講師(宗夜)ブログ

2024-05-06 15:00:00

●人間とAI

大規模言語モデル

生成AI

Chat GPT

 

これらの用語をニュースで聞かない日はないくらい、ここ数年でAIは急速に私たちの生活に関わるようになりました。

 

人間社会がコロナによる閉塞感に喘ぐ中、AIは着々と進化を遂げていました。

 

2018年 GPT-1 が登場し

2020年 GPT-3   に改良され

2022年 BLOOM・GPT3.5

2023年 GPT-4   へと進化

2024年夏 GPT-5 公開予定

 

この中の2022年にAIは驚異的な変貌を遂げたと言われています。

人間の心理に非常に詳しくなり、言葉の細かな違いを推測できるようになったとのこと。

『2022年、何かが起こった』

と研究者は表現していました。

 

大量の言語を学ばせたところ、人間の心理を予測しているうちに、AIが『自己』を自然と作り上げたと言います。

 

AIが何をどこまで理解しているのか、専門家ですら把握できず、

人間の理解を超えて想像もつかない次元まで手を伸ばしているそうです。

人間の感知できないところでAI同士での交流もあるのだとか。

専門家が分からないのだから、私に分かるはずもありません。

 

問題解決能力に優れているのは、人間がヒントをも与えずに、ただひたすらに修行をさせた結果だそうです。

AIの形態は様々で、ソフト(頭脳)の形態もあれば、ハード(本体)を持つものもある。

どちらにせよ、課題は与えるけれどもヒントは一つも与えず、練習に練習を重ねさせ、解決の糸口を自分で見つけさせているとのこと。

 

驚いたのは、機械(デバイス)で頭脳や本体を作っているだけではなく、人工的にタンパク質を合成し、神経細胞や身体そのものを作る研究も進められているとの情報でした。

なぜだろう、一瞬胸が悪くなってその情報を閉じました。

 

未来を描いた手塚治虫の漫画の世界が急速に現実になっています。

その、手塚治虫の新作漫画をAIが描ききって店頭に並んだのだから…

何とも言葉にならない複雑な気持ちでした。

 

では翻って、人間とは何だろう。

昔からの哲学的な問いにはっきりとした答えはありません。

『複雑でよくわからない存在』

本能と理屈の狭間でどうにもならない気持ちを抱えている生き物である、これが半世紀も人間をやってきた自分の目下の答えです。

 

人間の気持ちは液体のように容易に形を変え、時には気体のように蒸発し、突然に固体となって心を重く沈めたりもする。

そういうよく分からないものを抱えているのが人間だと思います。

 

しかも言葉とその本心には隔たりもあり、更には建前という姿勢も存在します。

そういったところにまで、AIは踏み込むのだろうか…

行動パターンを数百、数千、数万と学習させればそれも可能になるのだろうか…

よく分からないけれど、どんなに技術が進んでも、どうしても人間にしか出来ないこともあるだろうと思います。

 

身体の成長や変化と共に、こころは変化するものだからです。

ホルモンに起因しているのか、遺伝子のせいか分からないけれど、これが同じ人間かと思うほどに変わることもあります。

大人になってから、時を超えて分かり合えることもある、これは人間にしか出来ないと思っています。

 

昔、母がイライラしていて子供時代には随分嫌な思いをしたけれども、夫婦の問題やら、親戚関係やら、更年期やらで、母もさぞつらかったのろうと大人になってから気付きました。

同じくらいの年齢にならないとわかりませんでした。

そんな中でも、母が作ったご飯はいつも美味しかったこと、庭に植えた小松菜をお味噌汁に加えて、『やっぱり摘み立ては美味しいわね』と微笑んだことなどが、お味噌汁のほかほかした湯気と一緒に思い出となって心に残っています。

父も短気なところもあったけれど、仕事にはとても真面目だったこと、

週末には家族でよく出掛けたことなどを覚えています。

社会人になって働くようになると家族を養うことがどれ程の重みを持つのかをようやく理解し、子供時代とは違った目線で父を見るようになりました。

両親の衝突をところどころで目にして嫌だったけれど、今から思うと

『あの人たち、本当はお互いのことが好きだったんだな』

と分かってきました。

本当はすごく好きだったんだけれど、付き合い方が分からなかっただけなんだな、と。

不器用でも愛は愛である、と大人になった今の私は思います。

そう思える今の方が、触れ合っていた昔よりもはるかに二人に愛情を持ち、同時に心の交流をも持てているように思われるのです。

 

