2022/05/29 12:00
2022.5.28 風の町 着物を着て出かけようの会 開催報告です。
本日、快晴。
陽射しの下では、もうー 夏の陽気ですね。
嬉しいことに、本日の散策コースに来月の18日(土)開催の『畠山重忠と源実朝』に
まつわる源氏ゆかりの地「寿福寺」を選んでいただきました。
鎌倉五山の第三位と寺格上位です。
「寿福寺」正式には 亀谷山寿福金剛禅寺(きこくさん じゅふくきんごうぜんじ)
この「寿福寺」辺りには源頼朝の父、義朝の屋敷があり
1200年(正治2年)に北条政子が頼朝の遺志を継いで
明菴栄西を招いてここに寺を建て始めました。
三代将軍実朝もしばしば訪れ、やがて十数か所の塔頭がある大きな寺になりました。
鎌倉に現存する中で最古の禅宗寺院です。
みなさんもご存知のように寿福寺の裏山には、北条政子と源実朝が眠っています。
鎌倉小町庵 歴史サークルの『畠山重忠と源実朝』の主人公の一人ですね。
この二人の関係は歴史的にも大きな波紋を引き起こしましたが、
その反面、歴史上には残されていない
秘蔵の真実が伝説として引き継がれていました。
こんにちまで伝承者の方により
語り継がれてきました。
そのような歴史ものがたり『畠山重忠と源実朝』の「演舞とかたり」を是非ご覧いただきたいです。
寿福寺
美しい石畳の参道をより引き立てる木々、紅葉の時期が最高ですが、
シーズンに関係なく参道の苔たちが何とも言えない神聖な雰囲気をただ寄せています。
「鎌倉こけマップ」でこけ散策も行けますね!
本日の手作りデザート(お料理教室の先生より)
紫陽花 をイメージしたデザートです。
鎌倉五山て なあ〜に
まずは、五山の制度から
「五山」とは、中国の制度にならったもので、禅宗寺院の格式を表したもの。
鎌倉時代に北条氏によって導入された。
鎌倉五山が時代背景で変わって行くわかりやすい資料がyoritomo-japan.
comにありましたのでご紹介します。
■鎌倉幕府による禅宗寺院の建立と五山
鎌倉では、南宋で修行を積んだ『栄西』によって持ち込まれた「臨済宗」が発展し、
北条時頼や北条時宗などによって大寺院が建立されました。
五山の制度がいつ取り入れられたのかは定かではないのですが、
1299年(正安元年)に九代執権北条貞時は浄智寺を五山に列するよう命じています。
また、どの寺院が五山に列せられていたのかも定かではありませんが、
鎌倉の禅宗四大寺である建長寺、円覚寺、壽福寺、浄智寺と
京都の建仁寺が五山に列せられていたと考えられます。
当時の禅宗寺院の規模については、1323年(元亨3年)に行われた北条貞時の十三回忌供養に
参列した僧侶の数で検討がつけられました。
・壽福寺 1200年(正治2年)創建
・建長寺 1253年(建長5年)創建
巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)
・円覚寺 1282年(弘安5年)創建
瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)
・浄智寺 1281年(弘安4年)創建
山号を金寶山(きんぽうざん)と称する。
金寶山浄智寺
京都の建仁寺は二代将軍源頼家の支援によって創建された寺。開山は『栄西』。
頼家の失脚後は、三代将軍源実朝が大旦那となり、諸堂が整備されます。
■鎌倉幕府滅亡後の五山
後醍醐天皇が決定した五山
後醍醐天皇による建武の新政下では、1334年(建武元年)
京都を中心に五山が定められました。
一位 南禅寺
二位 建長寺
三位 円覚寺
四位 東福寺
五位 建仁寺
(準第一位 大徳寺)
■足利尊氏が決定した五山
室町幕府を開いた足利尊氏は、1341年(暦応4年)、
五山を武家中心のものに改められました。
一位 建長寺 ・ 南禅寺
二位 円覚寺 ・ 天龍寺
三位 壽福寺
四位 建仁寺
五位 東福寺
準五山 浄智寺
■足利義詮が決定した五山
