一言法話

2022-10-21 00:00:00

71.自殺について

 

若い女性がSNSで知り合った男に自殺の手助けを依頼し、自らの尊い命を亡くす痛ましい事件が続きました。
日本は先進国(G7)の中で自殺率が最も高い国です。先進国に限らず、どの国であっても女性より男性の方が自殺率が高いということは同じですが、日本は他の国に比べ女性の自殺率の高さも目立っています。

NPO法人自殺対策支援センター ライフリンクの代表である、清水康之さんは自殺について、このようにおっしゃっています。
「自殺と言っても、自ら積極的に命を絶っているのではありません。自殺の背景に潜む経済的な要因や、自殺の危機経路からも分かるように、自殺は極めて社会的な問題です。もう生きていくことができないと、追い詰められた末に、自殺で亡くなっているのです。自殺をタブー視するのではなく、もっと社会的な問題として、みんなで考えていく必要があると思います”

自殺は、最初から「死にたい」という思いによるものではなく、様々な要因が重なり「今のこの苦しみから永遠に逃れたい」という思いが強くなり、その究極の選択肢として「死」というものを選んでしまうということだと言えるしょう。
ある調査では自殺を考えたことのある人の割合は日本人の三分の一以上であったといいます。その背景には、精神保健上の問題だけでなく、過労、生活困窮、育児や介護疲れ、いじめや孤立などの様々な社会的要因があるわけです。こういったことは大小の違いはあっても、誰もが抱えることです。ですから、誰しもその当事者となりうることは十分にありうることで、自殺をタブー視してそこから目をそらすことで、済ませてしまおうということではいけないということです。

仏教では物事は(もちろん自分自身も)必ず変わりゆくもので、今の状況は何らかの形に変化していくという「諸行無常」を説きます。苦しみだと感じていることも、そうではなくなっていく要素は十分にあるのです。自分を取り巻く状況や自分の物事への感覚、感じ方というものは常に変化していくものだと、しっかり捉えることができれば、光は見えてくる筈です。

実際に自殺を選んでしまった人の様々な思いは一般論で括ることなどできないでしょうし、あまりにも頑なになってしまった感覚や感じ方は、簡単には変えられないのかもしれません。しかし、もし、今「命を捨て去りたい」などという思いを持っておられる方がいらっしゃるのであれば、その思いから逃れることの出来る良きご縁に巡り合っていただけることをただただ願うばかりです。

2022-10-11 00:00:00

70.素直な笑い

 

先日、プロレスラーのアントニオ猪木さんが、全身性トランスサイレチンアミロイドーシスという難病により心不全でお亡くなりになりました。政治家としても様々な活動をされた猪木さんには「元気があれば、何でもできる」などの名言がありますが、その中の一つに「一生懸命やっている人を小馬鹿にするのは、自分がかなわないから笑うことで逃げているのだ」という言葉があります。

笑いには様々な種類があるといわれます。
面白さ、快を感じることによって起こる笑い。これが人間の笑いの最も基本的な形とされます。
人間関係を円滑にするような社交上の笑い。幼少期にはあまり見られず、大人ではこれが最も頻度が高い笑いだといわれます。
緊張が弛むことによる安心感から表出する笑い。緊張を緩めようという意思であえて出す笑いもこれに含まれます。
しかし、猪木さんの言葉にある「一生懸命やっている人を小馬鹿にする笑い」は、これらの笑いとは違って卑劣で、厭らしい笑いだといえるでしょう。
お大師さまは『般若心経秘鍵』の中でこうおっしゃっておられます。

「痛狂は酔わざるを笑い 酷睡は覚者を嘲る」 

自分を失くすほどの酒を飲み、酔い潰れた人は、素面(しらふ)の真面(まとも)な人をつまらない人だと小馬鹿にして笑い、眠りこけたようにいたずらに時を過ごす人は、努力し正しく生きている人を批判し、嘲笑するものだ

笑いには脳の働きを活発にし、血行を促進し、免疫力をアップしたりといった様々な効能があるといわれます。しかし、自らを省みず、人を小馬鹿にするような笑いにはそのような効能があるとは思えません。そんな笑いは逆に自らの心に悪い種を植え付けてしまいます。素直な心で素直に笑える日々を送りたいものです。

2022-10-01 00:00:00

69.巡拝の喜び

 

先日9月26日に、日光院としては4年ぶりとなる団参(団体参拝)を行い、深川の丸山寺様(北海道三十三観音霊場第14番札所 北海道八十八ヶ所霊場第10番札所)、そして旭川の眞久寺様(北海道八十八ヶ所霊場第1番、第2番札所 北海道三十六不動尊霊場第1番札所)にお参りさせていただきました。
当日は清々しい晴天の下、当院の檀信徒20数名にて2ヶ寺の本堂でお勤めをさせていただき、それぞれの御住職様、副住職様から丁重なる法話、お寺のご案内をいただき、有難さと共に心洗われる思いで、巡拝させていただきました。