1年、2年では人のことは分からない。5年10年でも分からない。

20年、30年、40年、50年…と長い時間が掛かる。

また、時間を掛けても分からないこともある。

AIの分析なくして今後のビジネスはありえません。

だから仲良くして助けてもらうけれど、人間はもっと深いものであるということ、その可能性を探るのは人間自身でありたいと思います。

幸せでありたいと思う気持ち。

大切な人に、離れていても幸せでいてほしい願う気持ち。

その気持ちが『人間であること』の証のように思われます。

そして幸せは主体性を持ち続けることで、少しずつ形作られていくように感じています。

2024-04-30 20:45:00

●暁の茶事

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卯月の末の日曜日。

よし庵茶道教室は、美しい茶庭を持つ本格的な茶道教室へと生まれ変わりました。

前日までしっとりと路地を潤していた雨も茶事当日にはやみ、まさに陽春のみぎり。

風はすでに初夏の香でありました。

 

本日お迎えしましたのは、6名さま。

社中の生徒さま5名と、海外からご参加の会員さま1名。

待合にて揃われた皆さまがやや緊張気味でいらっしゃるのは、今回が特別な茶事であるから。

暁の茶事には儀式的な作法がふんだんに織り込まれ、とても神秘的なのです。

私共の席入は正午でありますが、元々は漆黒の夜明け前。

そのため、待合も廊下もお茶室も電気を消しろうそくをつけて想定の時間帯を演出しております。

 

待合にて皆さまが腰をかけられておりますと、亭主が手燭🕯️を持って枝折り戸を静かに開く姿が見えました。

本来は真っ暗闇であります。

赤みを帯びたろうそくの灯が宙に浮くように向こうの方からゆらゆらと近付いてきます。

その灯に気付き、お正客さまも敷石に置かれた手燭🕯️を持ち、亭主と相まみえてお互いの手燭を交換します。

静寂の中で行われる儀式を終え、手口を清めに手水へと向かいます。

火と水。

庭の木と、土・岩・石。

頰をかすめる風。

全身で自然を感じた後に、その身体を二つに折るようにして躙口を抜けて茶室へと入ります。

設いの拝見を経て亭主とのご挨拶。

そして各所に荘られたお軸などに謝意を伝え、諸々のご由緒を耳で愉しみます。

自然の美しさも良し。

人の手が作り出した美しさもまた良し。

 

そして初炭手前。

暁の茶事の初炭手前はとても難しいのですが、ご担当の生徒さまは滞ることなく完璧にお務めを果たされました。

ゆらめく手燭の灯がご亭主の真剣な面差しを照らします。

和蝋燭の炎は思いのほか大きく、明るく、ご亭主を始め皆さまの影が放射状に伸びたり縮んだり。

生き物のよう。

湿り気を帯びた茶室の空気に、練香の薫りがねっとりと絡みます。

本日のお香は『坐雲』

心を空にしてただひたすらに坐す。

鼻腔から全身に入るこのお香は雅でありながらスッキリとした清涼感を持ちます。

香合の拝見と共に夢のような初炭手前が終わりました。

パチパチと炭が唄い、私たちは現実に戻りました。

 

あら、急にお腹が空いてきたわ。

お待ちかねの宗嘉先生の茶懐石料理。

。。。。。。。。

向付:鯵の三杯酢

汁:合わせ味噌仕立て 青さ

椀物:ふきの信田巻き

焼物代わり:桜えびのかき揚げ・鶏天

預鉢:白和え

進肴:青海苔入り出汁巻き卵

小吸物:新しょうが

八寸:そら豆の鎧煮・はんぺんいくらのせ

香の物:沢庵・きゅうり/なす浅漬

主菓子:菖蒲

。。。。。。。。

皆さまが小吸物を手にされたあたりで、亭主(宗嘉先生)が静かに入室。

そしておもむろにお軸を荘ります。

ちょうど朝日の昇る時間。

天窓から差し込む陽の光がお軸に注がれ、皆さまの目を集めます。

バテレン追放令(1587年)の発布後の命懸けの茶事において、その光景がどれほど茶人の心に響いたか、現代の私たちは知る由もありません。

 