1358年(延文3年)頃、室町幕府二代将軍足利義詮は、
準五山だった浄智寺を五位に格上げし、浄妙寺と万寿寺(京都)を
新たに五山に列しています。
浄妙寺
山号は稲荷(とうか)山。詳名は「稲荷山浄妙廣利禅寺」という。
■足利義満が決定した五山
1386年(至徳3年)、室町幕府三代将軍足利義満は、
南禅寺を五山之上に置き、鎌倉五山と京五山を決定されました。
【 五山 】
別格上位 南禅寺
鎌倉五山 ・ 京都五山
一位 建長寺 ・ 天龍寺
二位 円覚寺 ・ 相国寺
三位 壽福寺 ・ 建仁寺
四位 浄智寺 ・ 東福寺
五位 浄妙寺 ・ 万寿寺
この決定が最終的なものとなり、今日に至っています。
また、鎌倉五山とともに尼寺の格式を表すため制定された鎌倉尼五山もあります。
一位 太平寺(西御門:廃寺)
二位 東慶寺(山ノ内)
八代執権北条時宗の妻で覚山尼の開山。
「駆け込み寺」または「縁切り寺」と呼ばれ、
江戸時代まで三年修業をすれば離縁できる「縁切寺法」がありました。
現在は尼寺ではないです。
三位 国恩寺(廃 寺)
四位 護法寺(廃 寺)
五位 禅明寺(廃 寺)
鎌倉唯一の尼寺は『英勝寺』です。
寿福寺より北東へ徒歩2分、横須賀線沿いの四季を楽しむ花のお寺です。
1636(寛永13)年、江戸幕府の初代将軍徳川家康の側室であった
お勝の方(後の英勝院)を開山として水戸徳川家が、
祖先の太田道灌の屋敷跡と伝えられる場所に創建されました。
〜 東光山 英勝寺 〜
国指定重要文化財(建造物)
鎌倉市指定天然記念物
参考までに、豆知識
「十刹」と「諸山」
五山に次ぐ禅宗寺院の格式を表すものとして「十刹」があります。
五山制度と同じく鎌倉時代に成立したものと考えられ、室町時代になると天下十刹が定められ、
五山と同じように変動した後、京都と関東にそれぞれ10ずつの寺院が定められました。
鎌倉に残る寺院としては、瑞泉寺、大慶寺が関東十刹。
廃寺となった禅興寺も関東十刹の一つだったのですが、現在は支院の明月院がその名跡を管理しています。
その他、鎌倉の寺院では、東勝寺(廃寺)・万寿寺(廃寺)・興聖寺(廃寺)
・善福寺(廃寺)・法泉寺 (廃寺)が関東十刹に列せられていました。
「諸山」は、「五山」、「十刹」に次ぐ格式を表すもの。
鎌倉では、北条高時が創建した弁谷の崇寿寺(廃寺)が「五山」に次ぐものとして定められ、
それが「諸山」の最初であるといわれています。
このたびは、鎌倉市の資料、yoritomo-japan.com、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
苔むすび、鎌倉観光ガイドの写真、資料を参考に掲載させていただきました。
2022/05/29 11:40
Kid's デザート作り教室『リトル シェフ』を承ります。
お料理教室「親子キッチン」より
こどもたちが主役!『リトル シェフ』
砂糖などを使わずに、素材の甘味だけで、美味しい、美味しい健康的なデザート作り
お友達と家族で、楽しいお料理教室です。お一人様 1,500円(材料費含み)
からだに 優しい素材を使用、美味しいお料理を
ご家族 みんなで 作って 食べて
「楽しいひととき!」
お料理の先生が丁寧・親切に教えてくれます。
お友達(家族)同士で 6名以上集まれば、
ご希望の開催日で『リトル シェフ』のご予約を賜ります。
参加者はお子様が小学生までであるご家族。
例えば、3人家族(お子さんが小学3年生)と
4人家族(お子さんが小学3年生と幼稚園の年少さん)計7人で開催します。
お料理の数(7品)がお料理教室のお費用になります。
その後、鎌倉散策に・・・行こう!
リトルシェフ教室のお申込みは、
当庵のホームページのお問い合わせより
鎌倉小町庵のマスコットぬいぐるみ キャラクターくんです。
読書してます。
難しそうな本を読んでいますね。歴史の物です。
難しそうな本だったのかな?
