講師(宗夜)ブログ
●評価の分かれ目 第一印象
初対面の時、自分も相手もお互いを集中して観察します。
履き物、服装、顔、髪型、姿勢
下からすうっと頭に行き、改めて全体を見て顔に戻ります。
立ち方、歩き方、声の出し方、言葉遣い、話すスピード、笑顔の作り方など、ありとあらゆる情報を収集します。
動物的な視点で、まずは敵か味方かを見極めるでしょう。
自分に危害を加えるか加えないか。
この辺りは赤ちゃんや幼児が鋭い勘を持っています。
赤ちゃんや幼児は、黒々した大きな瞳を瞬きもせずにこちらに向けてきます。
そして『危害を加えそうだ』とみなした相手には近寄りません。
大人も同じです。
特に起業家は非常に細かいところまでチェックするものと思います。
信用出来るか、出来ないか。
チェック項目は色々ありますが、まず一つ気をつけるべきポイントを挙げるなら『距離感』です。
人はそれぞれ心地の良い距離感を持っています。
出会ったばかりならば1m〜1.5mくらい離れている方が良いかと思います。
これをベタっと距離を詰めて寄って来る方がたまにおられて残念な気持ちがします。
ここにその方の教養が表れます。
敵ではない。悪い人ではない。
危害を加える人ではないけれども、
信頼して一緒に仕事を出来る人ではないと思われてしまします。
中にはお綺麗で話術にも長けていた方もおられ、非常に勿体無く感じました。
初対面での距離が近い方はその後もアピールが強いことが特徴です。
大きな声で話したり、度々口を挟んだり、いつまでも残って自分の存在を主張したりします。
そうなると周囲から敬遠されて、ますます孤立感を深めてしまうのです。
その他大勢に括られる時には、
『その他大勢の没個性バージョン』を楽しみましょう。
静と動の巧みな使い分けは、知恵ある者のみが出来る行動なのです。
あの方ステキ。
でも中身はもっともっとステキ。
大人女性の魅力は、こころの余裕で磨かれていきます。
●脱!子供おばさん
『子供おばさん』という奇妙な単語をネットニュースで見かけました。
興味をそそられて中身を覗いてみると、大人女性の幼稚な行動を批判する文章の数々。
しかし幾つか自分にも該当することがあり、いたたまれない気持ちになりました。
20代や30代の頃なら他人事で
『いるいる、こういう人』などと
笑っていたでしょう。
でも今の自分は笑えません。
ただ、ところどころに行き過ぎた批判も見られました。
ふと思いました。
このような文章を書く人はどんな人だろうか。
間違いなく若い人でしょう。
『自分はそうはならない』と思っておられるようです。
文章からは『おばさん全般』に対しての憎しみが滲んでいます。
よほど年長の女性から嫌な思いをさせられたのかも知れません。
。。。。。。。。
不思議なんだけどねぇ
本当に不思議なんだけど…
『こんな風にはなりたくない』
『自分は絶対にならない』
とか頻繁に思っていると
ある年齢に達した時に
最もなりたくなかった嫌な人間に、実はなっているものなんだよ
。。。。。。。。
宗嘉先生がある時そう呟いていたのを思い出しました。
『難しいものですねぇ…』と会話しました。
🔴だって嫌なものは嫌ですよね。
不快な思いをしたのは事実で
『こうなりたくない』と思うのは当然のことでしょう。
それなのに自分がそうなってしまうなんて。何故なのでしょうね。
🟦良いものも、悪いものも、脳からすれば刺激には変わりないから。データとして蓄積されてしまうんだよね。
🔴刺激の頻度が高いものが優勢になるということですね。
🟦そういうこと。
だからそこから脱するには…
ネガティブな情報を打ち消すほどの強さを持ったポジティブで具体的な情報を常に入れ続けるしかない。
だけどそのポジティブで具体的な情報が見つからないから、みんな苛立つのだろうね。
🔴そこですよね。
本当に、そこなんですよね…
長く生きて人生の経験も積んだのにステキになれるとは限らない。
『若い頃は綺麗だったね』とか
『ステキだったね』とか
過去形で表現される人の方が多い。
せっかく長寿時代を迎えたのに幸せ度が少ないのではあまりにも悲しい。
大人の女性が生き生きと輝けるような具体的な提案を今後のよし庵で展開する予定です。