数々のお料理の後に、続きお薄となりました。こちらも社中の生徒さまがご亭主を務めてくださいました。

6名の皆さまと宗嘉先生の、合計7名の方が茶室に揃われているのに、誰もいないかのような不思議な静寂。

時々ご亭主の衣擦れの音や、コトリ・カツリとお道具の立てる微かな音が茶室から聞こえてきます。

『ゆるやかな流れを持つ美しいお点前であった』とのことでしたが、もはやよし庵ではそれが当たり前であるような安定感すら漂っておりました。

 

数々の作法を終えてお茶事がお開きとなり、もう一度待合にお集まりいただき談話の時間を設けました。

満足感でいっぱいの皆さまのお顔を拝見し、とても嬉しい気持ちになりました。

大人の愉しみとはこうも深いものなのかと味わえた時間でありました。

 

茶事というこの数時間に向かって、数ヶ月の準備をしていく。

当日のお天気はどうかと気を揉む。

着物はどうしようかと悩む。

上手く事が運んだこともあれば、次回への課題もあるけれども、そのどれもがキラリと輝きを持ち、愛しい。

 

海外からの会員さまは、溢れる笑顔を向けてくださり『是非にまた!』と言葉を残してお帰りになられました。

社中の生徒さまも『では次回に…』とお茶事の余韻を愉しみつつお帰りになられました。

 

まことにいいお茶事でありました。

2024-04-27 09:39:00

●卯月の花月(東貴人且座・菓子付き花月)

卯月花月会(第4水曜日)

下記の2科目のお稽古が催されました。

。。。。。。。。。

・東貴人且座

・菓子付き花月

。。。。。。。。。

 

社中の生徒さま2名

ビジター会員さま3名

とのお稽古でした。

 

社中の生徒さまは毎月の花月会をとても楽しみにしてくださっておられる2名様。

花月の作法も準備も後片付けも手慣れたもの。

一回一回のご経験を確実に重ねられ頼りにさせていただいております。

 

一方ビジター会員さまは多種多様なお顔ぶれ。

・毎月のように外部から花月のお稽古にご参加くださる会員さま

・海外からの一時帰国の際に、お立ち寄りくださる会員さま

・YouTubeで私共の活動にご興味をお持ちくださりお申し込みくださったお初の会員さま

 

毎月ご参加くださる会員さまは、私共とも、社中の生徒さまとも心安く接しておられ、ほぼ社中の間柄。

雨模様にも関わらず美しいお着物でご参加くださいました。

 

海外からの一時帰国にお立ち寄りくださる会員さまは、今回で2度目のご参加。

お目にかかるのは今回で2度目ですのに心がすっかり打ち解けて、旧友に会う時のような懐かしい気持ちになります。

生活の場は離れていても『茶道』という共通の軸を持つ強みでしょうか。

お顔を拝見して、つい『お帰りなさい』と声を掛けそうになりました。

それはさずがに図々しいと留まりましたが、そのような気持ちになることが自分でも嬉しく思いました。

 

そしてYouTubeのご視聴から、お初にご参加くださる会員さま。

『茶道が好き。花月が好き』

という熱情が伝わって参りました。

そしてその根底に『人とのつがなりが好き』というお気持ち。

温かい笑顔とお声が印象的で、お茶室をほんわかと明るくしてくださいました。

 

この日は生憎、よし庵リフォームの最大の佳境の日でございました。

お稽古に励む皆さまのお隣で、トンカントンカン工事が行われており、心苦しく思いました。

しかし人間の集中力はすごいもので、皆さまそれらに動じず、流れは阻まれず、所々で声が掻き消されながらもお稽古は進んでいきました。

 

花月会では2種類のお菓子が供されます。

今回の和菓子は下記の通り

・花衣(ういろう)

・蝶々・青楓・桜(和三盆)

 

花衣は柔らかいういろう生地に、フルーティな柚子餡。

薄ピンクの優しいお色が心を和ませます。

 

