講師(宗夜)ブログ
●世を治むる道、倹約を本とす。
よし庵の水屋の棚にずらりと並んでいる茶入、棗、茶碗。そして控室に座る様々な棚。
これらは時間を掛けて宗嘉先生が一つ一つ揃えた茶道具。私たちの大事な仲間です。
生徒さま達もそのように感じてくださっているようで、新しいお道具が入るたびにとても喜んでくださいます。
先日もお稽古の後に生徒さまが声を掛けてくださり、お道具をお見せしました。
よし庵の生徒さまは、皆さまとても丁寧にお道具を扱ってくださいます。
ですから私どもも安心してお任せすることが出来ます。
『わぁ、きれいな色』
『優しくて温かい感じがしますね』
『しっくりと手に馴染んできます』
『お裂地も美しい織です』
茶入を囲んで生徒さま達が口々に感想を述べて鑑賞を楽しんでおられました。
優しく掌に包まれている茶入は幸せそうでした。
人の体温と愛情を受けている茶道具やお茶碗は、本当に長持ちするそうです。
ありがたいことです。
しかしこれらのお道具は、最初から揃っていたわけではありませんでした。
私がお教室に入った時には驚くほど質素でした。
どうしてもっと早く買わないのかなと訝しく思うほどでした。
宗嘉先生は決して無理をせず、教室の規模とレベルに合わせて、本当に少しずつ揃えていきました。
購入できる余裕があったとしても、時を待つ。
自分を大きく見せようとしない。
大木が時間をかけて年輪を重ねるが如く、静かに少しずつ、しかし着実に。
ふと気がつくとずらりと並んでいました。
あれ…いつの間に。
これが人の道か…。
●世を治むる道、倹約を本とす。
(徒然草 第百八十四段)
徒然草にも同じような内容の段があります。
鎌倉時代の第5代目の執権、北条時頼の母の記述です。松下禅尼(まつしたのぜんに)という方です。
松下禅尼が障子の煤けたところを修繕していました。
それを見た人が『部下にやらせますから』と言って手を止めるよう言葉を掛けます。
『ところどころを修繕するよりも、綺麗さっぱり新しく貼り替える方がよろしいでしょう』と。
すると禅尼は『ゆくゆくはそのつもりです』と言ったのちに、『だけれども今はこれで』と自分の気持ちを通します。
『不具合を修理しながら用いる心づけを若い人に見せるためなのです』
と言います。
執権家なので、もちろん潤沢な資金を有している。一新しようとすればすぐにでも出来る。
けれども欲望に溺れる怖さをよく分かっている。
さすが賢人の母は只者ではない。
と吉田兼好は感心しています。
どうやら成功するには法則が存在するようです。
いつの世も、賢者は自分の欲望や見栄を制し、成功に導く光を見失わないのだろうと思います。
私たちが日々お稽古している侘び茶を築いた利休居士も豪商の身。
詫びの美。
この美は絶妙なバランスの上に成り立つものではないかと最近思うようになりました。
ただ質素なのではない。貧しいわけではない。
その時々の自分の分を弁える分析能力が必要。
商人の目のような気がします。
万が一失敗した場合に痛手を最小限に留める工夫です。
宗嘉先生の指導を受け始めた当初、私はその詫びの精神からとても遠いところにありました。
私は書籍を買い集める癖がありました。
沢山の本を買い込み、貪るように読んで、知識を得て、自分を何重にも武装していました。
ある時、宗嘉先生に一喝されました。
『だからそれが何なんだ』
知識があるのは認める。
だからと言ってそれが何なんだ。
そういう人は本を何冊も買い込んで棚に並べて、ずらりと揃った本を眺めて賢くなった気持ちになっているんだ。
そんなものは何の役にも立たない。
今日びパソコンを叩けばいくらでも情報が出る。
しかもその知識は身についているのか。
ついてないだろう。
身についた人はそんな風に鼻にかけないものだ。
ああ、本当だ。その通りだ。
叱ってくれてありがとうございました。
謝罪と感謝の気持ちを伝えて、先生の言葉を噛み締めました。
それではその後の買い集めはなくなったのかと言うと、そうではなく…。
