講師(宗夜)ブログ
●寺田寅彦の随筆
厳寒の日々。
寒い寒いなかにも、時折寒さの緩む昼下がりがあり、そんな時に寺田寅彦の随筆の一編を思い出します。
寺田寅彦は明治時代〜大正時代〜昭和初期にかけて活躍した物理学者で、日本の物理学の礎を築いた人物として語られています。
私は物理学はさっぱり分からないので、どれほどすごい人物なのか残念ながら想像もつきませんが、随筆が好きでいくつか読んでいました。
思い出すのは『蓑虫と蜘蛛』をという一編です。
春先のある昼下がり、自宅の庭木に、ミノムシが鈴鳴りにぶら下がっているのが寺田の目に入りました。
随分たくさんぶら下がっているなぁ…としばらく眺めていましたが、
暖かくなってあれらが全部孵化したら、庭木などひとたまりもない。
と想像して、退治することにしました。
物干し竿の先にハサミを括り付けて四苦八苦しながら蓑虫を落とし、二人の娘も喜んで手伝ってミノムシを集めたそうです。
全部で49個。
大きいのものあれば小さいのもある。
素材も形もさまざま。
ひとつ大きいのを選んでハサミで蓑を切り開いてみると、丸々と肥った虫が出てきました。
この辺りの描写の様子から、寺田が(やっぱり今のうちに落としておいて良かった!)と思っていそうな感じを受けます。
ところが、また一つ切り開いてみると、中でカラカラに干からびています。
ああ、虫の世界にも病気があるのかな?と思って他のを外側から触ってみると、集めたうちの大半が、中身スカスカでお留守のよう。
よく見るとお留守の蓑虫には、下の方に小さな穴があります。
不思議に思って一つ切り開くと、中から小さな蜘蛛が出てきました。
どうやら…
その小さな蜘蛛が、蓑虫の外側から穴を空けて、蓑虫が無抵抗なのを良いことに、養分を全て吸い取ってしまったようだ…と寺田は想像します。
なにも自分が手を出すことはなかったのだ。
自然に任せておけば、その摂理においてちょうど良い具合の循環がなされていたのだ。
というような気持ちを抱いたのちに…、
美しい花園や庭の木立ちの間にも、生き物たちの熾烈な闘いが繰り広げられているのだなぁ…
と、意味深長な言葉が続いています。
私がこの随筆を読んだのは、10年以上前のことです。2009年に横浜港開港150周年ということからか、明治期の偉人がメディアで度々にわたり取り上げられていました。
夏目漱石、岡倉天心、森鴎外、正岡子規、寺田寅彦などなど…
錚々たる名前が並んでいました。
その一人一人の功績だけでも輝かしいのに、お互いに交流が深かったとのことに驚きました。
最初に寺田の随筆を読んだ時、私は30代半ばくらいでした。
人生の機微も味わっていなかったせいか、読み方も浅く、『ほのぼのとした随筆だなぁ』くらいにしか思いませんでした。
娘さん二人と共に蓑虫の観察をする寺田の描写に、幸せでのんびりした世界を感じていました。
本当にのんびりしていたのだろうか…
五十路を目前に控えた現在は、以前とは読み方が異なります。
寺田が生まれたのは1878年(明治11年)。
幕末から明治初期は、激しいインフレが起こっていたそうです。
物価の上昇が市民の暮らしを直撃。
江戸時代から明治時代に改まり、国の制度も、お金の単位も何もかもが変わってしまうという未曾有の大混乱を当時の人々は経験します。
今の私には想像もつかないストレスです。
そんな世の中で、前述の偉人たちは幼くから才能を発揮し、周囲の期待を受け、国外に出て多くを学び、帰国後は精力的に活動します。
だけれども、各々がとても短命でありました。
医療が未発達であったとか、水道水の質があまり良くなかったとか、色々な原因があるのでしょう。それ以外にも様々な負担が、心にも体にも掛かっていたのだろうと思います。
それでも何とかしてキラリと光るものを遺したかった。命を賭しても残したかった。
実際に100年前に生きていた人々。
前の時代の人たちが大切にしてきた志などを、感傷に浸りすぎず、今の自分ならば理解を深めることができるような気がしています。