2年以上コロナ禍が続いている中、団参を企画してもどれだけの方が参加していただけるか、不安は付き纏いましたが、9月に入り感染者数も少しずつ減っていくと同時に参加いただける檀信徒の方々の数も徐々に増え、無事お参りできたことは何より仏さま、お大師さまのおかげであり、様々なご縁が整うことにより叶うことができたことであります。
個人個人で自由にお寺参りをすることももちろんすばらしいことですが、日光院というお寺をご縁とする方々が一つの団体を組み、ある程度の規律を保ちながら、共に巡拝できる喜びを今回、改めて感じさせていただきました。

来年はお大師さまがお生まれになってから、ちょうど1250年の年となります。その記念の年に当院でも、高野山への団参を行いたいと考えています。当院の檀信徒の方だけではなく、たまたま、このホームページをご覧になられたという方も日光院と少なからずご縁のある方であると言えます。詳細が決まり次第、このホームページ上でもお知らせ出来るかと思いますので、来年の団参には日光院とご縁のある様々な方に、ご参加いただければ幸いでございます。

2022-09-20 00:00:00

68.彼岸と此岸

 

今日9月20日は秋彼岸の入りになります。彼岸は春と秋、年二回ありますが、春分の日、秋分の日を中日といい、その前後三日間を合わせた一週間が彼岸の期間となります。春分の日、秋分の日は年によって変わりますが、今年は9月23日が秋分の日となり、9月20日から26日までが秋彼岸の期間となります。

彼岸は彼(か)の岸と書きます。彼(かれ)は明治以降、1人の男性を指す三人称代名詞として用いられることが多くなりましたが、本来、彼が意味するところは遠称の指示代名詞、つまり、こちらから離れたところを意味する言葉です。彼岸はご先祖様がいらっしゃる仏の世界、そして迷いや苦しみのない悟りの世界を表しています。また、彼岸の反対の言葉として此岸がありますが、此(こ)の岸は私たちが今いる世界です。私たちがいるこの世界はある意味、迷いや苦しみが絶えない世界です。

彼岸の中日には、太陽は真東から上り、真西に沈みます。国民の祝日に関する法律では「秋分の日」は“祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ” ことを趣旨としています。彼岸の過ごし方としては真西に沈みゆく太陽を眺め、仏の世界に思いを馳せて、ご先祖様を偲び尊ぶことが大事だと言えます。それと同時に彼岸の中日には昼と夜が、おおよそ半分半分となり、仏教で大切にする中道(32.『中道』 60.『坂の話』を参照)の教えにも重なり合うことから、彼岸を仏道修行期間と考えます。この期間中は、此岸から彼岸に渡るが如く、仏の御心のような心に近づいていけるよう行動を起こし、清々とした心持ちで過ごしていきましょう。

2022-09-12 00:00:00

67.月輪の如し

 

一昨日9月10日は中秋の名月でした。このところ、全道的に晴天の日が多く、当日の夜も満月が金色に輝いていました。古来より満月を鑑賞する文化は日本やアジア各国にあったようですが、平安時代、中国から遣唐使によってもたらされた「望月」という月を見る催しが平安貴族に浸透し、観月の宴が催されるようになったということです。
インドの龍樹菩薩の著として伝えられる『菩提心論』には私達自身の心を月の輪に喩え、このように表されています。

我れ自心を見るに形月輪の如し

何が故にか月輪をもつて喩とするとならば
いはく 満月円明の体は即ち菩提心と相類せり
(私達の心はまん丸い満月のようなものであり、その本質は光輝く仏の心と同じなのである)

では、仏とはいったいどんな存在であり、仏の心とはいったいどんな心なのでしょうか。
仏とはあらゆる損得というものから離れ、何事をも真っさらに見通す「智慧」を持ち、すべての人に対し分け隔てなく平等に「慈悲」の心を持つことのできる存在です。

「そうなんだ。でも、自分の心がそんな完璧な仏の心と同じであるはずがない」。こう思われる方も多いとか思います。
しかし、お大師さまは『吽字義』の中でこうおっしゃっています。

日月星辰(にちげつせいしん)は もとより虚空に住すれども
雲霧蔽虧(うんむへいき)し えん塵映覆す
(たとえ雲や霧に覆われていても、太陽や月はいつもその上で輝いています)

それと同じように、普段、意識はしなくとも、私達はあの満月と同じような輝きを放つ仏と同じ心を宿しているのです。しかし雲や霧がその光を閉ざしてしまうように、自らが作り出してしまう様々な心の汚れにより、仏と同じ心(仏心)を見えづらくしてしまっているのです。

自らの心、そして全ての人の心は本来、仏の心と同じなのだとの自覚を持つことができたならばこの世は悟りの世界(密厳浄土)となります。

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