一言法話

2023-01-30 23:04:00

81.節分とは


2月3日は節分ですが、節分は1年に4回あることをご存知でしょうか。

節分とは各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことであり、節分には「季節を分ける」という意味もあります。

江戸時代以降は私達がイメージする通り、節分といえば、立春(2月4日であることが多い)の前日を指すことが多くなったということです。

古来より、季節の変わり目(立春・立夏・立秋・立冬)には邪気(鬼)が生じると信じられ、それを追い払うための行事が執り行われてきました。

節分には豆まきをされる方も多いと思いますが、一般的には「鬼は外、福は内」と声を出しながら福豆(煎り大豆や落花生)をまき、年齢の数だけ(もしくは1つ多く)豆を食べます。なぜ豆をまいて食べるのかと言うと、豆は魔(ま)を滅(め)すると読むことができるからだと言われています。

日光院では毎年、立春の2月4日午後2時より星祭りを行っています。日光院の星祭りとはどのような法要なのかということに関しましては

「一言法話」の 8.星祭り 9.命穀供養 45.宿曜経 をお読みいただければと思います。

去年と一昨年はコロナ禍でありましたので、豆まきは行いませんでしたが、今年は豆まきも再開します。

今年一年無事に過ごすことができますように、そして少しでも福徳が増しますように、仏様に一緒に祈りを捧げましょう。
どなたさまも参拝いただけます。皆様のお越しをお待ちしております。

 

2023-01-20 08:17:00

80.無駄なものなどなし

 

前回の一言法話では、真言密教の教えがなぜ秘密の教えなのかということをお話しました。なぜ秘密なのか。森羅万象様々な事象、事柄の中に仏の教えは満ち溢れているのだけれども、そのことに私達はなかなか気づくことができないので、結果として秘密になっているのと同じだということです。

仏の教えを受け取るには心の眼、心眼を持たなくてはいけません。そのためには心を清めなくてはいけません。いくら仏の教えを受け取ろうとしても受信機である心が荒んでいる状態では正しくその教えを映し出すことはできないからです。光り輝く満月もそれが映る水面が波立っていては歪な光としてしか認識できないのと同じです。
心眼で物事も見定めることができれば、この世は仏の教えに満ち溢れ、無駄なものや事柄は何一つないということが真言密教の教えです。

医王の目には途(みち)に触れてみな薬なり、解宝(げほう)の人は鉱石(こうしゃく)を宝と見る

 お大師さまの著作『般若心経秘鍵』の中にこのようにあります。『般若心経秘鍵』は『般若心経』を真言密教の立場で解釈した注釈書です。優れた医者の目から見れば、道端の草が、すべて薬草に見え、鉱物資源を見分ける者には、そこらにある鉱石を貴重な宝として見る事ができるわけです。

お分かりでしょうが、ここでいう優れた医者や鉱物資源を見分ける者とは心眼で物事を見分けられる人を表す喩えです。そのような心眼を持ち、この世の宝(仏の教え)を見つけていきましょうとお大師さまは私達に呼びかけているのです。

 

2023-01-11 13:06:00

79.秘密の教え

 

先日、お寺にお参りに来られた檀家さんとお茶を飲みながらお話をしておりますと急に「密教の密とは秘密の密ですよね。何が秘密になっていて、どうして秘密にするのですか。」と質問されました。そんな質問をされることは滅多にないので「うわーすごいことを聞いてくるなー。」と少々びっくりしましたが、真言宗の教えに興味を持っていただいていることに、こちらも嬉しくなり、色々とお話をさせていただきました。

真言宗の教えは真言密教といういい方もいたしますが、密教です。まさしく秘密の教えということになります。では真言宗以外の宗派は何かというと、密教の立場からすると顕教(顕れた教え)ということになります。

きっと皆さんも疑問に思われるでしょう。秘密の教えとはどういうことなのでしょうか? 

お大師さまは『弁顕密二教論』の中で秘密には二種あるとおっしゃっています。「如来の秘密」と「衆生の自秘」です。

「如来の秘密」とは授ける側が受け取る者の能力をみて、まだ早いと判断した場合には秘密にするということです。密教はものごとの表面的な意味合いより内面の本質的なものを宗教体験を通して理解しなくてはいけないと考えるので、その域に達していない者にはみだりに公開してはいけないわけです。結果、秘密となってしまうということです。このことは密教に限らず、世の中の様々な場面にみられることでもあります。柔道などでも、初めての稽古で、いきなり巴投げなどを教える指導者は、まずいないでしょう。 

