一言法話
122.魔法の言葉
私たちが普段何気なく使う「ありがとう」という言葉は「有難し」という仏教語が語源となっています。
仏教語としての有難しは、人間としてこの世に生まれ仏の教えに出会うことが出来たことはとても貴重なことなのだという意味ですが、それが転じて「ありがとう」は感謝の気持ちを表す言葉となりました。
この感謝の言葉「ありがとう」にはすばらしい効能があることを知っていますか。
「ありがとう」と感謝されることはもちろん嬉しいことですが、感謝の気持ちを伝える側にも様々な効能があるそうです。
人間の脳内には感謝の言葉を口にすることによって3つの幸せホルモンが分泌します。その1つがセロトニン、精神を安定させるホルモンです。2つ目はドーパミン、やる気や幸福感に関係し集中力を高める効果があります。3つ目はオキシトシン、これは人間関係の改善や信頼感の向上に貢献するホルモンで絆ホルモンと呼ばれます。
感謝の気持ちを表す言葉の代表が「ありがとう」だといえますが、こうした感謝の言葉を口にすることによって、3つ幸せホルモンが脳内の神経回路に良い影響を与え、心の安定がもたらされるのです。
仏教には無財の七施といって誰でもできる布施があります。その中の1つに愛語施(言辞施)‐思いやりのある優しい言葉ををかけること、がありますが、「ありがとう」はまさしく愛のこもった優しい言葉です。「ありがとう」は科学的にもその効能が証明されている、かける側も受けとる側も幸せな気持ちに包まれる魔法のような言葉です。
121.お盆の過ごし方
いよいよお盆が近づいてまいりました。
お盆には実家に帰省するという風習が昔からありますが、同時に、お盆はご先祖様が、この世に帰ってくる大切な期間でもあります。
盂蘭盆に父似母似の子等集う 春原幸子
仏教ではお盆を盂蘭盆(うらぼん)といいますが、この句はお盆に家族や親戚が集まり、和気あいあいと近況報告や思い出話に花が咲いている情景を想像させます。帰ってきたご先祖様は集った子孫のそんな様子を見たならば、さぞかし喜ばれることでしょう。
中島みゆきさんの有名な「糸」の歌詞に
縦の糸はあなた 横の糸はわたし
とありますが、縦の糸をご先祖様から私に繋がる糸、横の糸を私と家族、親戚とが繋がっている糸と言い換えることもできます。そんな縦と横の繋がりを縁として、はじめて私の命は今こうしてここに成り立つことができるわけです。そんな大事なことを教えてくれるのが、お盆のありがたさでもあります。
お盆はもともとご先祖様を大切にする日本の伝統的な文化に仏教の仏説盂蘭盆経の教えが融合され、今のお盆の形になりました。(仏説盂蘭盆経については「64.お盆の由来」をお読みください。)お盆の期間を単なるお盆休みとして、自分達だけで遊び回って終わりとするのではなく、帰ってこられるご先祖様にも喜んでもらえるような過ごし方を心がけましょう。
120.我が心能くなす
早いもので今年も半年が経ちました。
もう半年も過ぎたのか、これといって何もできなかったな、この調子だと残り半分もいつの間にか過ぎていってしまうのかな、といったような憂鬱な思いで1年を折り返すのか。いやいやまだ半年もあるぞ、残りの半分充実した毎日にしていくぞ、と前向きに捉えていくのか。それは自分次第ですね。
お大師さまのお言葉にこのようにあります。
強弱他に非ず 我が心能くなす
心の強弱(浮き沈み)は自分自身が作り出すものなのだ。とお大師さまはおっしゃいます。もちろん、私たちの心は、どうしたって周りの様々な環境や物事を受けて動かされますから、自分だけが自らの心の浮き沈みを作り出しているとは言えないのでは?と思います。しかし、様々な環境や物事を自分がどのように捉えるかによって心の浮き沈みは変わってきます。そう考えると、やはり自分自身が心の強弱を作り出しているといえます。
晴れた日と雨の日どちらが好きですか?晴れの日と答えられる方がほとんどかと思います。晴れた日には太陽の暖かさにつられ、心も浮き浮きとしますが、雨の日には気持ちもどんよりとしがちです。雨の日はいやだな、など勝手に思ったりもしますが、雨によって様々な食物、作物が育つ有難さを考えたならば、雨は恵みの雨でしかありません。
物事をどのように捉えるかということが、自分自身の心を沈めてしまうことなく、浮き浮きとした毎日を送るためにも大事なことです。
119.口は何の元?