アレ、アレ、
お昼寝しちゃいました。
『リトル シェフ』のみんな お友達を待ってます!
2022/05/25 19:21
[畠山重忠と源実朝] 鎌倉幕府『吾妻鏡』の世界
~運命に翻弄された二人の戦国武将~
『鎌倉武士の鑑』と語り継がれた重忠はその清廉な性格ゆえに妬みも多く、
鎌倉幕府を取り巻く権力構造に、重忠本人も含めた武将達の妻や娘たちも巻き込まれ、
ついには謀反の濡れ衣で討伐され42歳で非業の死を遂げる。
その時、最終的に重忠討伐を命じた将軍・源実朝は若干13歳。
本来、武より文を、剛よりも美を愛する若き将軍もまた、知見も武功も幼いまま、
武家社会の運命により畠山家の仇となったが、
その14年後、実朝本人も同じく権謀術数と裏切りの中で忙殺されてしまう。
そんな、身分の高低に関わらず余りに小さい個人の力と、
歴史の表には出ぬまま日本の政治を大きく動かしていた女性達に思いを馳せ、
現代人にも通じる、儘ならぬ人生と、歴史の影にある真実に想いを馳せられたらと思います。
所縁の地、鎌倉で。
[第一部] 演舞『女たちの畠山 重忠』
畠山重忠 戦国秩父武将 1164年~1205年
[第二部] 語り『源実朝に寄せて』
源実朝 鎌倉幕府第3代征夷大将軍 1192年~1219年
「山はさけうみはあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」
源実朝歌碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』写真より
2022.6.18(土)開場13:30~ 開演・講談14:00~
料金 2,500円
ご予約受付:当庵ホームページの問い合わせにて
2022/05/25 13:00
6/26(日)ガールズプログラミングフェア「きっかけ」
2022/05/20 18:09
開演のお知らせ、6月18日(土)14:00〜16:00 『女たちの畠山重忠』&『源実朝に寄せて』
2022.5.11 インフォメーションにて
新作ご案内の『女たちの畠山重忠』に加えて、
最新作『源実朝に寄せて』の演舞、語りの
二題 歴史物語の上演が決まりました。
『源実朝に寄せて』
原案・脚本:若桑 比織
岳亭春信 作
鎌倉幕府第三代征夷大将軍
源 実朝
(1192−1219)
建久3年(1192年)8月9日巳の刻、鎌倉で生まれる。
幼名は「千幡」
父は鎌倉幕府を開いた源頼朝、母はその正妻の北条政子。
乳母は政子の妹の阿波局、大弍局ら御所女房が介添していた。
千幡は若公として誕生から多くの儀式で祝われることとなる。
12月5日、頼朝は千幡を抱いて御家人の前に現れると、
「みな意を一つにして将来を守護せよ」と述べ面々に千幡を抱かせます。
建久10年(1199年)に父が薨去し、兄の頼家が将軍職を継ぎ、
そののち、12歳で源実朝は鎌倉幕府三代将軍(1203-1219)となります。
源実朝像(『國文学名家肖像集』収録)
若い時から和歌の大家、藤原定家に教えをこい、『万葉集』や『古今集』、
『新古今集』の歌に習い、本歌取りを駆使した独自の歌風を身につけました。
彼の歌集『金槐和歌集』は江戸時代、賀茂真淵に注目されて以来、
評価を高めて行きます。
「山はさけうみはあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」
後鳥羽上皇への恭順の意を表した歌。
源実朝歌碑(鎌倉国宝館前)
源実朝歌碑(鴨川畔、京都市左京区下堤町 )
鶴岡八幡宮境内の白旗神社に頼朝と共に祀られ、
明治になり白旗神社境内に改めて柳営社が建てられ祀られた。
八幡宮では実朝の誕生日である
8月9日に実朝祭が行われている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』資料、写真より
2022.6.18(土)開演
開演時間
開場 13:30~
開演・講談 14:00~16:00
料金 2,500円
ご予約受付:当庵ホームページの問い合わせにて
宜しくお願い致します。
ご予約は先着順となりますので、ご了承ください。
お席に限りがございますので、お早めにご連絡ください。
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