もうひとつの「衆生の自秘」ですが、こちらが密教においての秘密の本当の意味をあらわしていると言えます。秘密となっている原因は自分自身にあるということです。実は世の中に秘密になっているものなど何もなく全ては公開されていると考えます。しかし、自分にその公開されていることに気づく能力がないから、知ることができず、あたかも秘密になっているのと同じ状態なのだということです。 

仏様は私達に様々な形・姿や方法でもって私達に説法を行っているとお大師さまはおっしゃいます。、雨が降り注ぐさまにも、咲き誇った花が散ってしまうさまにも、夜空に浮かぶ星の動きにも、この世のありさまは常に私達に何かを語りかけているというのです。ただ、その説法を受け取ることは簡単なことではありません。この世に溢れている仏の教えを理解するには自分自身がその境地に達していなくてはいけないからです。仏道の修行や阿字観(真言宗で行う観法)、読経や写経といった宗教体験は仏の説法を受け取るアンテナのようなものを自分の心に獲得する行いでもあるのです。

2023-01-01 22:22:00

78.言葉の大切さ

 
皆様、明けましておめでとうございます。
今年こそ世の中がコロナ前のような状態に戻り、穏やかな一年を送りたいものですね。
今回、3年前の2020年元旦にそごう・西武が朝日新聞関東版等に全面広告として掲載した印象的な文章を紹介させていただきます。

「大逆転は、起こりうる。
わたしは、その言葉を信じない。
どうせ奇跡なんて起こらない。
それでも人々は無責任に言うだろう。
小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。
誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。
今こそ自分を貫くときだ。
しかし、そんな考え方は馬鹿げている。
勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。
わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。
土俵際、もはや絶体絶命。 

ここまで読んでくださったあなたへ
文章を下から上へ、一行ずつ読んでみてください。
逆転劇が始まります」

 

実際に下から上へも読んでみましたか。
この文章は、当時「正月から元気が出る」広告として話題になりました。
私は初めてこれを目にした時、衝撃を受けました。それと同時に、絶望的だと思える状況も考え方一つで希望に変える事ができるのだということをわかりやすく指し示してくれるすばらしい文章だと思いました。そして、言葉には人々を元気にしたり、勇気づける大きな力があるということを再確認したことを覚えています。
言葉には大きな力があります。前向きな言葉によって、人は勇気づけられます。また、温かい言葉によって、落ち込んでいる人は慰められ、元気を取り戻します。
真言宗は、「真」の「言」葉の「宗」であると言えます。
 年の始めに当たり、これまで以上に言葉というものを大切にしていこうと考えております。

 

2022-12-21 21:24:00

77.成就数

 

今回の一言法話は「7」という数が2つ並ぶ通算77話目となりますので、「7」という数についてのお話をしたいと思います。


「7」は人気のある数だといえます。ラッキーセブンともいいますが、車のナンバーも「7」や「777」「7777」といった7のゾロ目を希望する方はかなり多いようです。

では仏教ではどうなのかと言いますと、やはり「7」は大事な数であり、物事が成し遂げられるための数「成就数」だといわれます。お釈迦さまはお生まれになって、すぐに7歩歩かれたと言われますが、これは後に六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)の迷いの世界を乗り越え、悟りを開かれたことを象徴するお話です。そこから「7」は『成就数』だと言われるわけです。「7」と同じように仏教では「3」の数も大事だと考えます。「3」は「悟りを表す数」だとされます。「3」についてのお話は、また何かの機会にさせていただきたいと思います。

仏さまのご真言をお唱えする時の回数は、3回、7回、そして一桁が3となる13回、3と7を掛け合わせた21回、そして私達の煩悩の数、わかりやすく言うと欲の数である108回がよろしいとされています。ちなみに大晦日にお寺で鐘を108回撞くのはこの煩悩を一つずつ無くすためだということを聞いたことのある方も多いでしょう。


また、年忌法要も3と7が一桁につく回忌の年(三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌・・・)に勤めていただくことをお勧めしております。

これもご存知でしょうが、年忌は一周忌だけは故人のご命日から、ちょうど1年後となりますが、その後は○回忌となります。回忌は亡くなられたその日を合わせ何度目の祥月命日を迎えられるのか、というように考えていただくとわかりやすいかと思います。三回忌ですと亡くなられたご命日を1度目とし、一年後の祥月命日が2度目、二年後の祥月命日が3度目と数えます。ですから亡くなられてから2年後の祥月命日が三回忌ということになります。同じように七回忌でしたら、亡くなられて6年後ということになりますので、お間違えにならないようにして下さい。

 

今回が今年最後の一言法話となります。来年も一人でも多くの方の目に留まり、読んでいただけるよう、努力してまいりたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

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