鎌倉武将 畠山 重忠(1164−1205)
平安後期-鎌倉時代の武将。
畠山重能(しげよし)の子。母は三浦義明の娘。源頼朝につかえる。
源義仲や平家の追討などではたらき、頼朝が京都へはいる際に先陣をつとめた。
〜 畠山 重忠の乱 〜
北条時政の娘(政子の妹)と再婚後、
元久元年(1204年)11月 重忠の息子の重保が
北条時政の後妻の牧の方の娘婿である平賀朝雅と酒席で争った。
その場は収まったように見えたが、
義母である牧の方がこれを恨みに思い時政に重忠を打つように命じた。
翌年の元久2年6月 時政は息子の義時と時房へ偽りである「重忠が謀反を起こす」ことを告げる。
二人は、「忠実で正直な重忠が謀反を起こす訳がない」とこれを反対するが、
牧の方に問い詰められ、ついに同意した。
稲毛 重成(時政の娘婿)が御所に上がり、
重忠の謀反を訴え、将軍 源 実朝は重忠討伐を命じた。
元久2年6月22日鎌倉に居た重保は謀略をもって殺された。
この時、重忠は「鎌倉に異変あり、至急参上されたし」と虚偽の命を受けて
130騎ほどを率いて菅谷館を出て鎌倉に向かう
途中の武蔵国 二俣川(二俣川の戦い、鶴ヶ峰の戦い。現在の神奈川県横浜市旭区)にて
義時を大将軍とする数万騎が差し向けられたことを知った
重忠は覚悟を決め、
わずかな兵で踏み止まって義時の大軍を相手に奮戦。
愛甲季隆に射られて討ち死にした。享年42
ウィキペディア(Wikipedia)より
重忠の鎌倉における邸宅跡(鎌倉市)
語り「畠山 重忠をめぐる女たち」
演舞「女たちの畠山 重忠」
『鎌倉武士の鑑』と語り継がれた重忠の繁盛は、
鎌倉時代を生きぬいた女性たちとともに、日本の歴史を大きく動かしていた。
語り「源実朝に寄せて』
舞踊:Sango 能管:花ヲ 真琴:月弧
2022.6.18(土)開演
開演時間
開場 13:30~
開演・講談 14:00~16:00
料金 2,500円
ご予約受付:当庵ホームページの問い合わせにて
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