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2024/08/04 11:00

鎌倉の山々と鎌倉五山

鎌倉小町庵のホームページでは、

鎌倉の山々と切り通しの位置を描いた図柄が

多くの方からご覧いただけています。

Microsoft Word - 鎌倉地名由来7.docxのコピー.jpg

※ 名称と場所におきましては、異なる場合もありますのでご参考にして下さい。

鎌倉七口(切通し)を記載しています。

釈迦堂切通しは、鎌倉内を結ぶ古道でしたので 鎌倉七口には含まれませんでした。

 

 

鎌倉五山とは、

なあ〜に

 

まずは、五山の制度から

「五山」とは、中国の制度にならったもので、禅宗寺院の格式を表したもの。

鎌倉時代に北条氏によって導入された。

鎌倉五山が時代背景で変わって行くわかりやすい資料が

yoritomo-japan.comにありましたのでご紹介します。

 

 

鎌倉幕府による禅宗寺院の建立と五山

 

鎌倉では、南宋で修行を積んだ『栄西』によって持ち込まれた「臨済宗」が発展し、
北条時頼や北条時宗などによって大寺院が建立されました。


五山の制度がいつ取り入れられたのかは定かではないのですが、

1299年(正安元年)に九代執権北条貞時は浄智寺を五山に列するよう命じています。
また、どの寺院が五山に列せられていたのかも定かではありませんが、

鎌倉の禅宗四大寺である建長寺、円覚寺、壽福寺、浄智寺と
京都の建仁寺が五山に列せられていたと考えられます。

と言うことは、

鎌倉にある山々のことではないんですね!!

 
・壽福寺    1200年(正治2年)創建

CIMG1189.JPG

・建仁寺(京都)1202年(建仁2年)創建


・建長寺    1253年(建長5年)創建

巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)

CIMG9816.jpg


・円覚寺    1282年(弘安5年)創建

瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)

CIMG9946.jpg


・浄智寺    1281年(弘安4年)創建 

山号を金寶山(きんぽうざん)と称する。

金寶山浄智寺

[051329].jpg


京都の建仁寺は二代将軍源頼家の支援によって創建された寺。開山は『栄西』
頼家の失脚後は、三代将軍源実朝が大旦那となり、諸堂が整備されます。

 


鎌倉幕府滅亡後の五山

後醍醐天皇が決定した五山
後醍醐天皇による建武の新政下では、1334年(建武元年)

京都を中心に五山が定められました。 

一位 南禅寺

二位 建長寺

三位 円覚寺

四位 東福寺

五位 建仁寺

(準第一位 大徳寺)

 

 

 

足利尊氏が決定した五山

室町幕府を開いた足利尊氏は、1341年(暦応4年)、

五山を武家中心のものに改められました。 

一位 建長寺 ・ 南禅寺

二位 円覚寺 ・ 天龍寺

三位 壽福寺      

四位 建仁寺      

五位 東福寺      

準五山 浄智寺

 

 

足利義詮が決定した五山
1358年(延文3年)頃、室町幕府二代将軍足利義詮は、

準五山だった浄智寺を五位に格上げし、浄妙寺万寿寺(京都)を

新たに五山に列しています。

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 浄妙寺 

山号は稲荷(とうか)山。詳名は「稲荷山浄妙廣利禅寺」という。 

 

足利義満が決定した五山
1386年(至徳3年)、室町幕府三代将軍足利義満は、

南禅寺を五山之上に置き、鎌倉五山と京五山を決定されました。

 

 【 五山  

 別格上位 南禅寺

 

     鎌倉五山  ・  京都五山

 一位 建長寺 ・    天龍寺

   二位 円覚寺 ・    相国寺

     三位 壽福寺   ・    建仁寺    

     四位 浄智寺 ・  東福寺    

     五位 浄妙寺 ・  万寿寺    

 

 この決定が最終的なものとなり、今日に至っています。

 

また、鎌倉五山とともに

尼寺の格式を表すため制定された

鎌倉尼五山もあります。

 

  一位 太平寺(西御門:廃寺)

 

二位 東慶寺(山ノ内)

八代執権北条時宗の妻で覚山尼の開山。

「駆け込み寺」または「縁切り寺」と呼ばれ、

江戸時代まで三年修業をすれば離縁できる縁切寺法」がありました。

現在は尼寺ではないです。

 

三位 国恩寺(廃 寺)

四位 護法寺廃 寺)

五位 禅明寺(廃 寺)

 

 

鎌倉唯一の尼寺は『英勝寺』です。

 

5653.jpg 

寿福寺より北東へ徒歩2分、横須賀線沿いの四季を楽しむ花のお寺です。

 

1636(寛永13)年、江戸幕府の初代将軍徳川家康の側室であった
お勝の方(後の英勝院)を開山として水戸徳川家が、

祖先の太田道灌の屋敷跡と伝えられる場所に創建されました。

5655.jpg 

 

〜 東光山 英勝寺 〜
国指定重要文化財(建造物)
鎌倉市指定天然記念物

 

 

 

 

参考までに、豆知識

「十刹」と「諸山」

五山に次ぐ禅宗寺院の格式を表すものとして「十刹」があります。

五山制度と同じく鎌倉時代に成立したものと考えられ、室町時代になると天下十刹が定められ、

五山と同じように変動した後、京都と関東にそれぞれ10ずつの寺院が定められました。
鎌倉に残る寺院としては、瑞泉寺、大慶寺が関東十刹。

廃寺となった禅興寺も関東十刹の一つだったのですが、現在は支院の明月院がその名跡を管理しています。
その他、鎌倉の寺院では、東勝寺(廃寺)・万寿寺(廃寺)・興聖寺(廃寺)

・善福寺(廃寺)・法泉寺 (廃寺)が関東十刹に列せられていました。
「諸山」は、「五山」、「十刹」に次ぐ格式を表すもの。
鎌倉では、北条高時が創建した弁谷の崇寿寺(廃寺)が「五山」に次ぐものとして定められ、

それが「諸山」の最初であるといわれています。
 
このたびは、鎌倉市の資料、yoritomo-japan.comフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

苔むすび、鎌倉観光ガイドの写真、資料を参考に掲載させていただきました。