人間の業とは簡単には拭い去れないもののようで、長らく買い集めの習慣は続きました。
数年掛かって、最近ようやく自制する心が育ってきたようです。
茶を点てることが一体何になるのか。
お菓子と茶を食すことが人生の何に繋がるのか。
一言で表現することは難しい。
だけれども、真っ直ぐに立って、真っ直ぐに座って、真っ直ぐに歩く行動を繰り返しているうちに、少しずつ少しずつ道筋が見えてくる。
私にとって茶の湯とは人の道です。
●いちご大福
先生の『いちご大福』は抹茶みるく餡とみるく餡の2種類。
どちらも瑞々しくて本当に美味しい。
いちごのフレッシュさが生きています。
大福の生地と餡の柔らかさが同じくらいに調整されていて、口の中で一体となってとろける味わいを作り出しています。
その中でやや穏やかな酸味のいちごが加わり、春の訪れを告げています。
日本の赤い宝石、いちご。
先生のいちご大福は平安期王朝文化の雰囲気。
平安時代の貴族の女性たちは十二単と呼ばれる衣裳を纏っていました。
襟元や袖元、裾などを三枚、五枚と重ねて、わずかずつずらしてその色目を楽しんでいました。
『襲の色目:かさねのいろめ』
襲の色目は、それぞれすべてに名がつけられていました。単色どうしを組み合わせてセットとし、セットごとの名があったのです。
平安期の日記や、源氏物語にも、その襲の色目などの描写にて人物の衣裳が紹介されています。
きっと当時の女性たちは、ファッション雑誌を眺めるような気持ちで源氏物語を愉しんでいたのではないかと思うのです。
みるく餡のいちご大福は、桜の襲かな。
抹茶みるく餡のいちご大福は、萌黄の襲かな。
先生の作るいちご大福のいちごちゃん。
私には平安時代の雅な女人に見えてきました。
●平安時代のお菓子『蘇』
宗嘉先生が平安時代のお菓子を再現してくれました。
『蘇』です。
濃厚なお味。
クリームチーズのような味わいです。
先生が『蘇』の上に蜂蜜をかけてくださいました。
当時、蜂蜜が献上されていた記録が残っており、ごくごく少数の貴族が食していたそうです。
乳白色で、優しい甘さと優しい香り。
しっとりとした感触ですが、表面は少し硬め。
楊枝で切ることが出来て、持ち上げて口に運ぶことができます。
濃厚なのでほんの一口で満足です。
現代で言うところの高級チョコレートのような位置付けでしょうか。
『蘇』は音読みでは『そ』ですが、
訓読みでは『よみがえる』です。
もしかしたら療養食でもあったのではないかと思います。
現代の私たちが味わっても十分に美味しい。
そして十分に豊かな気持ちになれる。
平安期の人々と、味覚からも繋がることができる。
そんな気持ちになりました。
会うことは出来なくても、言葉を交わすことは出来なくても、人間は繋がれる。
時代を超えて繋がれることは、とても楽しい。
お菓子と物語が繋ぐ、人と人。
●寺田寅彦の随筆
厳寒の日々。
寒い寒いなかにも、時折寒さの緩む昼下がりがあり、そんな時に寺田寅彦の随筆の一編を思い出します。
寺田寅彦は明治時代〜大正時代〜昭和初期にかけて活躍した物理学者で、日本の物理学の礎を築いた人物として語られています。
私は物理学はさっぱり分からないので、どれほどすごい人物なのか残念ながら想像もつきませんが、随筆が好きでいくつか読んでいました。
思い出すのは『蓑虫と蜘蛛』をという一編です。
春先のある昼下がり、自宅の庭木に、ミノムシが鈴鳴りにぶら下がっているのが寺田の目に入りました。
随分たくさんぶら下がっているなぁ…としばらく眺めていましたが、
暖かくなってあれらが全部孵化したら、庭木などひとたまりもない。
と想像して、退治することにしました。
物干し竿の先にハサミを括り付けて四苦八苦しながら蓑虫を落とし、二人の娘も喜んで手伝ってミノムシを集めたそうです。
全部で49個。
大きいのものあれば小さいのもある。
素材も形もさまざま。
ひとつ大きいのを選んでハサミで蓑を切り開いてみると、丸々と肥った虫が出てきました。
