一言法話

2023-01-11 13:06:00

79.秘密の教え

 

先日、お寺にお参りに来られた檀家さんとお茶を飲みながらお話をしておりますと急に「密教の密とは秘密の密ですよね。何が秘密になっていて、どうして秘密にするのですか。」と質問されました。そんな質問をされることは滅多にないので「うわーすごいことを聞いてくるなー。」と少々びっくりしましたが、真言宗の教えに興味を持っていただいていることに、こちらも嬉しくなり、色々とお話をさせていただきました。

真言宗の教えは真言密教といういい方もいたしますが、密教です。まさしく秘密の教えということになります。では真言宗以外の宗派は何かというと、密教の立場からすると顕教(顕れた教え)ということになります。

きっと皆さんも疑問に思われるでしょう。秘密の教えとはどういうことなのでしょうか? 

お大師さまは『弁顕密二教論』の中で秘密には二種あるとおっしゃっています。「如来の秘密」と「衆生の自秘」です。

「如来の秘密」とは授ける側が受け取る者の能力をみて、まだ早いと判断した場合には秘密にするということです。密教はものごとの表面的な意味合いより内面の本質的なものを宗教体験を通して理解しなくてはいけないと考えるので、その域に達していない者にはみだりに公開してはいけないわけです。結果、秘密となってしまうということです。このことは密教に限らず、世の中の様々な場面にみられることでもあります。柔道などでも、初めての稽古で、いきなり巴投げなどを教える指導者は、まずいないでしょう。 

もうひとつの「衆生の自秘」ですが、こちらが密教においての秘密の本当の意味をあらわしていると言えます。秘密となっている原因は自分自身にあるということです。実は世の中に秘密になっているものなど何もなく全ては公開されていると考えます。しかし、自分にその公開されていることに気づく能力がないから、知ることができず、あたかも秘密になっているのと同じ状態なのだということです。 

仏様は私達に様々な形・姿や方法でもって私達に説法を行っているとお大師さまはおっしゃいます。、雨が降り注ぐさまにも、咲き誇った花が散ってしまうさまにも、夜空に浮かぶ星の動きにも、この世のありさまは常に私達に何かを語りかけているというのです。ただ、その説法を受け取ることは簡単なことではありません。この世に溢れている仏の教えを理解するには自分自身がその境地に達していなくてはいけないからです。仏道の修行や阿字観(真言宗で行う観法)、読経や写経といった宗教体験は仏の説法を受け取るアンテナのようなものを自分の心に獲得する行いでもあるのです。

2023-01-01 22:22:00

78.言葉の大切さ

 
皆様、明けましておめでとうございます。
今年こそ世の中がコロナ前のような状態に戻り、穏やかな一年を送りたいものですね。
今回、3年前の2020年元旦にそごう・西武が朝日新聞関東版等に全面広告として掲載した印象的な文章を紹介させていただきます。

「大逆転は、起こりうる。
わたしは、その言葉を信じない。
どうせ奇跡なんて起こらない。
それでも人々は無責任に言うだろう。
小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。
誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。
今こそ自分を貫くときだ。
しかし、そんな考え方は馬鹿げている。
勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。
わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。
土俵際、もはや絶体絶命。 

ここまで読んでくださったあなたへ
文章を下から上へ、一行ずつ読んでみてください。
逆転劇が始まります」

 

実際に下から上へも読んでみましたか。
この文章は、当時「正月から元気が出る」広告として話題になりました。
私は初めてこれを目にした時、衝撃を受けました。それと同時に、絶望的だと思える状況も考え方一つで希望に変える事ができるのだということをわかりやすく指し示してくれるすばらしい文章だと思いました。そして、言葉には人々を元気にしたり、勇気づける大きな力があるということを再確認したことを覚えています。
言葉には大きな力があります。前向きな言葉によって、人は勇気づけられます。また、温かい言葉によって、落ち込んでいる人は慰められ、元気を取り戻します。
真言宗は、「真」の「言」葉の「宗」であると言えます。
 年の始めに当たり、これまで以上に言葉というものを大切にしていこうと考えております。

 

2022-12-21 21:24:00

77.成就数

 

今回の一言法話は「7」という数が2つ並ぶ通算77話目となりますので、「7」という数についてのお話をしたいと思います。


「7」は人気のある数だといえます。ラッキーセブンともいいますが、車のナンバーも「7」や「777」「7777」といった7のゾロ目を希望する方はかなり多いようです。

では仏教ではどうなのかと言いますと、やはり「7」は大事な数であり、物事が成し遂げられるための数「成就数」だといわれます。お釈迦さまはお生まれになって、すぐに7歩歩かれたと言われますが、これは後に六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)の迷いの世界を乗り越え、悟りを開かれたことを象徴するお話です。そこから「7」は『成就数』だと言われるわけです。「7」と同じように仏教では「3」の数も大事だと考えます。「3」は「悟りを表す数」だとされます。「3」についてのお話は、また何かの機会にさせていただきたいと思います。

仏さまのご真言をお唱えする時の回数は、3回、7回、そして一桁が3となる13回、3と7を掛け合わせた21回、そして私達の煩悩の数、わかりやすく言うと欲の数である108回がよろしいとされています。ちなみに大晦日にお寺で鐘を108回撞くのはこの煩悩を一つずつ無くすためだということを聞いたことのある方も多いでしょう。


