一言法話

2025-12-01 18:41:00

125.チューダパンダカー


今年も残すところあと一か月となりました。根雪前のこの時季は強い風が吹くとたくさんの落ち葉が舞い、外掃除が大変な季節でもあります。仏教では掃除のことを下座行ともいいますが、掃除は立派な修行の1つです。

お釈迦さまの十大弟子の1人に毎日掃除を続けることによって悟りを開いたチューダパンダカーがいます。チューダパンダカーはあの天才バカボンのレレレのおじさんのモデルになったともいわれています。
チューダパンダカーはお釈迦さまの弟子のなかで一番頭が悪く、簡単な教えさえも覚えられませんでした。まわりの弟子たちからバカにされていたチューダパンダカーは、自分の愚かさを嘆いて、お釈迦さまのもとを訪れます。
「お釈迦さま、私はあまりにも愚かなので、もうここにはいられません」
その時、お釈迦さまは彼にこう言います。
「自分を愚かだと知っている者は愚かではない、自分を賢いと思い上がっている者が、本当の愚か者であるのだ。多くのことを憶えることが難しいのであれば、掃除をしながら、塵を払い、垢を除かんと唱えなさい」
チューダパンダカーは、この言葉を忘れそうになることもありましたが、「塵を払い、垢を除かん」と唱えながら、箒をもって一所懸命毎日休むことなく掃除をしました。
そんな様子に、チューダパンダカーをバカにしていた他の弟子達も次第に彼に一目置くようになります。
20年掃除を続けたチューダパンダカーは、本当に落とすべき汚れは、自分の心の汚れだったのだと悟り、すべての煩悩を滅して悟りを開きました。
ある日、お釈迦さまは、弟子たちを前にしてこう言いました。
「悟りを開くということは、なにもたくさんのことを覚えることではない。たとえわずかなことでも、徹底して行うことが大切なのだ。チューダパンダカーは箒で掃除することに心をつくして、ついに悟りを開いたのだ」

1つのことを徹底して行うことは難しいことですが、チューダパンダカーは掃除をすることに徹することで悟りを開かれました。掃除をすると、すっきりとした気分にもなりますし、まわりを掃除することは取りも直さず自分の心の塵や垢を取り払う行いにもなります。
これから大掃除の時期となりますが、この1年知らず知らずにため込んだ心の塵や垢を一掃き一掃き払っていきましょう。

 

2025-11-01 20:45:00

124.自利利他


このところ日本各地でクマの出没情報が報告されています。当日光院もすぐ裏に山がありますので、連日のテレビでのそんな報道も決して他人ごとだとは思えません。気候変動がその原因だともいわれていますが、このような状況はこの後も毎年続いていくのでしょうか。
先日、寺茶房で北海道紙芝居研究会「かぜるん」代表の井林芳枝さんに紙芝居3話の実演をいただきました。その中の1つはクマが出てくるお話でした。といいましてもここに登場するクマはこころやさしいクマ、タイトルは「はしのうえのおおかみ」というお話です。

ある日、一本橋の丸太を渡っていたオオカミは橋の真ん中でウサギと出会いました。オオカミは「先にわしが渡る。さあ戻れ戻れ」とウサギを怒鳴りつけました。ウサギは悲しい顔で橋を戻って行きました。オオカミは自分の言う通りになった満足感ですっかり気持ちよくなりました。味を占めたオオカミは橋を渡ってくるタヌキやサルを見つけては意地悪く、橋の途中で追い返します。しかし、次に橋を渡ったオオカミの前からは大きなクマがやってきました。驚いたオオカミは後ずさりしようとするのですが、力持ちのクマはオオカミを抱き上げ、振り向いて後ろにそっと降ろしてあげました。「こうすれば君も僕もわざわざ戻ることはないってわけさ」こう言いながらクマは橋を渡って行きました。クマのやさしさにすっかり感心したオオカミは次の日、橋を渡ってきたウサギを抱き上げ、後ろにそっと降ろしてあげました。笑顔になったウサギに「オオカミさんありがとう」と言われ、オオカミは前よりもずっといい気持ちになりました。

「はしのうえのおおかみ」は現在の小学1年生の道徳の教科書にも掲載されているようで、子供にもわかりやすいお話ですが、仏教の自利利他(じりりた)の精神を平易に表しています。自利利他とは自分を幸せにすることと他人を幸せにすることを同時に行っていく生き方をいいます。自分だけを大事に思い、自分の利益だけを求めることを仏教では自利利他の反対、我利我利(がりがり)といいますが、そんな生き方では本当の幸せは決して訪れません。自分勝手な欲にまみれた我利我利亡者(がりがりもうじゃ)の生き方ではなく、他人の喜びを我が喜びとすることができる生き方を目指していきましょう。

2025-10-01 22:23:00

123.共命鳥


雑宝蔵経というお経の中に共命鳥(ぐみょうちょう)と呼ばれる鳥の話があります。
共命鳥は胴体は一つなのですが、頭は二つあります。それぞれ、カルダ、ウバカルダという名前がついていて、個性や考え方は随分と違いますが、体は一つで命を共にしているところから共命鳥と呼ばれているのです。