人間は万物の霊長と言われますが、その賢さの根拠は道具と言葉を使用できるからだといいます。言葉はお互いの気持ちや知識を伝え合うことのできる大切な手段ですが、口は災いの元と言うように使い方を間違えるととんでもないことにもなります。先日も前農林水産大臣が国民の反感を買うような発言をし、結果農林水産大臣を辞任することにまでなってしまいました。
仏教にはよりよく生きるための指針となる十善戒といわれる十の戒めがあります。
十の戒めは行いの戒め、言葉の戒め、心の戒めの三つに分けられるのですが、この中で言葉の戒めは一番多く四つあります。
不妄語(ふもうご)…嘘をつかない
不綺語(ふきご)…飾り立てた言葉を話さない
不悪口(ふあっく)…悪口を言わない
不両舌(ふりょうぜつ)…二枚舌を使わない
しかしどうでしょうか。よりよく生きたいと、この四つの戒めを守ろうとしても、それは簡単なことではないということがお分かりいただけるかと思います。
普段の生活の中で私たちはつまらない嘘をついたり、おべっかを使ったりしてしまうものです。それだけではありません。そんなつもりはなかったとしても自分が発した言葉で誰かを傷つけてしまうこともあるでしょうし、こちらの思いが意図した形で伝わらなく、誤解を生んでしまうこともあるものです。そういった意味でも、やはり口は災いの元です。
しかし、言葉は悲しみに暮れる人を励ましたり、不安で落ち込んでいる人を勇気づける力にもなります。そのような言葉を発することが出来れば口は幸いの元となります。
言葉は善きにつけ悪しきにつけ大きな力を持っています。そんな言葉というものを私たちは日々大事に使っていかなくてはいけないですね。
118.終わりは始まり
津軽海峡で足踏みをしていた桜前線もようやく北海道に上陸し、小樽でもあちこちで桜が満開となりました。日本人にとって桜は特に人気のある花ですが、その魅力の1つに短い時間で儚く散ってしまうことがあげられると思います。
童謡「ぞうさん」を作詞した、まど・みちおさんは、さくらの花びらが散るさまを深い視点でもって一つの詩に詠まれました。
「さくらのはなびら」
えだを はなれて ひとひら
さくらの はなびらが じめんに たどりついた
いま おわったのだ そして はじまったのだ
ひとつの ことが さくらに とって
いや ちきゅうに とって うちゅうに とって
あたりまえすぎる ひとつの ことが
かけがえのない ひとつの ことが
きれいに咲き誇っていた桜の花びらがあっけなく散ってしまうさまは物悲しいことであり、儚さをも感じるわけですが、それは同時に次の花が咲く準備が始まったということでもあります。時が来れば花びらは散ってしまいますが、また次の年にはきれいな花を咲かせてくれる。そのことを私たちは当たり前だと思って過ごしておりますが、よくよく考えると、それはかけがえのないことなのだとこの詩は訴えます。桜に限らず全ての物事は留まることなく浮き沈みを繰り返していくものです。
お大師さまのお言葉にもこうあります。
それ禿なる樹、定んで禿なるにあらず。春に遭うときはすなわち栄え華さく
たとえ今が、芽が出ないような日々であったとしても、そこを乗り越えた先には花咲く未来が待っていることを信じていきましょう。そして、そんな素晴らしい日々が訪れたとしても、物事が留まることはありません。おごり高ぶることなく大切に日暮しいたしましょう。