一言法話

2023-09-01 20:24:00

102.檀信徒に支えられて


先日、北海道の真言宗関係の研修会に参加いたしました。講師は、今となっては当たり前に使われている「終活」という言葉を2009年に提唱された葬儀相談員の市川愛さんです。講演の内容は大変興味深いものでありました。
前半は「檀家さんと理解し合うために」というテーマでのお話。後半は「ある寺院の改善事例」というものでした。

市川さんは消費者を対象に終活と葬儀の知識を広める活動を行っており、寺院関係の方からの相談にも応じているとのことでした。
私も檀家さんと理解し合える関係性を築きたいと常日頃願っております。そのためにはどのような努力をするべきか、ということがこの講演の前半のテーマでした。

市川さんのお父さんは奥さんが亡くなられるまで、全く菩提寺との関りを持たない方だったそうです。しかし、奥さんのお通夜、葬儀、四十九日といったお寺との関りの中で心境に変化が起こり、今ではお寺での法要や行事等を楽しみにお寺に通うようになったといいます。
市川さんは日本のお寺が今までこのように続いてきた理由として、このようにおっしゃいました。
「それは大事な方を亡くした檀家さんが、お寺の僧侶の読経や僧侶との会話等のやりとりによって癒しや救いを得ることが出来てきたからだろう」と。
もちろん、お寺の存在意義は、他にも色々あると思いますが、悲しみに暮れる檀家さんにとって、癒しや救いを得ることのできる存在は非常に大事であると思います。お寺がそういった存在となるよう、僧侶としての日頃の行いや努力というものが大切であり、そういった積み重ねが檀家さんと真に理解し合えることに繋がっていくのだと、市川さんのお話をお聞きし深く感じました。

「檀家」という言葉は、古代インドで使われていたサンスクリット語の「ダーナパティー」が語源です。「ダーナパティー」は「寺や僧を援助する者」といった意味を持ちます。お寺にとって檀家さんはお寺を支えていただける大切な存在です。また、他のお寺の檀家さんでありながらも当院にご縁を持たれ、法要時などにお参りされる信徒の方もいらっしゃいます。そういった檀信徒の支えやおかげにより、お寺は成り立っています。
お寺を支えて下さる檀信徒の皆様と理解を深め合い、皆様の癒しや心の支えとなりうるようなお寺を目指したいと強く思います。