一言法話

2022-07-11 00:00:00

61.あたりまえ その1

 

癌により32歳の若さで亡くなった医師の井村和清さんの「あたりまえ」という詩を紹介させていただきます。この方の生前の手記は「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」として書籍化され、映画化やドラマ化もされており、ご存じの方も多いかと思います。

あたりまえ 
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう。
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気をむねいっぱいに吸える
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失った人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ

ほんとにそうですよね。私たちは何かにつけ、自分が気に入らないことに愚痴を言ったり、「もっとこうであればいいのに」と不満を言ったりしますが、それに引き換え、様々なことを、あたりまえ、に出来る喜びに浸ったり、日常を、あたりまえ、のように暮らすことのできる有難さを口にすることは、とても少ないのではないでしょうか。井村医師がこの詩の中で言っている通り、こんなこと、あたりまえ、と思っていられる有難さはそのことを失ってみて、やっと気づくことが多いわけです。それでは非常にもったいないことだと思いませんか。
(次回に続く)

2022-07-01 00:00:00

60.坂の話

 

早いもので、今日は7月1日。令和4年もちょうど中間、半年が過ぎました。
仏教には中道という教えがありますが、今回は中道に因んだこんなたとえ話をしたいと思います。

小樽は坂の多い町ですが、日光院のすぐ近くに小樽で一番有名な坂、船見坂があります。この船見坂の一番上に坂上さんという方が住んでいました。また、この坂の一番下には坂下さんという坂上さんのお友達が住んでいました。おしゃべり好きの二人はいつも電話で世間話に花を咲かせていましたが、ある時、自分たちが住んでいる船見坂の事が話題にのぼりました。しかし、どうも話が嚙み合いません。それもそのはず、坂上さんはいつも船見坂を見下ろしているのでこの坂は下り坂だと思い込んでいますし、坂下さんはいつも船見坂を見上げているので、この坂は上り坂だと思い込んでいるからです。電話では埒(らち)が明かないと、二人は船見坂の途中にある最近できた喫茶店で落ち合うことにしました。その喫茶店からはこの坂を見上げることも見下ろすこともできます。そして、二人は納得。坂はどこから見るかによって上り坂にもなるし下り坂にもなるという当たり前のことにやっと気付いたという話です。

そんなバカな、と鼻で笑われそうな話ですが、いやいやそうとも言い切れません。
私達の周りのいざこざや、争いごとも、案外こんなところから起きているとは言えないでしょうか。
凝り固まったものの考え方によって、物事を一方面からしか見ることをせず、そのことだけが正しいと過信し、他の見方を否定してしまう。しかし、そんなことでは正しくものを捉えることなどできませんよ、というのが中道の教えです。
何事にも色々な側面がありますし、さらに物事は常に移り変わっていきます。そんな中でも、その場その場で何が真実に近いのかということを探し出し見つけていくのが中道の教えといえるかもしれません。
中道とは中の道と書きますが、ちょうど真ん中、中間であればよい、という意味ではないのです。
かたくなな見方でもって「あの坂は誰が何と言おうと上り坂だよ」と頑として譲らないようでは、周りから鼻で笑われてしまいますね。

2022-06-21 00:00:00

59.万能的な天才 お大師さま

 

6月15日の青葉まつりには、北海道紙芝居研究会「かぜるん」代表井林芳江さんによる紙芝居「小樽昔ばなし 赤岩龍神ものがたり」の実演があり、たくさんの檀信徒の方々にお参りいただきました。お大師さまのお誕生日に皆様と共にお祝いの法要を勤めさせていただきました。

お大師さまは31歳の時に遣唐使として唐に渡り、当時の都、長安で恵果和尚より、真言密教の教えを余すところなく受け継がれました。しかし、長安で学ばれたことは、そのことだけにとどまらず、美術・工芸・当時の最新の科学技術・医学など多岐にわたりました。こういったことを成し遂げることができたのは、中国語に堪能であり、長安ではサンスクリット語(古代インドの言葉)をも短期間でマスターしてしまうという、並外れた語学力があったからこそでもあります。『文鏡秘府論』という漢詩の解説書を著し、必要とされれば草稿もなくすぐに漢詩一篇書き上げることができたともいいます。

日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士は、「長い日本の歴史の中でも、空海というのは、ちょっと比較する人がいないくらいの万能的な天才ですね。そこまでは最近、再認識されだしたが、私はもっと大きく、世界的なスケールで見ましても、上位にランクされるべき万能の天才だと思うのです」とおっしゃっており、「世界的に見ましても、アリストテレスとかレオナルド・ダ・ヴィンチとかいうような人と比べて、むしろ空海のほうが幅広い。また当時までの日本の思想・文化の発達状況を見ますと、思想・芸術、それに学問・技術の分野で時流に抜きんでていた。突然変異的なケースですね」とまで述べられています。