また、年忌法要も3と7が一桁につく回忌の年(三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌・・・)に勤めていただくことをお勧めしております。

これもご存知でしょうが、年忌は一周忌だけは故人のご命日から、ちょうど1年後となりますが、その後は○回忌となります。回忌は亡くなられたその日を合わせ何度目の祥月命日を迎えられるのか、というように考えていただくとわかりやすいかと思います。三回忌ですと亡くなられたご命日を1度目とし、一年後の祥月命日が2度目、二年後の祥月命日が3度目と数えます。ですから亡くなられてから2年後の祥月命日が三回忌ということになります。同じように七回忌でしたら、亡くなられて6年後ということになりますので、お間違えにならないようにして下さい。

 

今回が今年最後の一言法話となります。来年も一人でも多くの方の目に留まり、読んでいただけるよう、努力してまいりたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

2022-12-10 14:48:00

76.時間の長さ


早いもので、今年も1ヶ月を切りました。この時期、檀家さんのお参りに伺うと「ほんと月日が立つのは早いですね。今日が今年最後のお参りになりますね。」といったような会話になることが多いのですが、そんな時、皆さんおっしゃるのが「歳を取れば取るほど1年経つのが早くなっていく気がする」というものです。実際、私もそのように思います。自分が小学生の頃の1年の長さと、今現在の1年の長さは物理的には同じなのでしょうが、感じ方としては違います。殆どの方がそう感じているのではないでしょうか。これには様々な理由付けがされますが、こんなことが言われています。

「同じ時間であっても真新しいことや経験する出来事が多い方が時間は長く感じるものであり、逆に刺激が少なく同じことの繰り返しの毎日であれば時間は短く感じるものである」
また脳科学者の茂木健一郎氏のよると「発見が多いと、時間が経つのが遅く感じる」とのことです。
子供の頃は経験することが 何でも新鮮であり、様々なことを吸収することができるので、結果として時間は長く感じられるということです。

皆さんどう思われますか。私はこの茂木さんの言葉を見た時、え、そうなの、と思いました。逆に、経験することが多かったり、充実した時間を過ごした方が時間はあっという間に過ぎるんじゃないかなと思っていました。でも確かに、休みの日に家でボーッとして過ごしていたりするとあっという間に1日は経ってしまい、もったいない時間の過ごし方をしてしまったなぁと思うこともあります。

歳を取れば取るほど、外に出る機会は減りますし、外からの刺激も減っていきます。様々なことは経験済みなので新たな発見も少なくなっていきます。だからどんどん時間は短く感じるようになっていくということのようです。
ですから「時間の流れが早い」と感じることは、充実した時間を過ごしていないということにもなるのです。時の流れの早さを齢のせいだから仕方ない、としてしまうのではなく、新しいことを始めたり、自分の生き方を真剣にみつめる時間をもってみたりすることが大事ではないでしょうか。そうすることで、足早に虚しく過ぎ去っていくように感じる時間を充実した有意義な時間に変えていくことができるはずです。

 

2022-12-01 13:12:00

75.一喜一憂


世界で4年に一度のスポーツの祭典といえば、オリンピックです。しかし単体の競技として一番盛り上がるのは、今、カタールで行われているサッカーのワールドカップです。日本は強豪ドイツと第1戦を行い、劇的な勝利を収め、興奮冷めやらない中、インタビューに答えた森保監督の「一喜一憂しすぎず、しっかり次の試合に向けて、今日終わったことをしっかり反省して」という言葉が印象に残りました。

日本中が盛り上がっての第2戦、格下とみられていたコスタリカには最後に1点取られ惨敗。この試合は勝てるだろうとの思い込みは砕け散りました。
テレビで観ている我々でさえ、大きく心動かされるのですから、選手や監督、コーチ、チームの関係者にとって、勝ち負けの喜びや憂いはどれほど大きなものでしょう。さらに、様々な賞賛や非難の声が選手達には浴びせられるのが今のネット社会です。しかし、森保監督がおっしゃる通り、どのような状況になろうが、どんな言葉を受けようが、一喜一憂しすぎてはいけないということです。一喜一憂しすぎると、雑念に捉われ、冷静に前に進んでいくことができなくなってしまうからです。
法句経にこのようにあります。

一つの岩の塊りが風に揺るがないように、賢者は非難と賞賛とに動じない

この言葉は森保監督の先ほどの言葉にも通じるところがありますし、私たちが何かを成し遂げようとする時、心に留めておくべき言葉です。
人が何かを成すときには、周りの批評があるでしょう。賞賛の声もあるかもしれませんが、心無い言葉を耳にすることもあるでしょう。そんな時は心動かされ、有頂天になったり、逆に落ち込んだり、まさしく「一喜一憂」するでしょうし、批判の言葉を真摯に受け止め、反省しなくてはいけないこともあるでしょう。しかし、他人の言葉に一喜一憂しすぎてはいけないのです。自分の信念のもと、行ったことであれば、動ずることはありません。前を向いて冷静に進んでいきましょう。

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