講師(宗夜)ブログ

2022-10-30 15:25:00

所作(56)●ジェネレーションギャップ(世代格差)

いつの世もジェネレーションギャップ(世代格差)によって人は翻弄されるもの。

今、世界中で起きている格差乖離のスピードもまた凄まじいと感じています。

 

まだ子どもが高校生で家に居たころ、パスコードについて尋ねました。そのころの私はパソコンの勉強など全然しておらず、iPhoneのアプリも使いこなせず、何が何やら全然分からない状態でした。

 

パスコードの作り方などを尋ねたように思います。子どもは面倒臭そうに溜息を吐きながら…

 

『だからさ(はぁ…)、ここでパスコードを入力するんだよ。それじゃあダメだよ。』

『8ケタってあるんだからさ、適当に大文字や小文字や数字混ぜて強力そうなのを作るんだよ。』

 

ええ〜っと、ええ〜っと、と言いながら何とか入力している私を見て、

 

『なんか大変だね。コードひとつ入力するのにこんなに時間が掛かっちゃうんだね。それじゃゲームできないね。』

『ゲームってこういう事するの?』

『そうだよ。暗唱コードの連続だよ。適当に打ったのを一瞬で覚えて、さっきの下4ケタ引っ張ってきて、次のと足したり。違ったら2回前の記憶を引っ張ってきて作ったりするんだよ。』

『???』

『あ、ごめん。(クスッ…)分からないよね。』

 

クスッ…といま、鼻で笑ったけど。

もうそんなこと気にならないほど驚いてしまいました。

(イマ、何ヲオッシャッタノデスカ?)

心の声がすべて機械音になって頭がフリーズしました。

 

これは大変だ。

大変な世の中になった。

当時息子は17歳。

5年後には22歳で世に出ることになるだろう。

社会の仕組みがこの世代を中心として動き出す。

分からないなどと甘えたことは言っていられない。下手をすると社会保障を受けられない可能性も出てくる。

 

『パソコンとじっくり向き合ってみよう』

と思い自分専用のパソコンを新たに購入した途端、コロナ禍になりました。

以前もパソコンは持っていましたが、当時はとにかく勉強不足でスペックも何も分からず、夫が買ってくれたものを時々ちょこちょこといじる程度でした。CORE

i3の4GBでした。

これではzoomも動画視聴もままならず、販売店で店員さんに質問しながら、自分の用途に合うパソコンを購入することができました。

 

今もまだまだ勉強は足りませんが、それでも何となくパソコンのことが分かってきました。

パソコンにはパソコンの理屈が合って、その理屈に自分を合わせて操作するんだなと思いました。

一足跳びには操作できず、丁寧に丁寧に操作する必要があると分かりました。

そしてパソコンにも心があるように感じられてきました。自分がパソコンを好きになると、パソコンも好きになってくれる。

それを宗嘉先生に伝えるとこう言われました。

 

『そうなんだよね。人工物だから心がないように思う人が多いんだけど、パソコンにも心があるんだ。だから丁寧に扱ってくれる人を機械も好きになるんだよ。好きになられたら得意になってきたでしょ?』

 

得意とまでは言い切れないけれども、ようやく面白いと思えるようになりました。自分の新しい扉を開けてくれる仲間に思えてきました。

 

そんな私はいま、WEBカメラを用途別に2台使い、モニターも使って自宅でzoom着付け教室のお稽古を行っています。

昨年末、息子が帰省した折に、それらの機材を見つけて目を丸くしていました。

 

生涯現役で仕事をするためには、次世代を魅了し続ける必要があります。

世代ごとに意識も異なるから、分かり合えないこともあるかもしれないけれど、理解しようと前向きになることは大切だと思いました。

やってみたら面白かった。

怖くなかった。

ここから団塊ジュニア世代の猛追が始まる。

2022-10-30 13:30:00

所作(55)●量子論と般若心経

休日に何となくテレビをつけたところ、量子論についてのドキュメンタリー番組に当たり、つい見入ってしまいました。

 

