講師(宗夜)ブログ

2023-09-25 20:26:00

●長月 正午の茶事

2023-09-24正午の茶事.jpg

9月24日のお昼より

よし庵にて正午の茶事が催されました。

コロナの収束に伴い、お茶事の作法が法定通りに戻りました。

生徒さま達には袖落としをご用意いただき、左の振りに入れ、右の振りにはポケットティッシュをご持参いただきました。

 

『皆さま本日はどうぞよろしくお願いいたします』

『お…お願いいたします…』

だいぶ緊張のご様子。

大丈夫です!私も宗嘉先生も常にどちらかが側におりますから!

ですがその緊張も、お料理が進むと自然にほどけてきました。宗嘉先生のお料理の優しいお味が、皆さまの心に届いたのかも知れません。茶懐石料理では確かに作法は少し複雑なのだけれど、これも『慣れ』が大事なようです。

茶道のお稽古と同じなのですね。

 

茶懐石料理では、ご飯から頂きます。

料亭などの懐石料理ではお汁から頂き、箸先を汁で湿らせてからご飯を頂くのに、何故なのだろうといつも思っていました。

茶懐石料理の席では、ご飯の炊き方に工夫があり、飯器の持ち出し毎にご飯の炊き具合が異なるので、その時間の経過を敏感に味わうためだと聞いたことがあります。

 

ご飯はほのかな甘味を持っています。

最初のご飯は水分が多め。

ややべちゃっとした感触。

でもその柔らかいお米の粒々が、私たちの身体に穏やかに語りかけているのかも知れません。

『さぁ、これからご飯ですよ…』

その声は囁きに似た微かなものなので、もしもお汁から味わってしまうと、出汁の旨味で聞こえなくなってしまうのかもしれません。

美味しいものを食べると、嬉しい。 だけど欲に駆られて食べてしまうと、ある時点から美味しく感じられなくなってしまいます。

それはあまりにも寂しい。

食材にも亭主にも感謝ができなくなってしまう。

だからちょうど良い量を身体が欲しがるように、舌とか食道とか内臓とかに、ちょうど良い強さの刺激を与えて、ちょうど良い量の消化液を分泌できるように計算されているのかも知れない。

そんなことを思いながら、皆さまにお作法をお伝えしておりました。

 

その後、初炭、縁高によるお菓子の持ち出し、腰掛け待合に移動して小休憩、濃茶、後炭、薄茶とお席が進みました。

 

お正客さまは、見事に問答を覚えておられ、つつがなくお茶事が運びました。

お次客さまは、ご入会して半年の生徒さま。

今回が着物デビューの日だそうです!

着付けの腕も、茶道の腕と同じく、確かなものをお持ちで頼もしく感じました。

三客さまは薄茶のご担当をいただきました。

その話は後ほど…。

お詰さまにはベテランの生徒さまにお願いしました。

お皿の拝見や腰掛け待合での作法など、ところどころで助けていただきました。

それからモデル兼カメラマンの太田真弓さま。

陰日向なく活躍していただき本当にありがたかったです。

 

 

さて、薄茶のお席をご担当いただいた生徒さまにつきまして。

皆さまから『完璧でしたね』と称賛のお声が掛かりました。

宗嘉先生も『上手になりましたね』とお声を掛けておられました。

工藤は水屋でのお仕事があり、お茶室に近寄ったり離れたりで、様子を全て伺うことはできなかったのですが、お茶室から流れてくる充実した空気を感じていました。

 

その生徒さまの予行練習を工藤は当月に2度ほど見させていただいておりました。

その時に不思議なことが起きました。

生徒さまに近寄るとオーケストラの音楽が聞こえて来たのです。

明瞭ではなく、ドア一枚隔てたような聞こえ方。

音量が大きいところや音の高いところが、切れ切れに、ややくぐもったような聞こえ方でした。

(チャイコフスキー…?)

チャイコフスキーの交響曲『悲愴』の第2楽章。

生徒さまの気質と同じく、穏やかで滑らかな旋律。私の一番好きな楽章です。

お稽古がひと区切りついたところで、生徒さまにお尋ねしました。

『チャイコフスキーがお好きなんですか?』

『はい、好きです。演奏してました。』

生徒さまは学生時代にオーケストラに所属され、ホルンを演奏されていたのでした。

『悲愴も全部最後まで演奏されていたんですか?』

『ええ、しました。大変でした。』

『うわー、すごい。50分くらいあるのに、あれ全部演奏されていたんですね。でも楽しかったでしょう。』

『楽しかったです!』

そう語る生徒さまの瞳はキラキラと輝かれ、学生時代に戻ったかのようでした。

本当に楽しかったのだろうなぁと思います。

私も一時期オーケストラに憧れました。

クラッシック音楽に詳しいわけではないですが、チャイコフスキーは中学生から大好きでした。

中学生の時にCDが巷に出始めたのです。

レコードは針が曲がると聞こえなくなるから触るな、と両親に言われていたのですがCDでしたら操作は簡単です。

おかげで何度も好きなだけ聴くことができました。

『悲愴』は、ところどころで胸が締め付けられるようなロマンチックな旋律があり、聴くたびに涙が出そうになります。

ホルンは演奏したことは一度もないですが、あれほどの長い管に息を通すのですから、長期間に渡って相当な練習が必要だろうと想像します。

ホルン仕様の身体を作らないといけません。

最初は本体には触らせてもらえず、マウスピースだけでプープーやっていて、そのうちに先輩に横についてもらいながら1曲…1曲…と仕上げていったのではないでしょうか。

最終的にはオーケストラで交響曲まで演奏されて素晴らしいことだと思いました。

演奏中には身が震えるほどの感動を味わったことと存じます。

 

そして先ごろは茶道のお稽古のなかでも、同じような集中力と感動を味わっていただけたのではないかと思いました。

生徒さまは立ち方座り方歩き方から始めました。

お道具を扱う時に指が開く癖がおありでした。

それがどうでしょう。

数年かけて立派なお茶人さまになられました。

ちょっとずつ、ちょっとずつ…。

途中で休んでも良いから、 心に余裕ができたらまたちょっとずつ。

 

田んぼで稲を育てるように。

一年を通じての苦労に感謝して。

ちょっとずつのご飯。

ちょっとずつのお汁。

ちょっとずつ出てくるおかず。

お菓子もちょっと。

抹茶もちょっと。

実はちょっとが一番強い。

そして、ちょっとが美しい。