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ブックカバー、なぜ日本で普及 江戸起源
昨日に続いて書籍の話であるが、書籍販売は1993年にピークとなり、今はその半分の6000億円強の売上となっているとのこと
確かに、電車でスマホで情報収集する人が大半である
かなり昔は、夕刊フジとか大スポとかがキヨスクに売っていて、よくおじさんらが買っていたものである
特に近江八幡を超えると急に人がいなくなったので、読み終えた新聞を読ましていただいたものである
私が大学生だったころの話である
当時は、大スポ(東京では東スポ)の大げさに見出しが楽しかった
例えば、「阪神身売り」と一面に書いてあって、新聞を広げると下側の面に「か?」と書いてるという仕組み
いつもひっかかるのであるが楽しい思い出である
本を読む際にブックカバーを使う人は多いのではないだろうか。
店頭では文庫本購入者の7割ほどが求めるともいわれる。
起源は江戸時代に遡り、丁寧に扱うことを美徳とする文化の一端を映し出す。
明治以降は集客のために書店がデザインを競い合った。
何を読んでいるか知られたくないという周囲の目を気にする日本人の気質が普及を支えたとする見方もあるようだ。
書店の店員が紙で器用に書籍の装丁を包んで購入者に手渡す様子は、欧米などではほとんどみかけない日本の特徴的なサービス。
どのような経緯で広がったのか、愛好家で作る「書皮友好協会」の代表世話人、みさきたまゑさん(66)に話を聞いた。
みさきさんによると、起源は江戸時代。糸で書籍をとじ込んでいた「和とじ本」を売る際に紙で包み込んだのが始まりという。
■デザイン競って集客
当時は「外包紙」と呼ばれていた。
「神様への供え物を白い紙で大事に包む古くからの文化に通じる」とみさきさん。当時、書籍は貴重で、ものを大切に取り扱おうという意識が外包紙からは垣間見える。
明治時代から大正時代にかけて、街中で書店が増えるにしたがって包装は現在のようなブックカバーへと変わり、普及した。
デザインも多様になった。1
903年(明治36年)創業の一誠堂書店(東京・千代田)では古代エジプトのイラストをあしらったブックカバーを使いはじめ、今でも店頭で扱っている。
25年(大正14年)に創刊した書評雑誌「愛書趣味」では、全国各地の書店の包装が連載で紹介された。
昭和になり、書籍は身近な存在になっていった。
書店は、さらに競うように唐草模様や古代ローマをイメージした意匠など次々と独自に作製し、提供。店頭に並ぶ書籍の品ぞろえに差が出にくいためカバーで違いをアピールした。
大手書店「丸善」で昭和初期まで使っていたブックカバーには社名や取扱商品名が印字されている。丸善雄松堂の広報担当者は「広告としての機能もあった」と説明する。
経済成長期には本を片手に電車通勤する人たちが増え、有隣堂(横浜市)は77年に文庫本用の提供を始めた。
青色やオレンジ色など現在は10色を展開し、年間で160万枚を扱う。
出版科学研究所(東京・新宿)によると、書籍の市場規模は93年に1兆円を突破。情報誌も多彩になっていくブックカバーの特集を組んだ。
有隣堂の広報担当者は「正確なデータはないが、文庫本購入者の7割ほどがカバーを求める」と説明する。
今では書店だけでなく、文具メーカーも本革やイ草など素材にこだわったブックカバーを作るようになり、愛読家から重宝される。
なぜこれほどまでに国内で定着しているのか。
東京女子大学の唐澤真弓教授(文化心理学)は「何を読んでいるか人に知られることで、周囲から自分のことを勝手に判断されるという怖さがある」と推察する。
日本人は他人の目を気にする傾向があるといい、自分を隠したいという心理もブックカバーに潜む。
だが、経費節減や環境配慮などへの観点から今では店員が「おかけしますか」と声をかける。
電車の中ではスマートフォンを握るようになり、読書をするのは少数派だ。
本離れが進んで、市場規模は96年の1兆900億円をピークに右肩下がりで、2021年には6800億円にまで縮小した。
全国の書店の数も20年に1万1024となり、20年間で半分になった。
店舗の減少に伴ってブックカバーも提供機会は減った。本を大切に扱うという気持ちが形になった文化は薄れつつある。
魅力を再び伝えようと、書店などが参画する「本の日」実行委員会は19年にブックカバー大賞を創設した。
デザインを募集し、大賞に選ばれたカバーを全国各地の書店で扱っている。22年には約11万枚が提供され、着実にファンをつかんでいる。
書籍需要の大幅な回復は簡単ではないかもしれない。
それでも実行委員会のメンバーで書店運営を手がけるブックエース(水戸市)の奥野康作社長は「カバーを通して書店に足を運ぶきっかけを作りたい」と意欲をみせる。