講師(宗夜)ブログ
所作(42)●ダメな私を愛してほしい。 ダメだからこそ愛してほしい。
高校生くらいの頃、無性にこんな風に思っていました。そのころ、毎日がとても辛かったのです。
以前は思春期特有の気持ちだと思っていました。
50代に差しかかってみて、あの頃の苦痛の仕組みが分かってきました。
あの気持ちはそのまま母から受けたものだったのだと思います。
高校生の頃、ほぼ毎日母と喧嘩していました。
理由はすべて些細なことです。
『よくそんなに毎日喧嘩のタネがあるね』
他の兄弟から呆れられていました。
私は母が28歳の時に生まれたので、母の年齢は43歳〜46歳でした。
私から母に突っかかったのか、母から私に突っかかってきたのか、よく分かりませんが、思春期のイライラと更年期のイライラが衝突した数年間でした。
つらかったのだろう…。
母の気持ちを思います。
私よりも、母こそ愛されたい気持ちが強かったのだと思います。
そして更年期のつらい症状。
傍らには、まさに女性の目覚めを迎えた自分の娘がいる。
自分の娘だから可愛い。
でも悔しい。
残酷な現実を目の当たりにすればイライラが増すのは仕方のないことでした。
ではもし、母のことを全面的に受け入れてくれるような人物が現れていたら、母は違ったのでしょうか?違ったような気もするし、違わなかったような気もします。
結局は同じで、やっぱりイライラしていたのではないでしょうか。
なぜかというと、母自身が本当の自分の望みを見つけられていなかったからです。
母は、本来は静かな性格だったと思います。
絵を描いたり、書を嗜んだり、和歌を詠むのが好きでした。
ですが、ひとつ短所を挙げるなら、努力を積み重ねるのが苦手でした。
先生に就いてアドバイスを素直に受け入れていくタイプではありませんでした。
趣味は色々あったようですがどれも表面的で、じっくりと精神を傾けている感じは受けませんでした。
自分という軸がいつまでも定まらない。
そこにイライラしていました。
思春期の私も当然定まっておらず、その姿を見るとイライラするのか、私を度々叱責しました。
本当は自分自身を叱責していたようです。
もしかしたら誰かに叱られたかったのかも知れません。
愛情を持って叱ってもらいたかったのかも知れません。
叱られたとしても母の性格では拗ねて聞かないでしょうけど、それでも諦めずに叱られたかったのかも知れません。
イライラする気持ちを鎮めるために、絵や書や和歌を楽しみたかったようですが、どうも独りよがりでした。
人間は一人では、成長できないのです。
自分で自分は見えません。
鏡に映しても視界の届く範囲しか見えず、それは本来の自分ではありません。
そもそも成長とは何か?
成長とは人と仲良く出来ることだと私たちは考えます。
人と仲良くするのは、簡単ではないのです。
我慢することも多い。
でも我慢には限界もある。
また、我慢しすぎると他人から利用される。
自分の色が無いと魅力がないと思われる。
しかし出し過ぎると疎まれる。
なかなか難しい。
でも色々あっても付き合っているうちに、少しずつお互いに愛情が湧いて、何となく家族みたいな気持ちになる。
それが趣味の本質だと思います。
私たちの茶道も同じです。
茶道のいいところは、習得に時間が掛かるところ。真面目な人だけが残る。
茶道が人を真面目ににしてくれる。
少しずつ少しずつの努力を積み重ねているうちに、気持ちも整って、人付き合いも楽しくなってきます。
『今日のお点前素敵だったわよー』
『えー、本当に?ちょっと緊張しちゃった』
『今度は何のお点前するの?』
『茶箱の…。何にしようかなぁ…』
『それにしても今日の帯いいわね』
『ありがとう!これはね…』
こんな会話ができるようになるとウキウキして、学生時代の時みたい。
同年代の友人と、真面目な気持ちで繋がれば、気持ちは毎日晴れやかです。
『じゃあまた来週ねー』
ああ、来週が楽しみだなぁ!
嫉み?嫉み?
いったい何のこと?
私は楽しいの。きっとあなたもそうでしょ?
そう思うと、そのような明るいオーラで満たされて。
不思議なもので、肌も髪も、輝いてくるのです。