講師(宗夜)ブログ
●茶道のバックグラウンド
宗嘉先生の動画のうち、裏千家茶道とキリスト教との関係を解説したものがあります。
その動画をご覧になられた生徒さまから、このような質問を受けました。
『茶道って禅仏教から生まれた日本文化ですよね。それなのに他宗教であるキリスト教からも影響を受けているんですか?』
『ああ、そうですよね。普通はそう思いますよね。』
仏教は紀元前6世紀ごろに北インドで生まれたと伝わります。そしてお釈迦さまの死後、弟子などによって教えが徐々に広がり大陸を巡りました。
元々の土着信仰も巻き込んで独自の発展を遂げながら普及したと言われています。
そのうちの一つがシルクロードでキリスト教とも交わり『極楽浄土』という新たな発想を得ました。
それらが海を越えて様々に日本にも伝わり、仏教という形の中で間接的にキリスト教の概念も私たちの意識に根付いていったと思われます。
善悪とか、天国や地獄といった概念の土壌は、既に日本人の中に根付いていました。
それらが外国から来た煌びやかな人たちの口から流れると、新しい光となって瞬く間に人々を魅了していったのではないかと想像します。
ところどころで共通点があって、でも自分たちとは少し違った香りがする。
その塩梅が絶妙だったのではないでしょうか。
美しい抑揚を持つ外国語。
まるで何かのメロディのよう。
優しくて美しくて豊かな光の世界に、人々は希望を求めたのだと思います。
殺伐としてどうしようもない辛い世の中。
そういう時代を迎えると、人は『たった一つの絶対的な存在から丸ごと救われたい』という気持ちを持つものだと聞いたことがあります。
日本には八百万の神が棲んでいらっしゃるけれども、本当に辛い時には、あっちの神様、こっちの神様と願い別にお祈りする余裕は消えてしまう。
とにかく今の状態からどうにか私を救い出してもらいたい。お願いだから。
そういう気持ちで教典を勉強したり、お経や念仏などをとにかく一心に唱えるものだと。
為政者からすると、信仰はとても扱いが難しいことでしょう。言っていることは素晴らしいんだけど、為政者自身に注目が集まらないと治政ができない。自分のために喜んで働いてくれなくなるから税の取り立てが困難になる。
弾圧すればどこまでも抵抗するし、町は荒廃して世の中はますます乱れるし。
心の中まで統制は出来ない。
しかも信仰は世代を超越して伝わる。
知らず知らずに日々のルーティンワークに組み込まれていくから。
茶道はある意味、融和政策なのかもしれません。
『心の中で信じていて良いよ。でも「キリスト教」って口に出すのはやめてね。あと教会に行くのもやめて。赤ワインを飲み回しするんじゃなくて、茶室でお茶を飲み回しするならいいよ。』
救いを求める人間の気持ちは、どんな世の中でも絶えることはないのだなぁと思います。
子どもが高校生だった頃、唐突にこのように質問されました。
『人間に宗教は必要なの?』
(来た来た。ついにこういう質問が来た。)
成長を嬉しく噛み締めながら
『必要だよ。』
と言い切りました。
『ただし、宗教という形を取っていなくてもいいと思う。何か自分の気持ちを支えてくれるものがあれば、それがその人の宗教だと私は思っている。』
世の中は厳しい。
今も昔も厳しい。
人は誰もが不完全なのだけれど、大人になるとそれは許されない。完全を求められる。
または完全を目指すよう求められる。
誰から、とは言えない。
世の中から、としか答えられない。
だけど、人間はそんなに頑張れない。
限界があるから、失敗だって様々にある。
そんな時、
『それでも良いよ。失敗を経験することも成長だよ。』
と慰めてくれて忘れさせてくれて、明るい気持ちにさせてくれる存在とコミュニティが必要なの。
そういう場所を心に持てたら、それが幸せというものだろうなぁと思いました。
茶道はやはり救いの道なのだろう、と改めて思いました。