一言法話

2026-05-01 12:37:00

130.我がものに


先月の法話では苦しみを楽しめればしめたものというお話をしました。言うは易しですが、どうすればそんな境地に至ることができるでしょうか。

「我がものと思えば軽し 傘の雪」ということわざがあります。
これは松尾芭蕉に師事した江戸時代の俳人、宝井其角の句
「わが雪と 思へば軽し 笠の上」が元になったことわざなのだそうです。

傘に降り積もる雪はまさしく仏教でいうところの思いのままにならない苦しみを表しているといえます。この苦しみを自分は嫌々背負わされているのだと考えたなら、その重さはどんどん増していきます。そうではなくて、この苦しみは自分が成長するために与えられた試練であり、この苦しみという名のご縁を仏様は与えてくださったのだ。という風に捉えることが出来たなら苦しみの重みは消えていくでしょう。「さて、これからどうやってこの試練を乗り越えてやろうか」そんな前向きな捉え方が出来れば苦しみと思えたことは楽しみに変換できるはずです。
日々の務め、自身の役割、様々なことを「やらされている」と考えるならば、それは全て人生の重荷となってしまいます。そうではなくて「自分磨きの様々なご縁をいただいているんだ」と考えることが出来るなら苦しみは楽しみへと変えることが出来ます。
どのように物事を捉え、どう考えるかによって、私たちはいかようにも生きることができるのです。

 

2026-04-01 16:35:00

129.苦しみを楽しみに


新たな年度の始まりを迎え、身の引き締まるような思いがいたします。皆さんはいかがですか。

先日、ある研修会に行ってきました。講師は高野山大学の教授をされていた前谷彰先生でした。先生は講演の中でこのようにおっしゃられました。
“仏教は一切皆苦っていうでしょう。でも、すべてが苦しいという言い方、私は嫌いです。というのも仏教を勉強するとはどういうことか、よく考えて見てください。苦しみを軽減するために仏教を学ぶのですか。違うでしょう。苦というものを楽しめるぐらいのところまでに行くために、仏教を学ぶわけです”

お釈迦さまは一切皆苦、物事全ては苦しみであると説かれます。そう言われてしまうと、なんともがっかりしてしまいますが、一切の物事は自分の思い通りになんてならないから、苦しみなのだとお釈迦様はおっしゃるわけです。自分の思い通りにしたいという欲望が達せられないため、私たちはそれを苦しみと捉えてしまうわけです。前谷先生は仏教というのは思い通りにはならないという苦しみを少しずつ軽減していくための教えなのではなく、その苦しみを楽しめるぐらいの境地に進むために仏教はあるのだと言われました。苦しみを楽しみにまでもっていくということは簡単なことではありませんが、世の中の物事は思い通りになかなかならないのが当たり前、ということを真に理解したならば、物事の受け止め方は180度変わるでしょう。そうなると苦しみを楽しめる、苦しみが当たり前なことならばそれを楽しまなきゃ、そんな境地になることができればしめたものです。

 

2026-03-01 17:27:00

128.偏ることなかれ

 

早いもので3月となりました。今年は20日が春分の日、お彼岸はその前後三日間となります。春と秋にあるお彼岸は昼と夜の時間がほぼ同じとなることから中道という仏教の教えとも結びつき、この1週間はご先祖様を偲ぶ大切な期間とされてきました。お釈迦様が悟りを開かれてすぐ、以前一緒に修行した仲間たちに説いた教えの1つが中道です。中道というと最近では新しい政党、中道改革連合が話題になりましたが、仏教でいう中道とはどういうことを意味するのでしょうか。

お釈迦様は釈迦族の王子として生まれ、衣食住何不自由のない生活を送っていました。しかし、お釈迦様はそのような生活には満たされることはありませんでした。人間は老いて、病に犯され、そして必ず死を迎えなくてはならない。避けたくても避けられないこの世の現実をありのままに直視されたお釈迦さまは、思い通りにはならないその苦しみから逃れるすべを見つけるため、お城を出て修行の道に入ります。自分の身体をとことん痛めつける苦行も行い、最終的には食事をとることも止めてしまい、その体は骨と皮だけになってしまうほどでした。しかし、いくら苦行を続けてもそこに人生の苦しみから逃れる悟りはありませんでした。そこで気づかれるのです。贅沢三昧の生活も体を痛めつける苦行も、どちらも心安らかとなる悟りに向かう道ではないと。お釈迦さまはその後、体調を整えられ、菩提樹という木の下で静かに瞑想され悟りを開かれ、最初に説かれた教えの一つが中道です。どちらか一方に偏ってはいけない、とらわれてはいけないという教えです。

こんな話があります。
戦国時代の剣の達人に塚原卜伝(つかはら ぼくでん)という人がいました。
ある時卜伝に弟子入りを志願してきた男が、卜伝にこう尋ねました。
「わたしは一生懸命に修行します。それで、何年くらいで免許皆伝になれますか?」
「そうだな、おまえはなかなか筋がいいから、五年でなれるじゃろう」
男は再び卜伝に問いました。
「では、寝食を忘れて修行に打ち込めば、何年で免許皆伝になりますか?」
「それだと十年はかかるなあ…」おかしい……と、男は思い、もう一度卜伝に尋ねました。
「では、死に物狂いで修行すると、何年で免許皆伝になりますか?」
「おいおい、それでは一生かかっても免許皆伝はできないぞ」

