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2025-07-07 16:05:00

糧 大江健太

「らしさ」を追い求めて

旧畑迫病院で飲食店をはじめて、走り出すのにあたって一番大事に考えていたのは「らしさ」だ。

 

ぼくはこの場所をはじめる前の環境は、デザイン会社のスタッフでした。

その会社では言語化されていない「らしさ」をもっていて、ぼくはその「らしさ」を追い求めていた。その会社は、山陰界隈では群を抜く空間デザイン力を持っていて、今も第一線で活躍をしている。

代表は、会社が表現する「らしさ」について言葉少なくヒントを与えてくれるが、答えは与えない方針。今までつくられ空間化された「らしさ」から、自分ならではの創り方を模索する作業が求められていた。

空間化はされているが、言語化がされていない状態がスタッフであるメンバーの思考を止めない仕組みを作っていたのだと思うし、その環境であることがスタッフの力を磨き上げ、自分ごととして、会社というプロジェクトに関わることになっていったのだと思う。

 

話はもどるが、旧畑迫病院の飲食店のプロジェクトでは「らしさ」をどうつくりあげるかがポイントだと思っていた。

運営する立ち上げメンバーのエッセンスや方向性、社会の動向やマーケットの求めるものも、もちろん汲みとって積み上げて形にしていくことも大事ではあるのだけど、一番大事なことは、この「空間」が求めている「在りたい姿」なのだと思う。僕ら運営側は、その在りたい姿に呼ばれて、この場所を運営させてもらっていると思い続けることが大事なのだ。

 

この場所は男性なのか、女性なのか?性格は?喋り方は?趣味嗜好は?

ぼくら運営者がこの場所を我が物と所有の感覚で運営をすると、いつしか間違えてしまうだろう。場所というものには人格があり、その場所の人格は人と同じく尊重されるべきものなのだ。

 

運営メンバーにこのことを直接的な言葉で伝えないけど、問いかけているのは、この場所の等身大の姿であって、この場所の人格が満足するための工夫を求めている。

 

2016年の晩夏、ぼくらはこの場所の名前を「糧」と名付けた。

初心であり、在り方と工夫の為のヒントである言葉だ。

運営をしはじめてそろそろ10年。ぼくらの付き合い方は、やっとこの場所にフィットしてきたのかもしれないなと思い始めているが、まだまだこれからも工夫をし続けていき、この場所の、等身大で気持ちいい場作りのために貢献をしていきたいと思う。

 

2025-07-07 16:03:00

糧 大江梨

糧の仕事はやりがいがある。

2020年4月津和野に来て以来、糧の運営に関わっている。
現在は飲食の運営は私が担当し、発起人である店長の夫は広報や企画を担当している。

 

私は結婚といういわば成り行きで糧を運営しているわけなのだが、アルバイトの王道である飲食店の経験もなく、カフェ巡りが趣味でもなく、食べることは幼い頃から好きだが作ることが特別に好きなわけでもない。しかしながら、糧での仕事は、大して儲からないということを差し引いても、やりがいがあって面白いのである。

ここ数年、私は町議会議員という仕事も並行してやるようになったので余計にそう感じるのではないかということはここだけの話。

 

私は自分の仕事が「良い社会をつくる」ことにつながっていて欲しいと、初めて就職した時も、海外でボランティアをした時も思っていた。
それは糧を運営する今も変わっていない。

この小さな飲食店には不釣り合いの壮大なビジョンのように思えるが、食と社会はつながっているし、食が社会へのハードルを下げてくれていると日々の営業でも実感する。

 

とはいえ、飲食店としてお客さんに満足してもらわなければいけない。

冒頭、述べたように飲食店を運営するには私に足りないものが多いのだが、「お客さんをお腹いっぱい満足させたい」「食べさせたい」という、久々に帰省した時の実家の母のような気質があるようで、それはとても役立っているのである。
あとは、津和野の地元野菜パワーと何より旧畑迫病院の空間というスパイスが他に無い味を作ってくれている。


そんな他力本願ではいけないと思い、私自身も2023年に1年間薬膳教室に通い、試験を受け国際中医薬膳師という資格を取得した。
薬膳に特段のこだわりがあったわけではないが、食を学ぶなら薬膳が良いと夫が勧めてくれた。

結果的に、店の売り上げアップにつながっているかどうかは定かでないが、薬膳は24節気72候と私をつなぐツールとなり、人生における大切な学びになっている。

 

「社会を良くする」と何やら気合いの入ったことを書いたが、糧を運営することは、自然を感じ、四季を味わい、素敵な仲間やお客さんと出会うことであり、それはまぎれもなく畑迫での私自身の暮らしをより豊かにしてくれているのである。

 

最後に、今後の糧は店長の夫を筆頭に挑戦したい人が集う場になっていって欲しい。
私は時に本人に代わってハンドルを握りながらもサポートしようと思う。

2025-07-07 16:01:00

糧 谷口志津子

堀庭園、文化財指定20年の思い

旧畑迫病院であった糧で料理にたずさわり、早10年を迎えようとしている今、運営してきてくださった方々と、来店して下さった方々、また地元で応援してくださる方々に感謝しています。

 

四季を通して、楽しめる野菜の旬の味わいを感じて欲しいと野菜ソムリエの資格をとりました。

義母から教わった畑仕事は大変ですが、40年間努力して良かったと今頃になって思います。

 

最近、天候の不順によってか、思うように野菜が出来ず、一日一日が勉強の移り返しです。

野菜の出荷等はあえてせずに、料理に工夫をこらしてお客様に提供できればと思う次第です。

 

糧のスタッフの協力もあり、今では本当に良かったと思っています。

今後も益々、糧に足を運んでくださるお客様のために、努力していきたいと思います。

 

2025-07-07 15:59:00

島根大学法文学部 教授 小林准士様

旧堀氏庭園の名勝指定を振り返って

旧堀氏庭園を文化財として指定しようとする動きは21世紀に入ったころから出てきて、その頃から島根県の方に連れられて私も堀家に文書調査のために訪れるようになりました。当初は主屋の損壊が進み、どうなることやらと危ぶんでおりましたが、名勝指定となったことで見違えるように建物が修復されたことは感慨深かったです。

旧畑迫病院も同様に損壊が進んだ状況でしたが、こちらも保存修復がなり活用されることになりました。

 

堀家文書の調査に関わったことから津和野町との関係ができ、旧堀氏庭園保存管理計画策定委員会をはじめ、文化庁による文化財の総合的把握モデル事業や、鷲原八幡宮の調査、永明寺と亀井家墓所の委員会にも参加することになりました。そして文化庁の補助金を得て本格的に堀家文書の調査を進めることになり、津和野町の職員の方はもちろん、津和野町古文書の会の方々などのご尽力により、膨大な史料の目録を完成にまで漕ぎ着けられたことは、本当によかったと思っています。

 

というわけで堀家との関わりはすでに四半世紀に及んでいますが、史料目録の作成は同家文書の利用、活用という点ではスタートラインに立ったにすぎません。同家文書は近世後期の畑迫や笹ヶ谷銅山周辺地域の歴史を明らかにできるというだけでなく、近世から近代にかけての津和野町域の政治・経済・文化、中国地方の鉱山経営など、様々なことを解明できる重要な史料として利用できるはずです。

 

わたしも一部の史料については解読して紹介し研究にも利用していますが、まだまだごく限られています。こんご多くの研究者や地域住民の方々にも利用してもらうには、重要な史料を収めた史料集を編纂するなどのことが必要となるでしょう。堀家の人々の事蹟を明らかにすることを通じ、旧堀氏庭園や旧畑迫病院の価値について理解を深められるようにすることも課題です。

 

堀家文書が広く利用されるようになるよう、わたし自身も尽力していきたいと思っています

2025-07-07 15:54:00

河田設計一級建築士事務所  河田 周様

旧堀氏庭園との関わり 2005年、当時の津和野町担当者はこれからの文化財修理の設計監理は地元で行えるようにする必要があると、文化財建造物保存技術協会が行う主屋の調査に同行させていただいたことから旧堀氏庭園に関わることとなりました。

以来、2017年3月畑迫病院修理の設計監理業務が終わるまで10年を超えて通うことになりました。

 

文化財的価値

指定理由に「近世から近代の銅山師に関する一連の庭園」と書かれています。

近世は江戸期、近代は明治から昭和初期で、庭を切り口として江戸期から昭和初期まで銅山経営の歴史を見ることができます。

庭はそれだけで存在するものではなく、建物と併せて存在しています。

主屋には主庭、楽山荘には庭園と和楽園、畑迫病院には前庭が、それぞれが目的を持って存在していて、堀家の歴史やその時代背景を感じさせてくれます。

 

荒廃した文化財の修理現場に潜入

そんな隆盛を極めていた堀氏ですが、社会構造の変化によって急速に勢いが衰えていきました。

建物を維持管理していくだけの経済的な後ろ盾を失ってからは、主屋、畑迫病院ともに建物背面の崩落が進んで行き、2005年の主屋調査に至ることになります。主屋北側背面は倒木によって破損が広がり、背面の二階建建物がほぼ崩落していました。そこは戦争で破壊されたかのような、それは迫力のある現場でした。更なる崩落に気を配りながら、崩れ落ちて堆積している建物の部材をひとつひとつ拾い上げて、部位を考察して記録を取りながら、保存小屋に格納する作業が始まりました。拾い上げた部材からパズルのように元の状態を想像するのは楽しい作業でした。

 

過去の遺産を現代の価値で焼き直す

これからの文化財は活用することが求められる時代になりました。庭や建物の維持管理に加えて施設の運営が行えるだけの収益をあげるのは至難の業です。銅山経営で築いてきたものを現代の価値(ニーズ)で焼き直していく必要があります。その意味でも旧畑迫病院の修理活用方針と運営スタイルは挑戦的な試みであると言えます。今後の更なる展開を期待しています。

 

文化財行政の使命

旧堀氏庭園の建造物修理事業を通して、地元で文化財修理を行う環境が作られたことは大変重要なことです。今後私たちに課せられた使命は次世代にこの状況を引き継ぐことであり、そのためには文化財修理の仕事を継続的に行う必要があると強く思っています。

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