一言法話
40.この世に誹りを受けざるはなし
お釈迦さまの時代にアツラという求道者がいました。ある時、アツラは有名な修行者を訪ね、教えを乞いました。ところが、この修行者はひとり静かに瞑想にふけっていて何も説いてはくれず、アツラはとても失望しました。そこで、今度は舎利弗(シャリホツ)というお釈迦さまのお弟子さんを訪ね、同じように教えを求めました。舎利弗はお釈迦さまの弟子の中でも智慧第一といわれた方ですから、深遠な教えを水の流れるようにとうとうと説きました。アツラは「こんなにむずかしい話を聞いたって何もわからない」と腹を立て、次にお釈迦さまの説法を誰よりも記憶し多聞第一といわれている阿難(アーナンダ)のもとへまいります。しかし阿難は言葉少なに大事なポイントだけを話しました。アツラは「物足りん、人をバカにしているのか」と腹を立て、最後にお釈迦さまを訪ね、それまでのいきさつを不満げに話し「どうか私にわかりますように、教えをお説きください」と懇願しました。すると、お釈迦さまはアツラにこのような詩を告げたといいます。
こは 古(いにしえ)より謂(い)うところ
今日(いま)に始まるにあらず
人は黙して座するを誹(そし)り
多く語るを誹(そし)り
また 少しく語るを誹(そし)る
およそこの世に誹(そし)りを受けざるはなし
昔から、沈黙する者に対して誹る(他人を悪く言う 非難する)人はいるし、多言する者に対し悪口をいう人もいるものです。言葉少なに語る者に対しても、「人をばかにしているのか」などと、思う人も出てきます。この世にあっては、どうしたって良く言わない人はいるのですよ
と、人間界の非合理さをお釈迦さまはこの詩で示し、同時に、身勝手なアツラに対し、このようなことで失望したり腹を立てたりして、他を誹ってしまうことの愚かさをも諭したのでした。
39.難有ることは有難し
コロナ禍もやっと収まりかけ、少しずつ元の日常を取り戻しつつあろうかと思っておりましたところ、またまた新種株のオミクロン株とやらが新聞、テレビ等を賑わすようになってしまいました。やれやれ、もういい加減にしてくれと、愚痴りたくなります。しかし、愚痴っていても仕方ありません。こういった災難ともいえる今の状況を私たちはどのように受け止め、乗り越えていけば良いのでしょうか。
「難が無ければ無難な人生 難が有れば苦難の人生 難有ればこそ有り難し」
これは大阪の九應寺というお寺の掲示板に掲げられた標語です。
難有ればこそ有難し?何故??となるところですが、2018年にお亡くなりになった樹木希林さんは、日本で唯一の不登校に関する新聞「不登校新聞」のインタビューを受け、次のようなお話をされています。
「私は、なんで夫と別れないの、とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。ありがたいというのは漢字で書くと、有難い、難が有る、と書きます。人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか。
(中略)
難の多い人生を卑屈になるのではなく受けとめ方を変える。
自分にとって具体的に不本意なことをしてくる存在を師として先生として受けとめる。
受けとめ方を変えることで、すばらしいものに見えてくるんじゃないでしょうか」
樹木希林さんは1973年にミュージシャンであり俳優の内田裕也さんと結婚後1年半で別居。1981年、内田さんが無断で離婚届を区役所に提出するも、希林さんは離婚を認めず、離婚無効の訴訟を起こし勝訴。2005年1月には乳がんが判明して摘出手術を受けています。
まさしく難の多い人生だったと言えるでしょうが、その難の受け止め方を変えることで、これまでの様々な経験を活かし、素晴らしい演技の数々、そしてたくさんの含蓄のある言葉を発せられました。
私たちの人生にとって様々な「難」は、つきものだと言えますが、そういった大変な状況を経験することは自分を高め、成熟させてくために欠かせないものだと受け止めることができれば、「難」は、いつしか「有難し」に変わっていきますね。
38.“決めつけ”のないように
こんな話を聞いたことがあります。
ある病院の待合室に双子と思われるまだ幼い子供2人と、30代位のお父さんがいました。子供たちは待合室の椅子の周りを走り回っています。ところが、その若いお父さんは注意することもせず、下を向いたままです。
その様子を見ていたある人は「おいおい、この父親、何やってんだい、もしかして子供をほったらかして、こんなところで寝てんのかい。ほかの人の迷惑も顧みず、いい気なもんだな」と思ったそうです。
