インフォメーション

2015-04-15 06:17:00

 北越後にある旧朝日村の人たちが、本町市場の露店に山菜を並べていました。コゴミ、タラノメそしてコシアブラと、これから続々と豪雪の地から山菜が届くことと思います。

 当店では、1月にフキノトウをてんぷらに揚げて以来、菜の花、アマドコロ、ノカンゾウ、ウド、コゴミ、そして最近はタラノメを揚げてきました。

これからさらに、新しい山菜が加わることと思います。常時野菜天ざるに2、3種類の山菜を揚げてお出ししています。山菜の、ほのかな苦みをお楽しみください。

(4月23日は、コシアブラ、ウド、タラノメ、コゴミ、フキノトウの5種を野菜天ざるに盛り込みました。しばらく、山菜の豊富な日が続きそうです)


2015-04-10 22:58:00

 新潟市は、このほど報道機関に配布した「第2回『新潟市民文化遺産』の認定について」で、江戸初期に整備された堀の跡地に建つ人情横丁の共同店舗4棟を新たに認定することを明らかにしました。

 昨年新潟市民文化遺産に認定された「浦安橋遺構」を含め、人情横丁は2つの市民文化遺産を持つことになります。

 今回認定されることが決まった共同店舗の建物は、終戦から間もない1951年に建てられました。戦後の混乱期に路上で鮮魚などを扱っていた露天商約80人が、清潔な環境で市民に食品を提供するために、新津屋小路堀を埋め立てた土地を新潟市から借りて建設したのです。

 模範的市場の実現を目指す組合の要請に応えて、新潟市の技師が設計してくれた建物は各店舗に水道を備え、壁や天井に耐火材を用いるなど、当時としては画期的なものでした。

 堅牢で耐火性の高い共同店舗は、新潟大火や新潟地震などの大災害に耐え、高度経済成長時代の再開発も免れ、建設当時の姿を今も伝えております。

 戦後の焼け跡・ヤミ市時代、全国各地で、戦争で職を失った人や、立ち退きを迫られた露天商のための共同店舗が建てられました。そのほとんどが再開発の波に飲み込まれるように姿を消していった中で、人情横丁の共同店舗は、敗戦という未曽有の国難の中たくましく復興に立ち向かった人々の記憶を色濃く伝える、全国でも希少な建造物として注目されるようになりました。また、江戸初期に現在の街並みの原型となった掘割が整備されたという、新潟の町の歴史的個性をも重層的に投影した遺産となっています。

 今年、私たちは戦後70年を迎えます。敗戦からの生活復興の象徴として建設された人情横丁の共同店舗の歩みを、文化遺産申請のために集めた資料をもとにたどってみたいと思います。近く、「あき乃ブログ 聞き書き人情横丁」で掲載を始めます。


2015-04-06 08:07:00

 東京で開かれる麺産業博覧会を視察するためです。誠に恐れ入りますが、よろしくお願いします。

 なお、代わりに、4月13日(月曜)は定休日ですが、臨時営業をします。


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