一言法話

2024-01-16 16:23:00

111.考え過ぎないように


家族が集まり、これからおせちをいただこうか、というような元旦1月1日の16時10分、石川県に最大震度7の地震が発生し、多くの災害が起こってしまいました。
この震災により亡くなってしまった方のご冥福をお祈り申し上げます。そして今もなお不自由な暮らしの中で、大変な思いをされている方がたくさんいらっしゃいますが、少しでも早くその状況が改善されることを願っております。
連日のようにテレビでは被災地の状況を伝えていますが、震災により家族全員を亡くしてしまった男性が悲しみと苦しみの涙を流しながら、このように訴えていました。
「なぜ自分はこんな目にあわなくてはいけないのか」
「自分だけが生きていていいのか」
「家族全員を亡くした苦しみと怒りをどこにぶつけたらいいのか」
この男性に限らず、大切な家族や住まいを一瞬にして失った方々の苦しみは想像を絶するものがあり、本当に気の毒なことであるとしか言いようがありません。
ここまでのことではないにしても、理不尽な状況に陥ることは、事の大小の違いはあれど、ほとんどの人が経験することであります。そんな時は、その理不尽な状況をどう考えればいいのだろうか、この怒りをどこに、そして誰にぶつければいいのだろうなどと、もがき苦しむこともあるでしょう。
「不思議」という言葉がありますが、これはもともと仏教語です。思議できない、思議しない、という意味になります。思議とは、あれこれ考え思いはかることですので、不思議はその反対、考えない、思考を放棄するということになります。
考えても答えが出ないようなことは、無理に考えるなということを仏教では説くわけです。
「わからないことをわからないと放っておく勇気を持つ」
ある僧侶の言葉ですが、これは苦しみを逃れる智慧の言葉の1つだと言えます。
今回、被災された方々は、まだまだ心の整理などつくはずもありませんし、目の前の事実をどのように考えたらいいのか、考えれば考えるほど苦しみは増えてしまうものだと思います。しかし、考えても答えが出ないことを思議し過ぎることによって、自分で自分の心を痛めつけてしまうことだけは、避けていただきたいと切に願います。