しかし、そのあと救急の診察室から出てきたお医者さんの話を聞くため立ち上がった父親は目に涙を浮かべていました。うっすら聞こえてきた二人の会話からすると、どうやらその方の奥さんは交通事故にあい、半身不随は免れそうもないとのことでした。
それを聞き、途端にその家族に対しての見方が変わったそうです。
悲しみと不安に打ちひしがれるかわいそうな男性と、まだ状況がわからないでいる無邪気でいたいけな子供たちという風に。事情も知らず、なんとわがままな子供たちだろう、なんと無責任な父親だろうという見方でみていた自分が恥ずかしくなったということです。
私たちはその人の事情など知らずに簡単に「この人は〇〇〇な人だ」とレッテルを貼り、自分の意にそぐわないような人にはすぐに批判の目を向けてしまいます。でも、それは愚かなことであると言えます。仏さまの眼“心眼”というもので、物事を見定めることができたなら、そのようなことはないでしょう。しかし、先入観や自分の勝手な思い込みというものに縛られがちな私たちには、心眼でもってまわりを的確に見定めることは難しいことなのかもしれません。であるならば、まずは何事においてもすぐに「これは〇〇〇だ」と決めつけることだけは避けなければと思うのです。
37.他人の短を言うことなかれ
先日の日本ハムファイターズの新しい監督、新庄剛志ビックボスの会見をご覧になったでしょうか?私は録画して後から見たのですが、会見の最初から最後まで目が離せず、すっかりその虜となってしまいました。北海道民として来年度のペナントレースが楽しみでたまりません。
新庄さんは会見の中で選手への「指導方法」を問われた際にこう答えていました。
「やっぱり人間性というものは大事であって、人の悪口は言わない、いただきます、ありがとうございました、の言える選手は育てていきたいですね」
この言葉を聞いて思い出したことがあります。
『己の長を説くことなかれ
他人の短を言うことなかれ
人に施しては謹んで思うことなかれ
施しを受けては謹んで忘るることなかれ』
この言葉は崔子玉という後漢の書家が書いた座右の銘で、お大師さまはそれを筆写し大切にしていたといいます。
「自慢話をするな」
「他人の短所(悪口)を言うな」
「施しを進んで行い、恩着せがましくするな」
「受けた恩は忘れるな」
お大師さまのような方であっても、常にこれらのことを大切にし、決して驕ることなく、身を律しておられたわけです。そのお人柄もあり、多くのお弟子さんから慕われ、当時の嵯峨天皇をはじめ様々な方からの信頼をあつくされ、真言密教の教えを弘められたのです。
36.大般若転読法要
日光院では毎年11月3日(文化の日)に大般若転読法要を行っています。この法要は『大般若経』という六百巻にもなる大部の経典を読み上げる法要です。
『大般若経』は、今から約1400年もの昔、あの『西遊記』の三蔵法師のモデルにもなっている玄奘三蔵(602~664)が長い年月をかけインドから請来し、最晩年になり、4年余りの年月をかけ、配下の訳経僧たちとともに翻訳した、あらゆる仏典の中でも最大規模を誇る経典です。
この経典には、森羅万象一切の存在が「空(くう)」であることを説き、同時に最高の智慧を完成させる方法「般若波羅蜜多」が説かれています。
『大般若経』は六百巻という大部の経典であるため、実際に読誦するには長時間かかります。ですから転読(てんどく)といって、大音声(だいおんじょう)で経題等だけを読誦し、アコーディオンのように折本の経をめくり広げられるようになりました。
玄奘三蔵はこの訳出を終えられると、すぐに亡くなってしまいましたが、自分の生存中に経典の翻訳が終えられたことについて、諸仏や龍天の助けがあったと述べたことから、この経典が国家や民衆を守ってくれると信じられてきました。
お大師さまも、天長4年(827)に百人の僧を率いて大般若会を行い「大般若経典を転読して 天中の仏に供養す」と述べられました。この経典を読誦すると、無上の功徳があり、法要に列席した人にはさまざまな加護があるとも言われ、平安時代には皇室の行事にもなりました。
当院の大般若転読法要では『大般若経』を守護する『般若十六善神』の掛け軸を掲げ、『大般若経』の中で一番大事だといわれる第五百七十八巻『般若理趣分』によるお加持、そして皆様の願いを仏様にお届けする護摩祈祷を行います。
今現在、コロナの感染者数はかなり減り、緊急事態宣言も解除されておりますが、今一度気持ちを引き締め、この法要の中で、皆様と共に「無病息災」-病から免れ災いを避けられるように、そして「大願成就」-様々な願いが叶うよう、仏様に祈りを捧げたいと思います。