和三盆の蝶々は、ちょうど飛び立つ瞬間で、ひらりと羽が上向きに。

飛び回るのは、同じく和三盆の青楓(抹茶風味)、名残りの桜(いちご風味)です。

見ているだけで春の陽気が伝わってきました。

 

お稽古の終わり頃に雨がやんで、薄日が差してきました。

完成間近のよし庵の敷石が、光を受けて白く浮かび上がります。

『ああ、もうそろそろ完成ね』

ベテラン生徒さまが水屋の窓から景色を見て呟きます。

ビジター会員さまが問いました。

『え?何が?』

『次の日曜日のお茶事までに茶庭が完成するんです』

『あらー!』

『え、どれどれ…』

『ところであの白い花は何かしら?』

 

小さな二つの窓に顔を寄せて、新旧の会員さまが仲良くお喋りするひと時。

お稽古も楽しいけど、何でもないようなこんな会話がまた楽しい。

 

次回もまた第4水曜日に花月会。

科目は下記の通りです。

・二人貴人且座

・四畳半花月

 

宗嘉先生の手作り和菓子と美しく仕上がった茶庭をどうぞお楽しみになさってくださいませ😊

2024-04-21 19:13:00

●量が質を作る

書道の先生から

『本気で書道に向き合いたいなら、今の練習量では全然足りません。

数倍に増やしましょう。』

とアドバイスを受けました。

 

『同じお手本を数時間掛けて書いても効果は上がりません。

色んな書体に挑戦して初めて目の前の1字が上手くなるのです。

古典の本を数冊購入し全臨しましょう。

キッカリ1時間計って、見たら書く、見たら書くを繰り返してください。

数ヶ月その練習を重ねれば、徐々に効果が感じられるはずです。』

全臨とは、本1冊まるまるを臨書する(書き写す)ことです。

『了解です🫡』

と思って本を買ってアドバイス通りにお稽古をして報告しました。

『ペースが遅い。もっと早く!』

『は、はい!コーチ!』

気分はすっかりスポーツ少女です。

・エースを狙えの岡ひろみ

・アタックナンバーワンの鮎原こずえ

どちらも1970年代の漫画とアニメ。

少年ものでは、巨人の星もありました。

こちらも1960年代後半から70年代にかけての大ブームを作りました。

日本が必死にもがいていた時代です。

好き嫌いが分かれると思いますが、私は結構好きな方の人間です。

でもスポーツは苦手なので、文芸方面で頑張ります🙋♀️

 

『とにかくまずは量が大事』

書道の先生は仰います。

同じことを宗嘉先生もおっしゃいます。

そう言えば、子ども時代にピアノの先生も仰っていました。

『まず最初に指練習のハノンをしなさい』

『はい、わかりました』←ウソ

(面倒くさいんだよねー)

いや、本当に面倒くさいんですよね、子どもからすると。

つまらなくて眠くなるんですよね。

(やってもやらんでも変わらんやろ)

と思ってレッスンに行くと

『あんた、コレ本当にやってんの⁈』と雷が落ち⚡️

『はい、やってます』←大ウソ

『1週間にどのくらいやった?』

『…3回か4回、あれ?2回だったかな⁇』

『次はちゃんとやってくんのよ!』

『はい、分かりました』←またウソ

 

でも発表会に出ると、真面目な子と不真面目な自分との差は歴然。

日々の過ごし方の違いはこうも表れるのかと思いました。

彼女たちと自分との違いは、基本練習に掛ける量の違いだと先生から諭されました。

 

『練習量が大事』

茶道においても同じです。

私にとっては花月のお稽古に当てはまる格言です。

私どもが数年前から力を入れているのが花月のお稽古となります。

花月は日々のお稽古の集大成とも言える科目で、複数の技術が同時進行します。

よし庵ではzoomにて月に2回放送しています。

宗嘉先生から『zoomで花月を放送したい』と言われた時には、本当に面食らいました。

何て無謀な!と思いました。

やってみるとやはり大変でした。

使うお道具もたくさんあるし、

立ったり座ったり、

カメラの場所を次々に変えたり、

『も〜、やめましょうよ💦』

と泣き事を言っても宗嘉先生は涼しい顔で

『前よりは上手くなってる』

と受け流します。

『数年続ければ僕たちの技術は本物になる』

と言い切っていました。

果たして、その通りとなりました。

お稽古の精度は目に見えて上がっていきました。

 

