物よりも少し小さめに出来ていて、全てが手のひらに収まるサイズ。かわいい。

かわいいけど、小さいけど本物。

全て手が込んでいて綺麗に作られている。

 

御所籠も色鮮やかな古帛紗がきちんと並べられていて、心が落ち着きます。

はらり、はらりと古帛紗を広げます。

お道具は、右手で取ったり、左手で取ったり、両手で持ったのに、置くときは右手だけだったり。

ややこしいん…。

だけれども、これがクセになる面白さ。

『あー、楽しかった❣️』

お一方が御所籠の拝見なしのお稽古を終えられて、ふと見るともうお一方がウズウズ…。

モジモジ…。

『御所籠のお稽古をなさいますか?』

とお聞きすると、ぱぁ〜🌸と明るい顔をなさって

『良いんですか❣️』

と喜んでくださいました。

すると、先ほどの生徒さまも一緒になってぱぁ〜🌸と喜んでくださって、みんなでルンルン準備をしました。

お二方目の生徒さまは拝見ありのお稽古をいたしました。

『わぁ、こんなに違うんですね』

拝見ありと無しとでは、全然別のお稽古みたいに違うのです。

その違いをみんなで味わって楽しみました。

『て、鉄瓶重い…』

『あ、しまった。お湯入れ過ぎた💦』

ちょっとしたこともみんなでアハハと喜んでいました。

こういう時間を幸せというのだろうなぁ…としみじみ思いました。

そしてお二方目のお稽古も終了🍵

 

お隣を見ると、これから大円之草をされるとのこと。では皆さまもご列席くださいませ、と合流しました。

(あれ?この部屋なんだか暑くない?🥵)

5月の中頃ですが、すでに夏日。

25度以上の気温。

『あ、間違えて暖房いれてた😚』

と、宗嘉先生。

『カンベンしてくださいよ💦』

と宗夜。

みんなでまたアハハ😅と笑って。

こういう時間を幸せというのだろうなぁ…。

そんな5月のひと時でした。