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NPO法人 副理事長 板垣敬司
「旧堀氏庭園と共に」
黄色い表紙の郷土史「畑迫」。
我が家にあることを知ったのは20歳頃だった。
今、あらためてその本を手にしている。
昭和28年9月1日に発行され、巻頭のページには歴代戸長の堀藤十郎(礼造)、堀毎之助、初代村長堀昌造、堀藤十郎(誠道)の顔写真が掲載されている。
私は、50歳を迎えるまでは、堀家の沿革や史実、さらに建物、庭園など、まったくと言っていいほど無知で、興味すらなかった。
名勝指定で主屋の修復工事が始まり、旧畑迫病院の解体修理も行われることとなった。そ
のような動きの中で、地域住民でこの歴史的遺産を守り活かすことが行政からも求められていた。
あれから四半世紀、NPO法人「旧堀氏庭園を守り活かす会」が連綿として受け継いでいる。
全国の文化財の活用事例に詳しいY氏から、私たちの取り組みを高く評価して頂いた。
住民主体で、施設の維持管理や環境整備もさることながら、歴史的価値を見出すべく、先進地視察や参考文献の取り寄せ学習会の開催など、全く素晴らしいとの絶賛を頂いた。
よく、津和野に来られたお客様から、板垣さんがお勧めする場所を紹介してくださいと言われることがあります。
そんな時、私は永明寺と旧堀氏庭園を紹介することにしています。
そのわけは、庭の掃除や草刈り、窓拭きなど、我が家のごとく関わっているからだと思う。
勉強したことがなかなか身につかず、ボランティアガイドも自信がない。
せいぜい、1,282年に吉見氏が能登の国から来られたことやNHK大河ドラマ「西郷隆盛どん」の話くらい。
西郷隆盛が政治活動のお咎めで、奄美大島へ島流しされる。
現地の愛加那と恋仲に落ち、菊次郎と菊子が生まれた。
明治政府によって本土に連れて帰ることが許されなかった。
帰国後、3度目の結婚でイト(糸子)との間に寅太郎、午次郎、酉三の男3兄弟が生まれた。
二男の午次郎に嫁いだのが、15代堀藤十郎(礼造)の二女秀子だった。
ちなみに、礼造は8男6女と子宝に恵まれ、しかも、大変な酒豪だったようですよ。
そんな話がお客様には喜ばれる。庭園や建物の価値は、一目瞭然。
もうひとつ、「糧」の食事。季節の素材とシンプルな味付け、野菜ソムリエまで取得されたスタッフのおもてなしに、お客様はきっと満足されるだろう。
これからも仲間と共に、自慢の域を広げていきたい。