鎌倉小町庵のホームページでは、
鎌倉の山々と切り通しの位置を描いた図柄が
多くの方からご覧いただけています。
※ 名称と場所におきましては、異なる場合もありますのでご参考にして下さい。
鎌倉七口(切通し)を記載しています。
※釈迦堂切通しは、鎌倉内を結ぶ古道でしたので 鎌倉七口には含まれませんでした。
鎌倉五山とは、
なあ〜に
まずは、五山の制度から
「五山」とは、中国の制度にならったもので、禅宗寺院の格式を表したもの。
鎌倉時代に北条氏によって導入された。
鎌倉五山が時代背景で変わって行くわかりやすい資料が
yoritomo-japan.comにありましたのでご紹介します。
■鎌倉幕府による禅宗寺院の建立と五山
鎌倉では、南宋で修行を積んだ『栄西』によって持ち込まれた「臨済宗」が発展し、
北条時頼や北条時宗などによって大寺院が建立されました。
五山の制度がいつ取り入れられたのかは定かではないのですが、
1299年(正安元年)に九代執権北条貞時は浄智寺を五山に列するよう命じています。
また、どの寺院が五山に列せられていたのかも定かではありませんが、
鎌倉の禅宗四大寺である建長寺、円覚寺、壽福寺、浄智寺と
京都の建仁寺が五山に列せられていたと考えられます。
と言うことは、
鎌倉にある山々のことではないんですね!!
・壽福寺 1200年(正治2年)創建
・建長寺 1253年(建長5年)創建
巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)
・円覚寺 1282年(弘安5年)創建
瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)
・浄智寺 1281年(弘安4年)創建
山号を金寶山(きんぽうざん)と称する。
金寶山浄智寺
京都の建仁寺は二代将軍源頼家の支援によって創建された寺。開山は『栄西』。
頼家の失脚後は、三代将軍源実朝が大旦那となり、諸堂が整備されます。
■鎌倉幕府滅亡後の五山
後醍醐天皇が決定した五山
後醍醐天皇による建武の新政下では、1334年(建武元年)
京都を中心に五山が定められました。
一位 南禅寺
二位 建長寺
三位 円覚寺
四位 東福寺
五位 建仁寺
(準第一位 大徳寺)
■足利尊氏が決定した五山
室町幕府を開いた足利尊氏は、1341年(暦応4年)、
五山を武家中心のものに改められました。
一位 建長寺 ・ 南禅寺
二位 円覚寺 ・ 天龍寺
三位 壽福寺
四位 建仁寺
五位 東福寺
準五山 浄智寺
■足利義詮が決定した五山
1358年(延文3年)頃、室町幕府二代将軍足利義詮は、
準五山だった浄智寺を五位に格上げし、浄妙寺と万寿寺(京都)を
新たに五山に列しています。
浄妙寺
山号は稲荷(とうか)山。詳名は「稲荷山浄妙廣利禅寺」という。
■足利義満が決定した五山
1386年(至徳3年)、室町幕府三代将軍足利義満は、
南禅寺を五山之上に置き、鎌倉五山と京五山を決定されました。
【 五山 】
別格上位 南禅寺
鎌倉五山 ・ 京都五山
一位 建長寺 ・ 天龍寺
二位 円覚寺 ・ 相国寺
三位 壽福寺 ・ 建仁寺
四位 浄智寺 ・ 東福寺
五位 浄妙寺 ・ 万寿寺
この決定が最終的なものとなり、今日に至っています。
また、鎌倉五山とともに
尼寺の格式を表すため制定された
鎌倉尼五山もあります。
一位 太平寺(西御門:廃寺)
二位 東慶寺(山ノ内)
八代執権北条時宗の妻で覚山尼の開山。
「駆け込み寺」または「縁切り寺」と呼ばれ、
江戸時代まで三年修業をすれば離縁できる「縁切寺法」がありました。
現在は尼寺ではないです。
三位 国恩寺(廃 寺)
四位 護法寺(廃 寺)
五位 禅明寺(廃 寺)
鎌倉唯一の尼寺は『英勝寺』です。
寿福寺より北東へ徒歩2分、横須賀線沿いの四季を楽しむ花のお寺です。
1636(寛永13)年、江戸幕府の初代将軍徳川家康の側室であった
お勝の方(後の英勝院)を開山として水戸徳川家が、
祖先の太田道灌の屋敷跡と伝えられる場所に創建されました。
〜 東光山 英勝寺 〜
国指定重要文化財(建造物)
鎌倉市指定天然記念物
参考までに、豆知識
「十刹」と「諸山」
五山に次ぐ禅宗寺院の格式を表すものとして「十刹」があります。
五山制度と同じく鎌倉時代に成立したものと考えられ、室町時代になると天下十刹が定められ、
五山と同じように変動した後、京都と関東にそれぞれ10ずつの寺院が定められました。
鎌倉に残る寺院としては、瑞泉寺、大慶寺が関東十刹。
廃寺となった禅興寺も関東十刹の一つだったのですが、現在は支院の明月院がその名跡を管理しています。
その他、鎌倉の寺院では、東勝寺(廃寺)・万寿寺(廃寺)・興聖寺(廃寺)
・善福寺(廃寺)・法泉寺 (廃寺)が関東十刹に列せられていました。
「諸山」は、「五山」、「十刹」に次ぐ格式を表すもの。
鎌倉では、北条高時が創建した弁谷の崇寿寺(廃寺)が「五山」に次ぐものとして定められ、
それが「諸山」の最初であるといわれています。
このたびは、鎌倉市の資料、yoritomo-japan.com、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
苔むすび、鎌倉観光ガイドの写真、資料を参考に掲載させていただきました。