死に物狂いで修行をしても、それでは逆に遠回りになるとの卜伝の答えは、免許皆伝までの年月にとらわれ、極端に走ろうとする弟子へのまさしく中道の勧めであるといえます。

 

2026-02-01 20:08:00

127.除災招福


今年の節分は2月3日です。節分といえば2月3日というイメージが定着していますが、昨年は37年ぶりに2月2日が節分でした。節分の次の日が立春ですので、今年は2月4日が立春となります。立春といえば冬のピークが過ぎて春の兆しを感じ始める頃をいうのですが、実際の立春はそうとはいきません。北海道ではこれから冬本番といったところ、特に今年は札幌や小樽は雪が多く、本当に春が待ち遠しい今日この頃です。

日光院では毎年2月4日午後2時より立春星祭り法要を行っています。それぞれの運勢を司る星に供養し、除災招福を祈る法要ですが、法要後には豆まきを行います。豆まきは「鬼は外 福は内」のかけ声で行うのが一般的ですが、「鬼は外 福は内」はまさしく災いを除いて福を招く、除災招福を祈るかけ声だといえます。しかし仏教では鬼は私たちの心の中に生じるものであるとも考えます。欲深さや怒り、そして自分勝手なものの見方といったものが、私たちの心の中の鬼です。心の中の鬼たちは私たち自身を苦しめる存在でもありますが、その心の中の鬼たちを自分自身で上手く治めることができれば、苦しみの災いから逃れることができます。
日光院での豆まきのかけ声は「福は内 福は内」です。もちろん福をもっともっと呼び込みたいとの思いを込めての「福は内」ですが、この「福は内」にはもうひとつ大きな意味合いがあると思うのです。私たちは福(幸福)を外に求めがちですが、命をいただき、この世を今当たり前のように生きていられるその有難さに目を向けたならば、すでに福をいただいていることに気付かされます。そんな風にものの見方を変えたならば日々の生活の中に様々な福を見つけることができ、結果、それは福を招いているということになります。
様々な思いを込め、当日は「福は内 福は内」との掛け声のもと、豆まきをさせていただきます。
どうぞ、当院の立春星祭り法要にお越し下さい。共に除災招福を祈りましょう。

 

2026-01-01 18:01:00

126.七福神


新年あけましておめでとうございます。

昔から、お正月には七福神をおまつりしている神社仏閣を巡るのが良いとされてきました。これは江戸時代に大飢饉がおこったことから始まった風習で、作物の収穫が激減した時により多くの神様の力を借りようとしたことがきっかけです。七福神参りは「七難即滅 七福即生(七つの災難が滅して七つの福が訪れる)」の御利益を得られるといわれてきました。
また良い初夢を見るためには宝船に乗った七福神が描かれた紙などを枕の下に入れるとよいということを聞いたことがある方も多いでしょう。しかし、七福神は仏教の仏様、道教や神道、そしてヒンズー教のバラエティーに富んだ仏や神々だということは案外知られていないかもしれません。
七福神の中で唯一の日本古来の神様である恵比寿さんは日本という国を生み出したイザナギとイザナミの子供であるといわれます。 釣り竿と鯛を持っているのが特徴で、漁業、農業、商業の神様として商売繁盛のご利益があります。
大黒天はインド出身、米俵の上で打ち出の小槌と大きな袋を持つ神様です。
もともとはインドのヒンズー教の神様で戦いの神様でしたが、日本に伝わると食べ物や福の神様となっていきます。金運や開運、縁結びのご利益や勝負運のご利益まで持ち合わせています。
毘沙門天ももともとはインドの古い神様。仏教に取り入れられ、仏様を護る四天王うちの1人となりました。勝ち運や厄除けのご利益があります。 
弁財天は七福神唯一の女性です。琵琶を奏でる絶世の美女であり芸能の神様として芸事、音楽、話術の才能を開花させるというご利益があります。ヒンズー教の創造主ブラフマーの妻サラスヴァティーが由来となっていて仏教に取り入れられ弁財天となりました。
福禄寿と寿老人は同じ神様で名前だけが違う同体異名と考えられている道教の神様です。古来より南極は人の寿命を支配するという信仰が発展して神様となり、南極老人ともいわれます。福禄寿は鶴を従え、杖を突いています。寿老人は鹿を従え、杖と桃を持ちます。いずれも健康や長寿のご利益があります。
布袋尊は中国の仏教の元僧侶です。七福神の中で唯一実在の人間が神格化した神様です。真ん丸なお腹に大きな袋を担いで笑顔でいるのが特徴です。夫婦円満と人徳の神様で金運や出世運、仕事運アップの神様です。
このお正月、七福神や様々な仏様・神様に願いを託し、今年一年よりよい年になるようともに祈りましょう。

 

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