一言法話

2026-10-01 18:56:00

135.どんな種を蒔くことが出来るか

 

夏の暑さはどこへやら、秋の深まる季節となりました。

「春の種を下さずんば 秋の実いかに得ん」

これはお大師さまのお言葉です。

この言葉の通り、春に種を蒔かなければ秋に実りを得ることはできません。

秋は木々に様々な実がなり、田畑では作物の収穫の時期を迎えます。然るべき時に、種が蒔かれるという原因があったからこそ、実がなるという結果が生まれるわけです。

スポーツの秋ともいわれますようにこの時期様々な競技をテレビで観ることができます。そこに至るまでの並々ならぬ努力(種)があってこそ、輝かしい結果(実り)が生まれるわけです。

私たちも一日一日様々な種を蒔きながら生きている存在です。そこで大切なことはどんな種を蒔いているかということです。

「誰かに優しい言葉をかける」「誰かの話にそっと耳を傾ける」「何気ないことに感謝する」

そんな一つ一つの行いは自分の心や誰かの心に小さな種となって蒔かれ、その種は何らかの形で自分の心の実となり、誰かの心の実となっていくでしょう。

この秋に、自分は今年どんな種を蒔いてきただろうか、と振り返ってみるのもよいかもしれません。「今年はあまり良い種を蒔いてこなかったな」と思うのであれば、今日が新しい種を蒔く日です。

今日一日どんな種を蒔くことが出来るのか。そんなことを心に留めながら穏やかに一日を過ごしていきたいものです。

 

 

 

2026-09-01 16:07:00

134.途切れることのなかった繋がり

 

お盆を終え、1か月もすると秋のお彼岸です。お彼岸は年に2回、春と秋にあり、春分の日、秋分の日の前後3日間、各1週間ずつの期間となります。いつも以上にご先祖様の供養に努める大切な期間であるとされますが、同時に仏道修行期間といって自分自身の心を見つめなおす大事な期間でもあるのです。 
ご先祖様に手を合わせるひとときは、亡き方を偲ぶと同時に今ある自分を見つめなおすことができる大切な時間でもあります。
日々の忙しさの中にあって目の前のことに追われがちな私たちですが、時にはゆっくりと自身に目を向ける時間を持ちたいものです。
私という存在はご先祖様から途切れることのなかった繫がりの中で、はじめて成り立っています。しかし、そのことを忘れ、毎日を当たり前のように生きているのが今の私たちであるといえるでしょう。お彼岸はご先祖様の供養に努めさせていただくことにより、当たり前のように普段の生活を送れることの尊さに気付くことが出来る機縁でもあります。

 

2026-08-01 16:05:00

133.阿字のふるさと


8月に入りお盆の時期を迎えました。

お盆はご先祖さまが仏さまの世界からこの世に帰って来られる大切な期間です。それと同時に自分自身の命を見つめ、日々の忙しさの中で忘れがちなこの世に誕生し、今を生きていることの尊さを振り返る大切な期間でもあります。

「阿字の子が阿字のふるさと立ち出でて また立ち返る阿字のふるさと」
この歌はお大師さまが詠まれたといわれています。
阿字とは真言宗のご本尊大日如来を表すインドの古い文字です。私たちの命は自身の父母を縁とし、仏さまの世界から授かった命であり、この世での縁が尽きたならば私たちはまた、仏さまの世界に帰っていく存在であるということをこの歌は表しています。
そして、阿字のふるさとに帰るということは、この世の命が終わり仏の世界に帰っていくことだけを表すのではなく、今を生きる私たちが仏の御心のようにありたいと願い、手を合わせ、自分本来の穏やかな心へ帰ることでもあります。
このお盆の期間中はご先祖さまの供養につとめ、自分自身のあり方を振り返りながら、心穏やかに過ごしたいものです。

 

2026-07-01 15:59:00

132.時にはじっくりと

 
早いもので1年の半分が過ぎました。時の移ろいの速さに気ばかり焦ってしまうような感覚に陥ったりしますが、だからこそ地に足をつけ心落ち着かせてじっくりと過ごす時間を持たねばならないのだと思います。
私たちは今、とても便利な時代を生きていると言えます。欲しいものはネットで、すぐに注文できますし、知りたいことは瞬時に調べることができます。遠く離れた人とも簡単につながり、多くの情報に囲まれながら暮らしています。
しかし、その便利さの中で「何となく心が落ち着かない」と感じている方も少なくないでしょう。受け取る情報が増えると、ついつい自分と誰かを比べてしまい、不安や焦りを抱えやすくもなります。
あの人みたいになりたいな、あんな生き方をしてみたいな、そんな風に思うことは悪いことではありませんが、人の生き方をねたみ、あの人に比べて自分なんて…と卑屈になってしまうのでは、自分で自分に苦しみの種を蒔くばかりです。
そんな時は少し立ち止まり、やはり心落ち着かせ、自分の心を見つめ直す時間を持つことが大事です。
仏教は心を調え、縁によって生かされている命を大切に尊ぶ教えです。尊ぶべきは自らの命だけではもちろんなく、他の命も同じです。
人は自らと他を比べ、優劣をつけることで苦しみを作り出し、自らと他を同じように尊いものだと認めることで安らぎを得ます。
便利さを追い求め、移ろいが速い世の中だからこそ、時にはゆったりとした時間の中で、じっくりと自分を見つめ、心豊かに生きていきたいものです。

2026-06-01 18:22:00

131.すべてはメッセージ


北海道は新緑の気持ちのよい季節を迎えています。青葉鮮やかな木々を眺めていると、生命の勢いを感じるとともに、その一葉一葉は様々なご縁によって育まれていることを思わずにはいられません。
6月15日はお大師さまの誕生日、真言宗の寺院にとってこの日は特別な日であり、当院でも喜ばしいその日に「青葉まつり」の法要を行います。

お大師さまのお言葉に
「五大に皆響きあり 十界に言語を具す 六塵悉く文字なり 法身はこれ実相なり」
とあります。非常に難しい一文ではありますが、私はこのように受け取っています。
風の音や雨の音、目に映る花や緑といった自然は私たちに何かを語りかけている。いや自然の営みだけではなく、私たちが関わる身の回り全ての現象もまた私への何らかの言葉(メッセージ)を与えてくれているのだ。言い換えれば、全ての存在、現象といったものの中には仏さまの教えがあらわされているのである。

私たちは自然の営みや日常の現象の中から様々なことを感じ取りますが、それをどう受け取るかは人それぞれ違うでしょう。

久しぶりに雨が降りました。
農家の人は「なんとありがたい。これは恵みの雨だ」と思うでしょう。しかし、遠足を楽しみにしていた子供にとっては「どうして今日に限って雨なの。残念」と思うでしょう。人間社会では受け取る側の立場で「善悪」は変わります。
しかし、仏様の立場に立つと物事の現象に「善悪」などありません。さらにお大師さまはもっと踏み込んで、どのようなことが起ころうと、それは仏様が私に対して何らかのメッセージを与えてくださっているのだとおっしゃるのです。思い通りにならない現実や様々な試練があったとしても、その中に仏さまは私たちに深い教えを与えて下さっているのです。日々の営みの中から、どんなメッセージを受け取るかは自分しだいです。せっかくならば、今後の人生に生かすことが出来るようなメッセージを受け取る心のアンテナを持ちたいものですね。

 

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