ブラックホールに吸い込まれた情報は永遠に失われるとする相対論に対して、『それはあり得ない。受け入れ難い。』とする量子論。

20年という歳月を掛けて『情報は失われるのではなく、別のところに投影されている。』という量子論が数式で証明された、という内容の番組でした。

計算も、数学も、物理も、化学も、大の苦手の私には数式も理論もさっぱり分かりませんが、こういった事象が万人を前にして証明できてしまうというところに非常に驚きました。

 

この世の中は幻なのかもしれない。

私たちはその幻の中で生きているのかも知れない。

そのような言葉で番組は締め括られました。

 

あれ?この言葉どこかで聞いたことがある…。

般若心経でした。

この世には、色も音も味も香りも感覚も何もない。何もないから良いも悪いもない。

だって何もないんだから。

何もないから苦しいも辛いもない。

だって何もないんだから。

↑これは私の解釈です。

そしてまた、これはそのままよく宗嘉先生に言われる言葉です。

 

この世は幻。

良いも悪いもないの。

だから楽しいことを考えて楽しく生きた人の勝ちなの。

 

この世は幻…。

この言葉を受けて、番組では学生役の女優が大学教授に噛みつきます。

『え?でも今現在、私たち生きてるじゃないですか。幻と言われてもピンと来ないな…。』

 

ああその気持ち分かる。

私も昔はそうでした。

今は実体験を受けてピンときます。

私の実体験というと、どうしても子どもとの経験になります。

 

20年前、確かに私は子どもを生みました。

耳に赤ちゃんの頃の子どもの声が残っている。

腕にも抱っこした時の感触が残っている。

ぷくぷくのほっぺ。

かわいい。

小学生まではこの可愛さが続きました。

 

だけど中学生になり、高校生になり、体も態度も大きくなり、ふと、

『あの…。どなたさんですか?』

と問いたくなるような気持ちになりました。

 

かわいいというよりも緊張感の方が先走ります。

高校生になると常に張り合ってくる。

隙あらば見下そうとする。

一瞬一瞬が勝負の連続。

一歩も引かない覚悟で息子と向き合う日々。

門限も定め、家のルールに従わせる。

『納得いかないんですけど』

ある時、友達の門限を表にまとめて抗議してきました。

『じゃあ、あなたはその子の家の子どもになるんですか?今現在、あなたは高校生でこの家の保護下にある。家を出たら勝手にしなさい。それまではこの家のルールに従ってもらう。』

こういった対応を間髪入れずにその場で即断するところに親の凄みがあるわけだから、本当に毎日疲れました。

だけど…

そんな思い出も、もう4年も前のこと。

今では息子のものは布団も含めて全て片付けて、私の仕事部屋としてzoomの着付けに使っている。

思い出は徐々に色褪せて、あんなこと本当にあったっけなぁ…と思えてくるのです。

 

そんな一連の経験を思うと『まぼろし』という言葉がスッと私の心に馴染んできます。

映画でも見ていたような、そんな感じ。

宗嘉先生と一緒に仕事をしている今の生活も、少し前のことを思い出すとやはり映画のような感じ。

映像は脳裏に浮かぶのに温度は感じられない。

もう過去のことなので、その映像に対しては何の感情も湧かない。

 

これが現実なのだと今は思います。

やっと現実が分かってきました。

地面を踏みしめている実感を得ています。

実感を得ているので虚しくありません。

幻かもしれないけど、虚しくない。

一瞬かもしれないけど、いま私は生きている。

ただただ自分を生きるだけ。

2022-10-24 17:56:00

所作(54)●よける技術

生涯を全うする上で、ぜひ身につけたいと思っているのが『よける技術』です。

世の中には色々な人がいて、色々な念が飛び交っているのを私も感じるようになりました。

身体の声を聞き、心の声を聞き、自分の脳波を整えることが大切と思えるようになりました。

 

『嫌だなぁ』と一瞬思ったら、すぐよける。

ラジオのチューナーを回すイメージで相手の脳波をよける。

避けきれなくて念を受けたとしても、ダメージを被ったのはさっきの自分であって、今の自分ではない。

残像が空気に残っているかもしれないけど、それは今の自分ではない。

あ、痛そう。でもそれ、私じゃないから。

昔の映画『マトリックス』のイメージです。

大事なのは不快感を持たないこと。

よける。よける。よけることだけに意識を集中させる。出来ればよけることに楽しみを持つ。

『不快感を持たないこと』

これは宿坊体験でのご住職から伺った言葉でした。

 

