本日、快晴。
陽射しの下では、もうー 夏の陽気ですね。
嬉しいことに、本日の散策コースに来月の18日(土)開催の『畠山重忠と源実朝』に
まつわる源氏ゆかりの地「寿福寺」を選んでいただきました。
鎌倉五山の第三位と寺格上位です。
「寿福寺」正式には 亀谷山寿福金剛禅寺(きこくさん じゅふくきんごうぜんじ)
この「寿福寺」辺りには源頼朝の父、義朝の屋敷があり
1200年(正治2年)に北条政子が頼朝の遺志を継いで
明菴栄西を招いてここに寺を建て始めました。
三代将軍実朝もしばしば訪れ、やがて十数か所の塔頭がある大きな寺になりました。
鎌倉に現存する中で最古の禅宗寺院です。
みなさんもご存知のように寿福寺の裏山には、北条政子と源実朝が眠っています。
鎌倉小町庵 歴史サークルの『畠山重忠と源実朝』の主人公の一人ですね。
この二人の関係は歴史的にも大きな波紋を引き起こしましたが、
その反面、歴史上には残されていない
秘蔵の真実が伝説として引き継がれていました。
こんにちまで伝承者の方により
語り継がれてきました。
そのような歴史ものがたり『畠山重忠と源実朝』の「演舞とかたり」を是非ご覧いただきたいです。
寿福寺
美しい石畳の参道をより引き立てる木々、紅葉の時期が最高ですが、
シーズンに関係なく参道の苔たちが何とも言えない神聖な雰囲気をただ寄せています。
「鎌倉こけマップ」でこけ散策も行けますね!
本日の手作りデザート(お料理教室の先生より)
紫陽花 をイメージしたデザートです。
鎌倉五山て なあ〜に
まずは、五山の制度から
「五山」とは、中国の制度にならったもので、禅宗寺院の格式を表したもの。
鎌倉時代に北条氏によって導入された。
鎌倉五山が時代背景で変わって行くわかりやすい資料がyoritomo-japan.
comにありましたのでご紹介します。
■鎌倉幕府による禅宗寺院の建立と五山
鎌倉では、南宋で修行を積んだ『栄西』によって持ち込まれた「臨済宗」が発展し、
北条時頼や北条時宗などによって大寺院が建立されました。
五山の制度がいつ取り入れられたのかは定かではないのですが、
1299年(正安元年)に九代執権北条貞時は浄智寺を五山に列するよう命じています。
また、どの寺院が五山に列せられていたのかも定かではありませんが、
鎌倉の禅宗四大寺である建長寺、円覚寺、壽福寺、浄智寺と
京都の建仁寺が五山に列せられていたと考えられます。
当時の禅宗寺院の規模については、1323年(元亨3年)に行われた北条貞時の十三回忌供養に
参列した僧侶の数で検討がつけられました。
・壽福寺 1200年(正治2年)創建
・建長寺 1253年(建長5年)創建
巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)
・円覚寺 1282年(弘安5年)創建
瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)
・浄智寺 1281年(弘安4年)創建
山号を金寶山(きんぽうざん)と称する。
金寶山浄智寺
京都の建仁寺は二代将軍源頼家の支援によって創建された寺。開山は『栄西』。
頼家の失脚後は、三代将軍源実朝が大旦那となり、諸堂が整備されます。
■鎌倉幕府滅亡後の五山
後醍醐天皇が決定した五山
後醍醐天皇による建武の新政下では、1334年(建武元年)
京都を中心に五山が定められました。
一位 南禅寺
二位 建長寺
三位 円覚寺
四位 東福寺
五位 建仁寺
(準第一位 大徳寺)
■足利尊氏が決定した五山
室町幕府を開いた足利尊氏は、1341年(暦応4年)、
五山を武家中心のものに改められました。
一位 建長寺 ・ 南禅寺
二位 円覚寺 ・ 天龍寺
三位 壽福寺
四位 建仁寺
五位 東福寺
準五山 浄智寺
■足利義詮が決定した五山
1358年(延文3年)頃、室町幕府二代将軍足利義詮は、
準五山だった浄智寺を五位に格上げし、浄妙寺と万寿寺(京都)を
新たに五山に列しています。
浄妙寺
山号は稲荷(とうか)山。詳名は「稲荷山浄妙廣利禅寺」という。
■足利義満が決定した五山
1386年(至徳3年)、室町幕府三代将軍足利義満は、
南禅寺を五山之上に置き、鎌倉五山と京五山を決定されました。
【 五山 】
別格上位 南禅寺
鎌倉五山 ・ 京都五山
一位 建長寺 ・ 天龍寺
二位 円覚寺 ・ 相国寺
三位 壽福寺 ・ 建仁寺
四位 浄智寺 ・ 東福寺
五位 浄妙寺 ・ 万寿寺
この決定が最終的なものとなり、今日に至っています。
また、鎌倉五山とともに尼寺の格式を表すため制定された鎌倉尼五山もあります。
一位 太平寺(西御門:廃寺)
二位 東慶寺(山ノ内)
八代執権北条時宗の妻で覚山尼の開山。
「駆け込み寺」または「縁切り寺」と呼ばれ、
江戸時代まで三年修業をすれば離縁できる「縁切寺法」がありました。
現在は尼寺ではないです。
三位 国恩寺(廃 寺)
四位 護法寺(廃 寺)
五位 禅明寺(廃 寺)
鎌倉唯一の尼寺は『英勝寺』です。
寿福寺より北東へ徒歩2分、横須賀線沿いの四季を楽しむ花のお寺です。
1636(寛永13)年、江戸幕府の初代将軍徳川家康の側室であった
お勝の方(後の英勝院)を開山として水戸徳川家が、
祖先の太田道灌の屋敷跡と伝えられる場所に創建されました。
〜 東光山 英勝寺 〜
国指定重要文化財(建造物)
鎌倉市指定天然記念物
参考までに、豆知識
「十刹」と「諸山」
五山に次ぐ禅宗寺院の格式を表すものとして「十刹」があります。
五山制度と同じく鎌倉時代に成立したものと考えられ、室町時代になると天下十刹が定められ、
五山と同じように変動した後、京都と関東にそれぞれ10ずつの寺院が定められました。
鎌倉に残る寺院としては、瑞泉寺、大慶寺が関東十刹。
廃寺となった禅興寺も関東十刹の一つだったのですが、現在は支院の明月院がその名跡を管理しています。
その他、鎌倉の寺院では、東勝寺(廃寺)・万寿寺(廃寺)・興聖寺(廃寺)
・善福寺(廃寺)・法泉寺 (廃寺)が関東十刹に列せられていました。
「諸山」は、「五山」、「十刹」に次ぐ格式を表すもの。
鎌倉では、北条高時が創建した弁谷の崇寿寺(廃寺)が「五山」に次ぐものとして定められ、
それが「諸山」の最初であるといわれています。
このたびは、鎌倉市の資料、yoritomo-japan.com、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
苔むすび、鎌倉観光ガイドの写真、資料を参考に掲載させていただきました。