講師(宗夜)ブログ
●愉しむことの奥深さ
愉しむということは、とても奥深いと思います。
近いようで異なるのが『笑い』。
笑いにも色々な種類が存在するようです。
そして年齢と共に笑いも成長します。
子どもの頃はドリフが大好きでした。
『8時だヨ!全員集合』
は子供にとって必見番組でした。
欠かさずに見ないと翌日のクラスの会話についていけません。
それなのに家庭では『品が悪い』といって禁止令が出て途中から見させてもらえませんでした。
卑猥な歌をメンバーが歌っていて、それを大声で兄弟と真似たことが逆鱗に触れました。
全くもって記憶がありません。
怖くてとても思い出せません。
成長するにつれ、ドリフを見ても笑えなくなりました。
笑うだけでは満足出来なくなってきました。
テレビの前では年下の兄弟が床に転げ回ってゲラゲラと笑っています。
『あんたの方がよっぽど面白いよ』
と横目でその姿を見ていました。
中学生になってからは勉強と部活とで大変な日々でした。勉強しろ勉強しろと親はうるさく追いかけてきます。
どうやらどこの家庭も同じだったようです。
弁論大会にて、同級生の男の子が
『僕たちの幸せはどこにあるのか』
と訴えて大喝采を浴びました。
『良い点数を取って、良い高校に行って、良い大学に行って、一流企業に入る。
それが本当の幸せなのだろうか。』
『そもそも宿題が多すぎる。夏休みなど、漢字の本一冊を丸々暗記せよという宿題も出る。勉強の得意な人もいれば不得意な人もいる。せっかくの貴重な夏休みなのだから、勉強以外のことに時間を使いたい。』
そのような内容でした。
練りに練った文章構成で、言葉も分かりやすく、私たち中学生の心にまっすぐに響きました。
(そうだ、そうだ!)
ちょうど映画『ボクらの七日間〇〇』などが流行っている年代でした。
そして驚いたことに、本当に次の年から夏休みの宿題が減ったのです。
(私たち中学生が大人を動かしたんだ!)
にわかに興奮しました。
ところが…
夏休みを終えてみて、私は虚無感を覚えました。
宿題は減った。確かにやることは少なかった。
では自分は、宿題の代わりになるような素晴らしい経験をなにか得たのか?
……得ていない。
満足感など特にない。
宿題が減った分、ダラダラしただけのことである。だったらあくせくしながらも宿題をしていた方がまだ良かったのではないか?
なんだか心底がっかりしました。
そしてやっぱり勉強はした方がいいと思いました。それが当時の私たちの本当の学びだったようです。
愉しむの原点は、学びかも知れません。
勉強とはちょっと違う。
教養ともちょっと違う。
ところどころで、色んなことに気付いて、吸収して、自分の道に活かしていくことかもしれません。
誰よりすごいとか、昔より良いとか、
そういう比較から心を自由にして、気の合う仲間を増やしていって、穏やかな時間を持つことが学びであり、愉しみなのかな…と思います。
大人が自分の幸せを得て、心から愉しんでいると、その姿を見た子どもは安心します。
安心すると子どもも自然に学びます。
愉しむことは奥深い。
そう思います。