10年近く前、関西のあるお寺を訪ね、3日間の宿坊体験をしました。

作務衣を着て、掃除をしたり、写経をしたり、座禅を組んだり、護摩焚きに参列したりしました。

昼間は観光客もいてお寺は賑やかです。

でも夜は私たちしか居ないのでしんと静まり返っていました。

夜8時に座禅を組むという修行をしました。

黄金色に輝く仏像と対峙して座禅を組みます。

半眼にして、やや前のめりの姿勢を保ち、静かに呼吸します。ご住職が私たちの周りを警策(きょうさくorけいさく)を持って練り歩きます。

背中を打たれたい人は、ご住職が近くにいらした時に合掌したままお辞儀し、前のめりの姿勢を更に強めます。

すると肩に警策を少し当てたあと、背中の真ん中辺りを狙うようにしてパンっパンっと打ってくださいました。

痛いと言えば痛いけれども、すごくスッキリしました。座禅中、何度かお願いして叩いていただきました。

 

その座禅中に不思議な体験をしました。

半眼の座禅中に夢うつつな私の周りを、小さな子どもが走り回る感じがしました。

修行者の間をくるくると走り回り、『終わったよ、終わったよ』と呟いていました。

(え?終わったの?)

と思って目を開くと、まだ座禅の時間は続いていました。

(なんだ、まだ終わってないじゃん)

と思って座禅を続けました。

その話を一緒に連れて行った子どもにすると、子どもも、『僕もその声聞いた』と言っていました。

森の精か何かが、自分たちに興味を持ってくれたのかなぁと思いました。

 

宿坊体験の最終日。

ご住職が最後の説法を聞かせてくださいました。

………………………………………………………

不快感を持たないことを皆さまにぜひお願いしたい。難しいかもしれないけれども、ぜひお願いしたい。そして未来の楽しいことだけを心に浮かべてほしい。

未来の希望は、叶えてから幸せになるんじゃないんですね。希望を持ったこの瞬間から、もう既に幸せになってしまうんですね。

そうじゃないと、不思議なことに夢を叶えても幸せになれないんですね。

……………………………………………………..

 

先に幸せになる。

幸せになる準備をして、先に幸福感を得る。

不快感を上手にすり抜けて、自分の意識を高い次元に合わせてチューニングする。

とても大事な技術です。

簡単ではないですが鍛錬していきたいと思っています。

2022-10-24 15:54:00

所作(53)●集中している姿を見るのが好き

子どもの頃から集中している人の姿を見るのが好きでした。

 

人は集中すると静かになります。

そして呼吸が整って深くなります。

鼻呼吸になるようです。

そういう人のそばにいるのが好きでした。

 

幼い頃、母がよく手作りのお人形を作ってくれました。着られなくなった子供服のあまり布などで、実に上手に作ってくれました。

手元を動かしている最中の母はとても静かで、呼吸が整っていました。

お料理をしている姿を見るのも好きでした。

みるみる間に食材が料理に変わっていくその様子はマジックのようで、母は天才だと思いました。

次に何を必要とするか分かるようになって食器を揃えたり、道具を出したりするようになると、

『よく気が利く』と褒められ益々張り切りました。

 

私自身は子どもの頃、絵を描くのがとても好きで、紙と書くものさえあれば何時間でも楽しめました。泥んこ遊びも大好きで、よく庭を穴だらけにしました。

 

4歳の時、近所の子の家で泥んこ遊びをしたら、すごい剣幕で怒られました。

『え?こんなことで怒られるんだ…』

その子が非常に気の毒になりました。

そして自分が恵まれていることを知りました。

泥んこ遊びをしていても、お絵描きをしていても、私が集中している時には邪魔をせずに、ずっと集中させ続けてくれました。

 

子ども時代に楽しみながら集中している時の脳の活動が、その後の人生に大きく影響するのではないかと思っています。

これこそ生きる喜びの原型ではないかと思うのです。

 

自分の子を見ていてもそう思いました。

子どもは遊び食べをします。

掃除が大変で閉口しましたが、これは好きなだけさせてあげた方が良いと言われました。

そこでビニールプールを用意して、その中で好きなだけ遊び食べをしてもらいました。

 

