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2023 / 03 / 13  05:00

福井「鯖街道の宿場町」 古民家は挑戦の場、若者呼ぶ 北陸 覚醒する伝統の街

湖西から若狭へ行く道中に、素敵な宿場町があります

熊川宿です

私も何度か通過時に立ち寄りましたが、道の駅もありいい感じのドライブコースですよ

 

 

 

江戸時代、若狭地域の海産物を京都へ運ぶ鯖(さば)街道の主要拠点として隆盛を極めた熊川宿(福井県若狭町)。

 

古民家を「挑戦する場」として若者らが流入し、活気が戻りつつある。

 

観光収入に頼るだけでなく「暮らし、働ける街」へ。

 

地元住民との両輪で、循環型の新たな宿場町を模索する。

 

JR小浜線の上中駅(若狭町)から東へ車で10分ほど。

 

滋賀県境に近い北川沿いの谷間に熊川宿はある。

 

国道沿いに1キロ強延びる旧街道は両側に古民家が立ち並び、宿場町の風情が残る。中心部は荷を引く馬がすれ違って余りあるほど道幅が広く、当時の往来のにぎやかさを物語る。

 

繁栄した宿場町も、鉄道や自動車など交通手段の変化によりその役目は終わった。若者は職を求めて都会に流出し、空き家が増えていった。

 

住民は観光収入による町並みの維持を決意。1996年に重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されたものの、人の流出に歯止めはかからなかった。

 

きっかけは2018年。東京で施設開発を手掛けていたデキタ(若狭町)が熊川宿に移転し、中心部の大規模古民家を改修してシェアオフィス・交流施設を開設した。
東京の人気カフェを誘致。住民の手作り料理も楽しめる1棟貸し宿の整備も進めた。福井県おおい町出身の時岡壮太社長は「都会の商業施設などの開発より、熊川宿の魅力に可能性を感じた」と移転理由を話す。

 

 

 

こうした動きに「自分も重伝建の古民家でやりたいことができる」と若者が若者を呼ぶ構図ができた。

 

私設美術館や陶芸店、リサイクルショップ、学校給食をテーマにしたカフェから忍者体験施設まで、個性あふれる店舗が街道に彩りを与える。

 

22年にはデキタなど地元4社と若狭町が、熊川エリアの開発を担う第三セクター「クマツグ」を設立。街づくりは新たなステージに入った。

 

 

 

観光収入頼みでは、新型コロナウイルス禍など社会変化に左右される。

 

産業を育成することで地区内に循環をつくり、その営みを観光客に見せる。

 

時岡氏は「新たな事業を始める際、資金調達などで(行政も加わる)クマツグの信用力は大きい」と取り組み加速へ狙いを語る。

 

そこで掲げたのが伝統的な食文化と周囲の自然を生かした魅力づくり。

 

イベントスペース兼食品加工施設を整備して特産の葛の葉茶、伝統野菜を使った食品などをアピール。

 

担い手不足に悩む「熊川葛」を振興するため、生産施設も改修・増築した。渓谷の沢登り、戦国時代の城跡や琵琶湖、若狭湾を望む山を巡るトレイルの整備のほか、キャンプ場やダム湖での水上アクティビティーにも取り組む。

 

若狭熊川宿まちづくり特別委員会の宮本哲男会長は「熊川宿では問屋などが商売の盛衰により引っ越しを繰り返してきた。

 

代々住み続けている人は少なく、移住に抵抗感がない」と説明する。

 

物流の中継地として発展した歴史から、挑戦者を受け入れる土壌があるという。

 

 

 

同会は12年から空き家対策を始めた。

 

移住希望者に地区や物件を紹介。一方で他地域に住み空き家活用に難色を示す所有者の理解を促すため、活用事例などを載せたガイドブックを作り直接出向いて説明。

 

物件情報は同会のサイトにも掲載する。「手に技を持ち、ここで暮らし収入を得たい人に住んでもらえれば」と、移住者と所有者のマッチングを担う。これまでに25軒ほどの活用が実現した。

 

それでも新たな空き家の発生により地区の約140軒中40軒ほどが無人で、空き家率は横ばいが続く。

 

「重伝建を守ろうとするだけでは限界がある。

 

現状維持でなく、収益を生み出すことが維持につながる」(宮本会長)。

 

若者らと地域住民が両輪となり前進することで、持続可能な街づくりの力は強くなりそうだ。

 

熊川宿 古来、朝廷に食料を献上する「御食国(みけつくに)」の一つだった若狭地域。若狭湾で上がる魚介類は主に若狭街道で運ばれた。江戸時代にサバなどが大衆魚として京都の食卓へ届けられ「鯖街道」と呼ばれるようになった。
熊川宿は戦国時代、交通・軍事の要衝だったことから宿場町として整備された。

 

馬や人足を替える拠点などとして問屋、馬借など運送業のほか様々な職種が集積。40戸ほどの村は200戸を超す町に発展した。
2015
年に「御食国若狭と鯖街道」が日本遺産に認定された。

2024.04.27 Saturday