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異次元緩和修正 各国の歴史と失敗
日銀総裁が変わるのあたって、異次元緩和修正が予想されます
こういった事例の過去の失敗策がないだろうかとずっと思っていたところ、下記のような論述がありました
言葉は少し難しいですが、非常にわかり易く説明されています
豪州と米国の事例です
いずれにしても、過去のやり方がおかしかったため、修正にはリスクが伴います
急激なインフレもあり得ますので、物は今のうちに持つようにしたい
「長短金利操作(イールドカーブ・コントロール、YCC)に固執することはなくなるだろう」。
ある日銀関係者は来るべき政策修正に向けて身構える。
YCCは日銀が国債を無制限に買い入れ、長期金利を無理やり抑え込む政策だ。
総裁が経済学者の植田和男氏に交代すれば、副作用を無視した政策運営は続けにくくなる。日銀内の空気も変わりつつある。
豪州は「出口で混乱」
長短金利操作からの撤退は難路だ。
長期金利の上限を突然取り払えば、想定外に金利が跳ね上がりかねないリスクがある。その恐ろしさを身をもって経験したのが、オーストラリア準備銀行(中央銀行)だ。
豪中銀は新型コロナウイルス禍に見舞われた2020年3月、3年物国債の利回りを政策金利と同じ0.25%に抑えるYCCを導入した。同年11月には政策金利と3年金利目標を0.1%に引き下げた。
だが、21年後半にインフレが加速すると、豪中銀は国債購入の増額を迫られた。21年10月発表の7〜9月の物価上昇率が市場予想を上回ると、豪中銀は金利上昇を抑えるための国債購入を断念。
3年金利は目標の0.1%を大幅に上回る0.8%程度まで急騰し、豪中銀は11月にYCCをそのまま放棄した。
「出口で市場に混乱をもたらし、中銀の評判に打撃を与えた」。豪中銀が後に公表した報告書にはYCCへの苦い思いがにじむ。
撤退戦の難しさを示すもう一つの例がある。
米連邦準備理事会(FRB)による1942〜51年の「国債価格支持政策」からの撤退劇と、FRBの独立性を確保したアコード(政策協定)締結に至る経緯だ。
国債価格支持政策の仕組みは今の日銀のYCCの相似形だ。短期金利に0.375%、長期金利に2.5%といった上限を設け、国債価格を支えた。
経済不安定化も
第2次大戦下、戦費を低利で調達する「戦時の緊急対策」のはずだった。ところが戦後になっても、当時のトルーマン大統領の意向でFRBは政策の継続を強いられる。FRBは長期金利の目標死守のため、大量の国債購入を迫られた。
FRBが無理やり長期金利を低く抑える政策は、朝鮮戦争の勃発でインフレ圧力が高まるなか、経済や市場を不安定にした。
政策の解除を求めたFRBは政権や財務省と対立し、議会を巻き込んだ議論を呼ぶ。FRBと米財務省は51年3月、FRBの独立性を認めるアコードを結び、ようやく国債価格支持政策の撤廃にたどり着いた。
日本はどの道をたどるのか。豪州のような突然のYCC廃止は市場の一段の混乱を呼ぶ。
一方で長期戦を決め込むと、経済や財政の「低金利依存」は強まり、将来の財政不安や成長力低下のリスクをためこむ。
政府債務が主要国で突出し、低成長が続く日本は豪州や戦後の米国と比べても厳しく、時間の浪費は許されない。
政府と足並みをそろえたうえで正常化に向けた青写真を示し、市場と真摯に向き合っていくことが植田日銀の課題となる。
「狭い道」へ最初の一歩を踏み出す時が近づいている。