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2025-07-11 15:18:00

旧堀氏庭園20周年記念パンフレットできました!!

7/13(日)に配布を開始する旧堀氏庭園20周年記念パンフレットが完成しました。

旧堀氏庭園、旧畑迫病院で配っておりますので、ぜひ手に取ってくださいね!

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2025-07-07 17:10:00

旧堀氏庭園名勝指定20周年記念/寄稿文一覧

2025-07-07 17:00:00

旧堀氏庭園スタッフ 佐々木美和子

堀庭園の関りと思い

 

堀庭園は、私にとって特別な場所です。かつてこの庭園は、当時の当主の方から私の両親が譲り受け、その後は町の大切な文化財として守られてきました。

私が初めて庭園を訪れた際のその静寂な空気と、変わらぬ美しさに心を打たれ、木のざわめき、水の音、石の配置の意味等、その一つひとつに、堀氏の時代から今日まで幾人もの人々が庭を大切に守ってきたことが感じられました。

そしてこの庭園に深い関心を持つようになったころ私がこの場所に関わらせていただく事になり、感謝でいっぱいです。

庭園でのイベントやガイドの取り組み、学校との連携、訪れる方々の反応などを通じて「守る」事の意義とともに「活かす」ことの可能性を実感しています。

 

名勝指定から20年、この庭園はただ残されているだけではなく、地域の誇りとして育まれ活用されてきました。

その過程に少しでも関われたことは、私にとって大きな喜びです。堀庭園は地域の記憶そのものだと思っています。

この場所を訪れた人が何かを感じ取り、今後はさらに地域の人々や若い世代が自然とかかわり、学び、表現できるような場所としての役割を果たせるよう、活用の場を広げていきたいと考えています。

そのためにも、「真っ直ぐ」な思いを持ち「守る」姿勢を大切にしながら、柔軟な発想で「活かす」道を探っていきたいと思います。

 

堀庭園は、ただ保存するだけではなく、「活かしていく」ことで本当の価値が輝く場所だと考えています。

今後この堀庭園を、より多くの人が関わり、心に残る体験を得られる場所として活用していくことが大切です。

 

地域の学び舎、歴史や庭園文化について学ぶ事、体験型のプログラムを展開することで地域の宝に直接触れる。

見学だけではなく「参加できる庭園」として模索したいと思います。

又、季節ごとのイベントや催しの場としても堀庭園は、大きな可能性を秘めています。

例えば春には茶会、夏には夕涼み会、秋には紅葉祭り、冬には雪のライトアップといった(現行有)自然の変化とともに楽しめる催しは、人々の心を惹き付け、庭園の魅力を再発見する機会となります。

 

加えて、庭園を「癒しの空間」として位置づけることで、心と身体を休められるような環境づくりを目指したいと考えています。

これからも堀庭園が大切に守られ、活かされていくために、この庭園への想いを大切にしながらそっと関わり続けたいと思います。

 

 

2025-07-07 16:51:00

NPO法人 理事長 齋藤勲

「堀家の思い出」

 

私が小学生の昭和20年代後半の頃と思います。

堀家16代堀 藤十郎 誠道さんが天神さんを祭る大行事の天神さんになり、肩巾2米位ある衣を着し、馬にまたがり、多くの従者を伴って、本家前より県道を横瀬方面まで練り歩くお祭りについて行ったことを思い出します。

県道はまだ道巾が狭く、地道の時代でした。

 

堀家17代 幸清さんは16代 誠道さんの長女温子さんの婿養子に来られました。

戦後の木材不足の時代、自山を中心に山三林業を設立し、地元の多くの人が従業していました。幸清さんご夫婦は、結婚以来津和野町本町に新居を構え住まれていました。

私は昭和62年2月の町議選に立候補し、堀家が邑輝にあり、地元という事で、以前より顔見知りである、幸清さんにはいろいろとお世話になりました。

 

その後、安野光雅美術館の土地にあった山三林業を、時代の趨勢もあり廃業しました。

奥さんを亡くされ、3人の息子さんも独立され、堀家の母屋楽山荘を一般公開されてからは、ほぼ毎日津和野本町の自宅より堀家に来られていました。

 

幸清さんは、平成20年3月にお亡くなりになりました。組内もだんだん少なくなり、組内代表の田代安雄さんを中心に通夜葬儀のお手伝いをさせていただきました。

それ以来、堀家は空き家となり、台風の影響もあり、自然と裏側の屋根は荒廃して行きました。裏側の崩落は進み、峯近くまで瓦が落ちる状態となりました。

私は町議会の一般質問で、この件について、質問し町長の意見を求めました。

 

