日々、蒸し暑さが続きます。
風鈴を鎌倉小町庵のシンボルツリー(紅葉)に吊るしました。
風が吹くたびに、紅葉の枝が揺れ、葉と葉が重なり触れ合う音と
一緒に奏でる風鈴の音色が、心を和ませ
涼ませてくれます。
紅葉には、岩手県の伝統工芸「南部風鈴」の二重奏 『リーン、リーン、・・・リーン』と長い音が響きます。
玄関脇の軒下には、江戸風鈴が『チリンチリン』『チリンチリン』と短い音が鳴っています。
縁台で 風鈴の音を聴きながら、かき氷を食べ
ひんやり〜!
今年の夏も、風鈴の音色が みなさまをお迎えします。
風鈴の歴史
風鈴の起源は約2000年前の中国で竹林に吊り下げて風の向きや音の鳴り方によって吉凶を占った「占風鐸」であるといわれています。これを僧侶が日本に持ち帰ってたものが青銅製の「風鐸」で寺の仏堂の四隅や仏塔に吊るすようになり、ガランガランという鈍い音には厄除けの効果があって、この音が聞こえる範囲は災いが起こらないといわれていました。
平安時代から鎌倉時代にかけ貴族の屋敷でも軒先に魔除けとして風鐸を吊るしたことがあったとも言われており、風鈴にし呪術的な意味もあったほか権力の象徴でもあり、奈良県明日香村にある『飛鳥寺』では8世紀初頭のものとみられる風鐸の破片が発見されています。
この「風鐸」は大きなものだったが徐々に小型化して行きます。「風鈴」の名は一説には法然が「ふうれい」と名付けたことに由来して、「風鈴」という表記は鎌倉末期に作られたとされる国宝『法然上人行状絵図』に「極楽の七重宝樹(しちじゅうほうじゅ)の風のひびきをこひ、八功徳池(はっくどくち)のなみのをとをおもひて、風鈴を愛して」とあり、これが後に「ふうりん」と読まれるようになりました。江戸時代に書かれた『嬉遊笑覧』(1830年)によると、法然の弟子が風鈴を好んで持ち歩いたといい、鎌倉時代には風鐸が小振りの風鈴として普及していたとのことです。
風鈴の素材はもとは鉄や銅など金属製のものだった。ガラス製の風鈴が現れるのは江戸中期以降のことである。無色透明ガラスの製法が18世紀にオランダ経由で日本に伝わると、19世紀には江戸でガラス細工が盛んになり、江戸時代末期にはビイドロ製の吹きガラスで作られた風鈴が江戸で流行となりました。明治時代には町で風鈴を売り歩く「風鈴売り」もみられて、大正期には岩手県の名産である南部鉄器の産地で鉄製の風鈴が作られるようになります。
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