一言法話

2023-01-20 08:17:00

80.無駄なものなどなし

 

前回の一言法話では、真言密教の教えがなぜ秘密の教えなのかということをお話しました。なぜ秘密なのか。森羅万象様々な事象、事柄の中に仏の教えは満ち溢れているのだけれども、そのことに私達はなかなか気づくことができないので、結果として秘密になっているのと同じだということです。

仏の教えを受け取るには心の眼、心眼を持たなくてはいけません。そのためには心を清めなくてはいけません。いくら仏の教えを受け取ろうとしても受信機である心が荒んでいる状態では正しくその教えを映し出すことはできないからです。光り輝く満月もそれが映る水面が波立っていては歪な光としてしか認識できないのと同じです。
心眼で物事も見定めることができれば、この世は仏の教えに満ち溢れ、無駄なものや事柄は何一つないということが真言密教の教えです。

医王の目には途(みち)に触れてみな薬なり、解宝(げほう)の人は鉱石(こうしゃく)を宝と見る

 お大師さまの著作『般若心経秘鍵』の中にこのようにあります。『般若心経秘鍵』は『般若心経』を真言密教の立場で解釈した注釈書です。優れた医者の目から見れば、道端の草が、すべて薬草に見え、鉱物資源を見分ける者には、そこらにある鉱石を貴重な宝として見る事ができるわけです。

お分かりでしょうが、ここでいう優れた医者や鉱物資源を見分ける者とは心眼で物事を見分けられる人を表す喩えです。そのような心眼を持ち、この世の宝(仏の教え)を見つけていきましょうとお大師さまは私達に呼びかけているのです。