旧堀氏庭園は、堀家から益田市の大谷一生さんの所有となり、大谷さんはその後、津和野町に寄贈され、町の教育委員会の管理に置かれました。

 

平成17年旧堀氏庭園として、国の名勝指定を受け、我々地元有志を含め二十数名で旧堀氏庭園を守り活かす会を立ち上げ、その後、NPO法人化しています。

 

活かす会は、旧畑迫病院内のレストラン糧をはじめ、母屋、楽山荘、病院近辺の環境整備、イベントの開催、堀氏が経営した鉱山をはじめ、諸々の事業についての調査、研修などについて取り組んでいます。

名勝指定20周年を経て、さらに充実した事業展開をして行きたいと思います。

2025-07-07 16:49:00

津和野町文化財保護審議会委員 堀氏研究者 等農 修様

「堀家と私」

 

本年で、旧堀氏庭園が、「国の名勝」に指定されて、20年を迎えることになりました。心よりお慶び申し上げます。

 

それまでの、「名隣」指定のための町当局様のご苦労は、言い表わせない心痛があったことと推察いたしております。

そして指定以後も、設計管理業務・解体工事・組立工事・周辺工事等、継続してこれらの事業に取り組みご尽力されてまいりましたことに、心より敬意とお礼を申し上げます。

歴史的価値の高い重要な文化財として、今後も堀家を活かしたまちづくりの中核となるべき施設として、さらなる保護と活用を図っていただきたいと願っております。

 

 

さて、私は、現在、堀家の調査研究をさせていただいておりまして、一人で町内外を走り回っております。

 

12年前に50年間のサラリーマン生活を卒業いたしまして、その後、農業の傍ら地域のお手伝いをしようかと思っておりました時、偶然、堀家の解体修理工事、畑迫病院の回収工事が開始され、日々、この現場が目に付くようになりました。

 

そして、堀家についての学習会や、ガイド研修などが開催されるにつけ、段々と、堀家の調査研究をしてみたいと考えるようになりました。

もともと、堀家とはご縁がございまして、それらの状況も大いに関係があったのかも知れません。

まず、私が結婚後、堀家のご自宅(津和野町一東一殿町一)の隣に住んでおりまして、朝夕ご挨拶をさせていただいておりました。50年前の、堀家第17代当主、幸清(よしきよ)さんと、堀家直系の奥様温子さんです。

また、当時、ご夫婦二人のご自宅へ、私の親戚の伯母が家事の手伝いに行かせていただいておりまして、堀家のお話はよくお聞きしておりました。奥様の温子さんが、平成6年に、七十二歳でなくなられた後も行かせていただいておりましたので、伯母は30年以上お世話になったと思います。

 

その後、昭和四十年代後半には、堀家第18代当主哲三さん(横浜市在住)が、大学卒業後、津和野駅前の堀家経営「山三林業株式会社」に勤務中で、営業車として、「フォルクスファーゲン」を乗り回しておられたお姿を思い出し、三年前の帰省の際に、そのお話をご本人とさせていただいた経緯があります。

本人も笑っておられました。この会社も三十年前に閉鎖され、所有資産処分のため、私の裏山五町歩を購入させていただきました。

 

また、平成元年の台風十九号による倒木で、堀家の母屋の屋根が大きく破損し、止むを得ず、建物や所有地の売却を検討せざるを得なくなった際も、私に相談をいただき、これまでの経緯と今後の処置についての意向をお示しされました。そして、売却代金をお預かりし、入金させていただきました。平成4年のことです。

 

三年前に帰省されました哲三さんとは、その後、コロナ禍でお会いいたしておりませんが、お元気で活躍のようです。 定期的なお便りをいただき恐縮しています。帰省の際は1番にお会いしていただけると思っています。

 

現在、堀家に関する情報や資料は、私が走り回って収集いたしておりますが、かっての堀家の所有者「大谷一生」社長さんにもご協力をいただき、写真などの資料をお借りした経緯もございます。

そして現在、資料も少しずつ増えてまいりまして、現在、この整理に追われています。

 

私は二年前まで、「NPO法人旧堀氏庭園守り活かす会」に所属させていただいておましたが、妻の体調不良

もあり、退会させていただきました。

 

現在私は、マイペースで活動をさせていただいておりますが、もう少し堀家関連情報を収集させていただきたいと考えております。

 

堀家の情報に関しては、現場である、堀庭園事務所、旧畑迫病院事務所、NPO法人、そして、大元の津和野町教育委員会さんにありますが、さらなる情報共有と開示をしていただければ幸いです。ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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