この辺りの描写の様子から、寺田が(やっぱり今のうちに落としておいて良かった!)と思っていそうな感じを受けます。
ところが、また一つ切り開いてみると、中でカラカラに干からびています。
ああ、虫の世界にも病気があるのかな?と思って他のを外側から触ってみると、集めたうちの大半が、中身スカスカでお留守のよう。
よく見るとお留守の蓑虫には、下の方に小さな穴があります。
不思議に思って一つ切り開くと、中から小さな蜘蛛が出てきました。
どうやら…
その小さな蜘蛛が、蓑虫の外側から穴を空けて、蓑虫が無抵抗なのを良いことに、養分を全て吸い取ってしまったようだ…と寺田は想像します。
なにも自分が手を出すことはなかったのだ。
自然に任せておけば、その摂理においてちょうど良い具合の循環がなされていたのだ。
というような気持ちを抱いたのちに…、
美しい花園や庭の木立ちの間にも、生き物たちの熾烈な闘いが繰り広げられているのだなぁ…
と、意味深長な言葉が続いています。
私がこの随筆を読んだのは、10年以上前のことです。2009年に横浜港開港150周年ということからか、明治期の偉人がメディアで度々にわたり取り上げられていました。
夏目漱石、岡倉天心、森鴎外、正岡子規、寺田寅彦などなど…
錚々たる名前が並んでいました。
その一人一人の功績だけでも輝かしいのに、お互いに交流が深かったとのことに驚きました。
最初に寺田の随筆を読んだ時、私は30代半ばくらいでした。
人生の機微も味わっていなかったせいか、読み方も浅く、『ほのぼのとした随筆だなぁ』くらいにしか思いませんでした。
娘さん二人と共に蓑虫の観察をする寺田の描写に、幸せでのんびりした世界を感じていました。
本当にのんびりしていたのだろうか…
五十路を目前に控えた現在は、以前とは読み方が異なります。
寺田が生まれたのは1878年(明治11年)。
幕末から明治初期は、激しいインフレが起こっていたそうです。
物価の上昇が市民の暮らしを直撃。
江戸時代から明治時代に改まり、国の制度も、お金の単位も何もかもが変わってしまうという未曾有の大混乱を当時の人々は経験します。
今の私には想像もつかないストレスです。
そんな世の中で、前述の偉人たちは幼くから才能を発揮し、周囲の期待を受け、国外に出て多くを学び、帰国後は精力的に活動します。
だけれども、各々がとても短命でありました。
医療が未発達であったとか、水道水の質があまり良くなかったとか、色々な原因があるのでしょう。それ以外にも様々な負担が、心にも体にも掛かっていたのだろうと思います。
それでも何とかしてキラリと光るものを遺したかった。命を賭しても残したかった。
実際に100年前に生きていた人々。
前の時代の人たちが大切にしてきた志などを、感傷に浸りすぎず、今の自分ならば理解を深めることができるような気がしています。
●睦月の和菓子『花びら餅』
睦月の和菓子は『花びら餅』でした。
宗嘉先生の花びら餅は繊細なお味。
味噌餡を包むふんわりとした餅生地は『雪平』です。
餅粉とメレンゲを合わせて作られています。
素人には難しい技法で作られた生地は柔らかく滑らかな舌触り。
口に含むとマシュマロのような感触。
メレンゲの細かな気泡がそのような繊細さを生むのでしょうか。
味噌餡の向こう側には、優しい甘さの牛蒡(ごぼう)。ほのかに土の香り。こころが安らぐ香り。
限られた時間の中にありながら、手間を惜しまず、豊かな発想の元で生まれる宗嘉先生の和菓子たち。
茶道に対する深い愛情と、人生に向ける強い思いをいつも感じます。
美味しい、だけではないのです。
『生きる勇気』を味わえる和菓子です。
勇気が途切れそうになるような、このご時世。
リラックスだけではない。精進だけでもない。
五感を解放させて、心の平静を整えて、生きる勇気を持つ。持ち続けるお手伝いをする。
茶道教室にはそのような役割もあるのではないかな、と最近感じています。