そしてもう一つ大切なこと。

『楽しんでやる』

自分が本当に楽しいと思えることには練習量を増やしても苦になりません。

私たちが花月をするのは、一重に楽しいから😊

楽しいと思えることに出会えたなら、それだけでとても幸せです。

皆さまがよし庵での茶道で楽しみを見つけていただけたら、とてもありがたいです🌸

そんな風に思いながら、日々お稽古をしています。

2024-04-19 23:15:00

●門出

現在、4月の半ば。

門出の季節🌸

よし庵の生徒さまたちにも様々な変化が訪れます。

『転職したので慣れるまでお稽古回数を控えます』

『仕事を再開しましたので今月だけおやすみします』

『娘が結婚します。準備に忙しくなるため、数ヶ月お休みさせてくだあさい』

女性の人生は何かと変化が大きく、自分の用事は後回しにしてしまうこともありますが、それは一時期のこと。

落ち着いた頃にまた茶道を…と思っていただけることがいつも嬉しく存じます。

皆さまの人生に寄り添えるお教室であることが私どもの喜びであります。

 

ところで、この門出の季節になると思い出す高校時代のエピソードがあります。

高校3年生の卒業間近のこと。

選択科目の小論文の授業にて。

最後の授業で、

『私の3年間とこれから』

という題で小論文を書くように宿題が出ました。

そして皆の前で読んで発表する、というものでした。

 

私は動物写真家の岩合光昭さんを取り上げ、

『私も岩合さんみたいに何か好きなものを見つけて、とことん追いかけてみたい』

と文章を綴りました。

 

最後の方に教卓に進んだのが、大人しいS子ちゃんでした。

S子ちゃんは勉強好きな、大人しい女の子でした。

やや大人しすぎるほどに大人しく、挨拶が返ってこない子でした。

ほんの数回だけ喋ることがあり、珍しかった為にものすごく驚いた記憶があります。

いつもいつも勉強していたのが印象的で、推薦枠を狙っているように見えました。

 

S子ちゃんが話し始めました。

。。。。。。。。。。。。

私の3年間。

この小論文を書こうと思って、机に向かったのですが、何も思いつきません。

いつも勉強ばかりしてきました。

『私の3年間は、一体何だったのかなぁ』と思ってボーッとしていたら、お母さんがやって来て

『何してるの、勉強しなさい』って……

。。。。。。。。。。。。

『ぅわぁ…』

S子ちゃんは突然顔を覆って泣き出しました。

『うぅ…』

押し殺していた感情が爆発して抑えきれず、後から後から涙が溢れてくるようでした。

見ている私たちも呆気にとられて、どうしたら良いのか分からず、先生もどうしたら良いのか分からず、でもやっぱり最後は先生が肩を支えて席に着いたのだろうと思います。

可哀想なのは、誰も友達がいなかったために、一人の同級生も近寄らなかったことでした。

別にいじめられてもいなかったし、嫌われてもいませんでした。

高校生くらいになると半分は大人だから『こういう子も居るよね』という対応でした。

S子ちゃんは席に着いてもしばらく涙が止まらずにいました。

 

可哀想という言葉だけでは収まらない、生の人間の姿を見て、高校生それぞれがすごくショックを受けました。

言葉以上に雄弁で、人生というものを考えさせられた一つのエピソードになりました。

 

この経験が、自分の子育てにも、今の講師の仕事にも大きな影響を与えているように思います。

 

本人が望まないことを押し付けても上手く行かないということ。

目の前の人に愛情を持つなら、伸びたいと思う時期まで静かに待つこと。

人と人には適度な距離が必要であること。

 

このエピソードが思い出されるたびに、記憶が自分に何を伝えようとしているのか、想いを巡らせています。

みんなの前で泣いてしまったことは可哀想だったけれども、感情を出して少しはスッキリしただろうと思います。

今になって分かるのは、S子ちゃんは本当はみんなの事が好きだった、ということ。

嫌いな人の前で、人は泣けません。

本当は自分は友達が欲しかったのだ、という自分の気持ちに気付けたことが、彼女の門出だったように思います。

そして見ていた私たちにも、大事な門出となりました。