子どもの遊び食べでは、べちゃべちゃと食べ物を下に落とします。

どうやら落ちる様子を観察しているようでした。

ベチャッという音。

その広がり方。

柔らかい時と硬い時の食材の差。

手で潰した時の肌に伝わる感触。

種の様子。

 

こういった観察は小学生になっても続きました。

海に遊びに行ったある日、夕方に砂浜でブルドーザーが砂を掻き集めていました。

海の侵食を止める作業でした。

 

ガガガガガッ

とっぷん

ザザーッ

ポロポロポロ…

 

ガガガガガッ

とっぷん

ザザーッ

ポロポロポロ…

 

何が面白いのか子どもがその様子を見て動かなくなりました。

『そろそろ行かない?』

声を掛けても

『うん、もう少し』

と言って動きません。

 

いつも思います。

こういう時の人間の脳の中はいったいどのような光景なのでしょうか。

私は勝手に想像しています。

楽しみながら集中している人間の脳内は、とても美しいのではないかと。

情報の伝達を活発に行っている時の神経細胞は光を発するそうです。

そうなると集中している時の脳内は、まさに夜の星空のように美しいのではないかと思っています。

 

茶道をしていても、生徒さまの脳の中で、美しい星空が広がっている様子を感じます。

キラリキラリと瞬く星。

残像を帯びて流れ星のようです。

私たちが星空を見ていて美しいと思うのは、私たちの脳内に同じ光景を持っているからではないでしょうか。

自分の脳内は見られないけれど、内在する世界を星空に投影して、美しいような懐かしいような思いを抱くのではないだろうかと思っています。

2022-10-23 14:37:00

所作(52)●うさぎの悩み、うさぎの強み

誰よりも早くゴールに到達してしまう、うさぎ。

 

すごいねぇ何でもできちゃって。

悩みなんてないでしょう。

 

そんなことはありません。

我が身とカメを比べます。

みんなの声援を一身に受けながら、ひた向きに歩を進めるカメ。

いいなぁ〜。楽しそうだなぁ。

カメは計算してません。素です。

そこがまた良い。

遅いのに、何だか楽しそう。

自分はそうなれない。

 

うさぎにはいつも見えてしまうんです。

最短距離が。

どう努力をすれば目的地にいち早く到達するのか見えてしまう。見えたからには努力する。

努力は怠らない。決して。

そういう性格です。

そして努力が実って、一番でゴールに到達した。

やったー!すごく嬉しい。

でも、あれ?…虚しい。

 

何人かは褒めてくれます。

でも虚しい。

そうか、自分は誰かの賞賛が欲しいわけでもないのか…。

努力している最中は楽しかった。

でも一人だけど。

一人だけど、一歩一歩自分の成長を感じられて楽しかった。

でも一人だけど。

いつも一人。

何とか誰かと仲間になりたくて、

場の空気を読もうとして、

溶け込もうとして、

でも溶け込めなくて、

浮いて、

ひとり。

 

虚しいから次から次へと趣味を広げて、またそこでも一生懸命努力して、何となくモノにして、

でも気がついたら…

あれ?ひとり。

 

そう、この可哀想なうさぎは私です。

私、でした。

宗嘉先生に出会うまでは。

 

………………………………………………….

うさぎタイプの人は、横並びの人間関係は作れないんだよね。

つい周りの人を指導したくなってしまう。

色々見えすぎてしまうから。

またそれが的を射ているから余計に癪に障る。

『何を偉そうに…』とうんざりされる。

 

そういう人はね、思い切って偉くなるしかないんだよ。努力に努力を重ねて、うんとうんと偉くなるんだ。指導者の立場になるしかないんだ。

良いじゃないか。

それはそれで素敵な人間関係だよ。

……………………………………………………

 

ああ、良かった。

これでも良いんだ。

子どもの頃から『私は変なんじゃないか』とずっと思ってきた。

『友だち100人できるかな♪』という唄が子どもの頃からプレッシャーでつらかった。

 

悩みは見方を変えると、強みになる。

大きな翼を得たような気持ちでした。

『翔べるよ。翔んでごらん。』

本当だ。

私も翔べました。