ある時のこと、ウバカルダが眠っている間に、カルダは黙っておいしい木の実を一人で食べました。体は一つですから、食べてしまえばどちらの栄養にもなると考え、すやすやと気持ちよさそうに眠っているウバカルダを起こしちゃかわいそうだとも思い、黙って木の実を食べたのです。しかし、目を覚ましたウバカルダは、なぜ一緒に食べようと起こしてくれなかったのか、と腹を立てます。執念深かったウバカルダの怒りはなかなか収まらず、日に日に増していきました。やがて「こいつさえいなければ自分の思い通りに自由に飛び回ったり、好きなように生きることだってできるのに、邪魔なやつだ」という感情へと変わっていったのでした。
そして、カルダに毒の実を食べさせようと計画を立てます。だまされたカルダはまんまと毒の実を食べてしまいました。ウバカルダは、うまくいったと満足げです。しかし体は一つですから、その毒が自分にもまわり、どちらも息絶えてしまったのです。

この話を通してお釈迦さまは私たちに何を伝えようとしたのでしょうか。
私が感じたことは、自分の思いは人には伝わりづらいものだということです。カルダのウバカルダへの配慮は相手には全く伝わりませんでした。伝わらないどころか、かえって恨みを買ってしまいました。言わずとも分かる、というのは理想ではありますが、難しいことなのでしょう。
そしてもう一つ、怒りの感情は相手だけではなく、自らをも苦しめるものだということです。カルダに毒の実を食べさせたならウバカルダ自らにも影響を及ぶことなどわかりそうなものですが、怒りの感情に支配されてしまうと、そんな簡単なことさえわからなくなってしまいます。怒りの炎は私たちから冷静な判断を奪い取ってしまう恐ろしいものです。

 

2025-09-01 14:40:00

122.魔法の言葉


私たちが普段何気なく使う「ありがとう」という言葉は「有難し」という仏教語が語源となっています。
仏教語としての有難しは、人間としてこの世に生まれ仏の教えに出会うことが出来たことはとても貴重なことなのだという意味ですが、それが転じて「ありがとう」は感謝の気持ちを表す言葉となりました。
この感謝の言葉「ありがとう」にはすばらしい効能があることを知っていますか。
「ありがとう」と感謝されることはもちろん嬉しいことですが、感謝の気持ちを伝える側にも様々な効能があるそうです。
人間の脳内には感謝の言葉を口にすることによって3つの幸せホルモンが分泌します。その1つがセロトニン、精神を安定させるホルモンです。2つ目はドーパミン、やる気や幸福感に関係し集中力を高める効果があります。3つ目はオキシトシン、これは人間関係の改善や信頼感の向上に貢献するホルモンで絆ホルモンと呼ばれます。
感謝の気持ちを表す言葉の代表が「ありがとう」だといえますが、こうした感謝の言葉を口にすることによって、3つ幸せホルモンが脳内の神経回路に良い影響を与え、心の安定がもたらされるのです。

仏教には無財の七施といって誰でもできる布施があります。その中の1つに愛語施(言辞施)‐思いやりのある優しい言葉ををかけること、がありますが、「ありがとう」はまさしく愛のこもった優しい言葉です。「ありがとう」は科学的にもその効能が証明されている、かける側も受けとる側も幸せな気持ちに包まれる魔法のような言葉です。

 

2025-08-01 15:33:00

121.お盆の過ごし方


いよいよお盆が近づいてまいりました。
お盆には実家に帰省するという風習が昔からありますが、同時に、お盆はご先祖様が、この世に帰ってくる大切な期間でもあります。

盂蘭盆に父似母似の子等集う   春原幸子

仏教ではお盆を盂蘭盆(うらぼん)といいますが、この句はお盆に家族や親戚が集まり、和気あいあいと近況報告や思い出話に花が咲いている情景を想像させます。帰ってきたご先祖様は集った子孫のそんな様子を見たならば、さぞかし喜ばれることでしょう。

中島みゆきさんの有名な「糸」の歌詞に
縦の糸はあなた 横の糸はわたし
とありますが、縦の糸をご先祖様から私に繋がる糸、横の糸を私と家族、親戚とが繋がっている糸と言い換えることもできます。そんな縦と横の繋がりを縁として、はじめて私の命は今こうしてここに成り立つことができるわけです。そんな大事なことを教えてくれるのが、お盆のありがたさでもあります。

お盆はもともとご先祖様を大切にする日本の伝統的な文化に仏教の仏説盂蘭盆経の教えが融合され、今のお盆の形になりました。(仏説盂蘭盆経については「64.お盆の由来」をお読みください。)お盆の期間を単なるお盆休みとして、自分達だけで遊び回って終わりとするのではなく、帰ってこられるご先祖様にも喜んでもらえるような過ごし方を心がけましょう。

 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ...