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NPO法人 理事長 齋藤勲
「堀家の思い出」
私が小学生の昭和20年代後半の頃と思います。
堀家16代堀 藤十郎 誠道さんが天神さんを祭る大行事の天神さんになり、肩巾2米位ある衣を着し、馬にまたがり、多くの従者を伴って、本家前より県道を横瀬方面まで練り歩くお祭りについて行ったことを思い出します。
県道はまだ道巾が狭く、地道の時代でした。
堀家17代 幸清さんは16代 誠道さんの長女温子さんの婿養子に来られました。
戦後の木材不足の時代、自山を中心に山三林業を設立し、地元の多くの人が従業していました。幸清さんご夫婦は、結婚以来津和野町本町に新居を構え住まれていました。
私は昭和62年2月の町議選に立候補し、堀家が邑輝にあり、地元という事で、以前より顔見知りである、幸清さんにはいろいろとお世話になりました。
その後、安野光雅美術館の土地にあった山三林業を、時代の趨勢もあり廃業しました。
奥さんを亡くされ、3人の息子さんも独立され、堀家の母屋楽山荘を一般公開されてからは、ほぼ毎日津和野本町の自宅より堀家に来られていました。
幸清さんは、平成20年3月にお亡くなりになりました。組内もだんだん少なくなり、組内代表の田代安雄さんを中心に通夜葬儀のお手伝いをさせていただきました。
それ以来、堀家は空き家となり、台風の影響もあり、自然と裏側の屋根は荒廃して行きました。裏側の崩落は進み、峯近くまで瓦が落ちる状態となりました。
私は町議会の一般質問で、この件について、質問し町長の意見を求めました。
旧堀氏庭園は、堀家から益田市の大谷一生さんの所有となり、大谷さんはその後、津和野町に寄贈され、町の教育委員会の管理に置かれました。
平成17年旧堀氏庭園として、国の名勝指定を受け、我々地元有志を含め二十数名で旧堀氏庭園を守り活かす会を立ち上げ、その後、NPO法人化しています。
活かす会は、旧畑迫病院内のレストラン糧をはじめ、母屋、楽山荘、病院近辺の環境整備、イベントの開催、堀氏が経営した鉱山をはじめ、諸々の事業についての調査、研修などについて取り組んでいます。
名勝指定20周年を経て、さらに充実した事業展開をして行きたいと思います。