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津和野町文化財保護審議会委員 堀氏研究者 等農 修様
「堀家と私」
本年で、旧堀氏庭園が、「国の名勝」に指定されて、20年を迎えることになりました。心よりお慶び申し上げます。
それまでの、「名隣」指定のための町当局様のご苦労は、言い表わせない心痛があったことと推察いたしております。
そして指定以後も、設計管理業務・解体工事・組立工事・周辺工事等、継続してこれらの事業に取り組みご尽力されてまいりましたことに、心より敬意とお礼を申し上げます。
歴史的価値の高い重要な文化財として、今後も堀家を活かしたまちづくりの中核となるべき施設として、さらなる保護と活用を図っていただきたいと願っております。
さて、私は、現在、堀家の調査研究をさせていただいておりまして、一人で町内外を走り回っております。
12年前に50年間のサラリーマン生活を卒業いたしまして、その後、農業の傍ら地域のお手伝いをしようかと思っておりました時、偶然、堀家の解体修理工事、畑迫病院の回収工事が開始され、日々、この現場が目に付くようになりました。
そして、堀家についての学習会や、ガイド研修などが開催されるにつけ、段々と、堀家の調査研究をしてみたいと考えるようになりました。
もともと、堀家とはご縁がございまして、それらの状況も大いに関係があったのかも知れません。
まず、私が結婚後、堀家のご自宅(津和野町一東一殿町一)の隣に住んでおりまして、朝夕ご挨拶をさせていただいておりました。50年前の、堀家第17代当主、幸清(よしきよ)さんと、堀家直系の奥様温子さんです。
また、当時、ご夫婦二人のご自宅へ、私の親戚の伯母が家事の手伝いに行かせていただいておりまして、堀家のお話はよくお聞きしておりました。奥様の温子さんが、平成6年に、七十二歳でなくなられた後も行かせていただいておりましたので、伯母は30年以上お世話になったと思います。
その後、昭和四十年代後半には、堀家第18代当主哲三さん(横浜市在住)が、大学卒業後、津和野駅前の堀家経営「山三林業株式会社」に勤務中で、営業車として、「フォルクスファーゲン」を乗り回しておられたお姿を思い出し、三年前の帰省の際に、そのお話をご本人とさせていただいた経緯があります。
本人も笑っておられました。この会社も三十年前に閉鎖され、所有資産処分のため、私の裏山五町歩を購入させていただきました。
また、平成元年の台風十九号による倒木で、堀家の母屋の屋根が大きく破損し、止むを得ず、建物や所有地の売却を検討せざるを得なくなった際も、私に相談をいただき、これまでの経緯と今後の処置についての意向をお示しされました。そして、売却代金をお預かりし、入金させていただきました。平成4年のことです。
三年前に帰省されました哲三さんとは、その後、コロナ禍でお会いいたしておりませんが、お元気で活躍のようです。 定期的なお便りをいただき恐縮しています。帰省の際は1番にお会いしていただけると思っています。
現在、堀家に関する情報や資料は、私が走り回って収集いたしておりますが、かっての堀家の所有者「大谷一生」社長さんにもご協力をいただき、写真などの資料をお借りした経緯もございます。
そして現在、資料も少しずつ増えてまいりまして、現在、この整理に追われています。
私は二年前まで、「NPO法人旧堀氏庭園守り活かす会」に所属させていただいておましたが、妻の体調不良
もあり、退会させていただきました。
現在私は、マイペースで活動をさせていただいておりますが、もう少し堀家関連情報を収集させていただきたいと考えております。
堀家の情報に関しては、現場である、堀庭園事務所、旧畑迫病院事務所、NPO法人、そして、大元の津和野町教育委員会さんにありますが、さらなる情報共有と開示をしていただければ幸いです。ご協力のほどよろしくお願いいたします。