一言法話
131.すべてはメッセージ
北海道は新緑の気持ちのよい季節を迎えています。青葉鮮やかな木々を眺めていると、生命の勢いを感じるとともに、その一葉一葉は様々なご縁によって育まれていることを思わずにはいられません。
6月15日はお大師さまの誕生日、真言宗の寺院にとってこの日は特別な日であり、当院でも喜ばしいその日に「青葉まつり」の法要を行います。
お大師さまのお言葉に
「五大に皆響きあり 十界に言語を具す 六塵悉く文字なり 法身はこれ実相なり」
とあります。非常に難しい一文ではありますが、私はこのように受け取っています。
風の音や雨の音、目に映る花や緑といった自然は私たちに何かを語りかけている。いや自然の営みだけではなく、私たちが関わる身の回り全ての現象もまた私への何らかの言葉(メッセージ)を与えてくれているのだ。言い換えれば、全ての存在、現象といったものの中には仏さまの教えがあらわされているのである。
私たちは自然の営みや日常の現象の中から様々なことを感じ取りますが、それをどう受け取るかは人それぞれ違うでしょう。
久しぶりに雨が降りました。
農家の人は「なんとありがたい。これは恵みの雨だ」と思うでしょう。しかし、遠足を楽しみにしていた子供にとっては「どうして今日に限って雨なの。残念」と思うでしょう。人間社会では受け取る側の立場で「善悪」は変わります。
しかし、仏様の立場に立つと物事の現象に「善悪」などありません。さらにお大師さまはもっと踏み込んで、どのようなことが起ころうと、それは仏様が私に対して何らかのメッセージを与えてくださっているのだとおっしゃるのです。思い通りにならない現実や様々な試練があったとしても、その中に仏さまは私たちに深い教えを与えて下さっているのです。日々の営みの中から、どんなメッセージを受け取るかは自分しだいです。せっかくならば、今後の人生に生かすことが出来るようなメッセージを受け取る心のアンテナを持ちたいものですね。