外見を整え、気持ちを整え、話術を磨く…
楽しみながらご参加いただけるようなプログラムを考案中です。
どうぞお楽しみになさってくださいませ😊🤲
●宗嘉先生との対談を終えて
宗嘉先生との対談の後には、大抵においてじわじわ〜と隠れていたメッセージを感じるのです。
今回もそうでした。
感じ取ったメッセージは
『無理にストレス発散しようとしないこと』
でした。
生きている限り、何かしらのストレスはあるでしょう。
でも辛いからと言ってストレスを何かでごまかさないことが大事ということでした。
ごまかすのではなく『離れる』
意識だけを遠くに持っていく。
旅に出るのではありません。
身体はそのままです。
意識を遠く、高く持っていく。
今の私ではない、見たことものない輝く私にするために。
逆に良くないのはこのような行動です。
・飲食でごまかすこと。
・大声で歌って発散させること
・大きな音で音楽を聴くこと。
これらは五感を麻痺させると言えます。
何かでかき消すように振る舞ってもストレスは無くなることはなく、却って自分が強く意識していることを後から実感してしまいます。
そして身体に負担が掛かってしまいます。
そう考えると、日本文化はよく出来ていると改めて思うのです。
茶道、書道、華道、香道
これらは大きな音もなく静かに集中し昇華する文化です。
たたみ1畳、または半畳以内で鍛錬が進みます。
どこか特別なところに出掛けたわけでもないのに、お稽古が終わると気分はスッキリ。
日本人の平均寿命が高いのは、このような文化のお陰かも知れません。
大事に大事に、これからもお稽古に励みたいと思いました。
●されど平点前
風炉の季節を迎えました。
半年ぶりの風炉のお稽古のため、平点前をご要望の生徒さまが多くいらっしゃいます。
お稽古を終えられて
『あぁ、私は基本が身に付いていなかったんですね…』
と肩を落とされることがあるのですが、全くそうではないのです。
真反対なのです。
『違うのです。お力があるからここまで注意ができるのです。』
と申し上げます。
全ての流れが身体に染み込んでいらっしゃるからこそ、プロの技なるものを少しずつお伝えしております。
手の動き、足の動き、右手、左手、三手、二手…
これらを全部覚えられたら、是非とも宗嘉先生のきめ細やかな配慮にご注目いただきたいのです。
・指の関節の曲がり具合
・動きと動きの時間の間隔
・身体の重心と支点の所在
・柄杓の斜度
・動きの振れ幅
宗嘉先生であれば、たとえ平点前でも、たとえ盆略点前でも、目の前の方を感動させることができるでしょう。どんなに軽いお点前であっても商品にすることができる。
それがプロの技です。
プロの何がすごいのかは口ではつたえられません。
技を真似してもらい、宗嘉先生のメンタリティを少しずつ体得していただいています。
生徒さまは、他にお仕事を持たれていたり、ご家庭でご家族に力を尽くされていたりと、茶道に割ける時間が限られております。
ですが趣味としての茶道であっても、本物の技を知ることで人生の深みが変わってくると私たちは思っています。
限られた時間だからこそ、その輝きが際立つこともあるでしょう。
色々なお点前がある中で、『平』に時間と労力を傾けることが出来る。
ある意味、贅沢かも知れません。
されど平点前。
楽しい時間でありました。
●宗嘉先生の和菓子『青楓』
5月になりました。
今年の5月はとても爽やかですね。
ちょっと雨が多いでしょうか。
雨が好きな私には却って嬉しいのです。
宗嘉先生の手作り和菓子『青楓』は、爽やかなレモン餡🍋
さっぱりとしたお味を楽しんでいただきたく、お出しする直前まで冷やしておきます。
レモン餡を包んでいるのは、木漏れ日を表現した寒天。
透明な寒天に翡翠色の道明寺粉が踊り、生命力を感じさせます。
よし庵の茶庭にも美しい立ち姿の楓が風にそよぎます。
ほんの少し前まで幹と枝ばかりになって寒さに耐えていたのに、今ではたくさんの葉をいっぱいに広げ、陽の光を愉んでいるよう。
生徒さまもお稽古の前後に茶庭に目を向け、季節の移ろいを味わってくださいます。
美のお手本は自然なのだなぁと改めて感じました。
