一言法話

2023-12-01 07:28:00

108.心に大きな木を


早いもので今年もあと一ヶ月となりました。
今回の一言法話は108回目となりますが、108という数から思い出されるのは、あと一か月後の大みそかに撞く除夜の鐘の数ではないでしょうか。
ご存じの方も多いかと思いますが、この108という数は人間の煩悩の数だといわれます。煩悩とは字のごとく、自分自身を煩わせ、悩ませるものであり、それは物事を自分勝手に捉えてしまうことから沸き起こる起こる欲や怒りといったものです。自分を煩わせ、悩ませるものは、その時の環境や周りとの人との人間関係といったものが、大きな原因ではありますが、その状況や人間関係をどう捉えるかは、自分次第です。ですから、仏教ではあくまでも自らの心のありようが問われるわけです。どのようなことが起こっても心落ち着いた状態で、冷静に物事を判断できるならば、いつも平安な状態で日々を過ごすことができるわけですが、やはり我々には煩悩がありますから、なかなかそうはいかないわけです。
ではどうしたらよいのか。一つの考えとしては、日常沸き起こる煩悩の欲を捨てる努力を常にしていく。つまり心の中の庭に生えてくる雑草ともいうべき煩悩を日々抜き取っていくということです。しかし、抜いても抜いても生えてくる心の雑草を全て無くすことは至難の業です。それこそ、完全に出家し、一人山に籠もり修行の日々でも送らなければ難しいことでしょう。
ではどうするか。真言宗ではこのように考えます。欲を無くすのではなく大きな欲にしていく、つまり自分さえよければいいんだという小さな欲を周りの人をも幸せにしていきたいと願う欲に変えていくということです。たとえるならば、心の庭に大きな木を植えるということです。この大きな木に葉や実が育つことで、その下に太陽の光は届かなくなります。そうすると煩悩の雑草は枯れていきます。私たちも周りをも包み込むような大きな欲を持つことが出来たならば、自分を苦しめている原因となっていた自分さえよければといった浅はかな考えは消え去っていくでしょう。