唐から戻られ真言宗を開かれたお大師さまは、決壊ばかりして人々を苦しめていた香川県にある満濃池の修復をしました。唐で学んだ土木知識を応用し、工事の陣頭指揮をとり、わずか3ヶ月で成し遂げましたが、この満濃池は今もなお日本最大の灌漑用のため池として使用されています。
また、庶民の教育のために綜芸種智院を作りました。それまでの日本の大学は貴族の教育機関でしかありませんでしたが、貧富に関わりなく、俗人も僧侶もあらゆる思想を学べる私立の総合教育施設の設立は画期的でした。
お大師さまは、嵯峨天皇、橘逸勢と共に、三筆と呼ばれる能書家でもありました。あらゆる書体をこなし、唐でも書の達人として知られるようになりました。

お大師さまの業績や万能性を表すには枚挙にいとまがありませんが、湯川博士をして「万能的な天才」と言わしめたのがお大師さまという方なのです。

2022-06-11 00:00:00

58.鷹尾了範

 

お大師さまは、宝亀5年(774年)6月15日にお生まれになりました。当院では毎年この日にお大師さまの降誕会、青葉まつりを行っています。今年はこのお祝いの日に当院にて作成した紙芝居の実演を合わせて行います。この紙芝居は日光院の礎を築かれた鷹尾了範にまつわる小樽の昔話です。

鷹尾了範は後に小樽で「東の定山 西の了範」(定山とは定山渓温泉を発見したといわれる美泉定山)と謳われました。天保(1830~1844)の末ごろ、越中富山の農村、小杉村にて生を受け、信心深い両親の考えもあり、菩提寺に預けられ17、8の頃、高野山での修行に入ります。真言密教僧として、不断の努力を積み重ねた了範は、縁のあった高野山の増福院で寺僧として、さらなる修行と寺務に励む日々を過ごしました。
その後、高野街道の登り口、九度山の慈尊院執事となりますが、新たな開教の地を求め、明治初頭、北海道の地を踏み、小樽の山田町に大師堂を構え、布教活動を行いました。
高島、祝津方面へも法縁を広げた了範は、赤岩山にて数々の修法を行います。赤岩山には「不動岩」や「男竜」「女竜」「扉」「白竜」と名付けられた洞窟があり、それらの赤岩霊場にて修法し、荒れる大海を鎮める鎮海祈願を行い、漁場の網元たちの絶対の信頼をも得ていきました。
了範を慕って大師堂に集う信者は数を増し、新寺建立の機運が高まっていきます。了範は渡道以来一度も離れたことのない小樽を発って高野山に上り、北海道の布教の実情を伝えました。
本山から新寺開創の許可見通しと共に了範を喜ばせたのは縁故の深い増福院住職から「日光院」の名跡を小樽に移してはという提案でした。
「日光院」は高野千寺のひとつといわれた名門寺です。しかし残念なことに明治五年に高野山での火災により全焼してしまい、「日光院」の名跡と運び出された「本尊聖観音」を増福院がお守りしてきたのです。
本山へ改めて新寺建立願いを提出した後、了範は新たなる開教の地を求めこの地を離れる決断をします。小樽を旅立つ前に赤岩山にて最後の修法を行った了範との別れを惜しむ人々は信者ばかりでなく、祝津全村の人達だったといいます。
その後、仙台の満福寺に滞在し布教活動を行った後の消息は残念ながらわかっていませんが、了範が心血を注いだ法の灯は今の日光院において、守られ燃え続けています。

当日は午後1時から北海道紙芝居研究会「かぜるん」代表井林芳江さんによる紙芝居「小樽昔ばなしーー赤岩龍神ものがたり」の実演、その後にお大師さまの降誕会を行います。
どなたでもご参加いただけますので、どうぞお気軽にお参り下さい。

2022-06-01 00:00:00

57.五蘊

 

ラジオからこんなニュースが流れてきました。
ーー札幌市内の市街地やその周辺で4月以降に「クマのような動物を見た」という通報が相次ぎました。ただ、札幌市によると、糞や毛などの痕跡は見つからず、キツネなどをクマと誤認した例が少なくないとみられます。専門家も「クマへの不安感があるとそう見えてしまうことがある」と話しています。直前の3月末に西区の三角山の登山道近くでクマの調査に当たっていたNPO職員2人が襲われたことなどが影響し、市民の不安感が高まり、「のような」通報の増加につながった可能性がありそうだということですーー。

神経科学者のデイヴィッド・イーグルマンはこのように言います。
「我々は現実をありのままに受け取っているのではなく、脳が解釈し編集した結果を受け取っているに過ぎない」

仏教では人は「色(物体)・受(感受)・想(表象)・行(意志)・識(認識)」の五蘊でもって構成されており、何かを見て判断、行動する時のメカニズムもこの五蘊で説明できます。

1.空から突然、濡れた何か《色》が落ちてきた。
2.それが頭に当たったのを感知《受》した。
3.おそらく頭に当たったのは雨粒だろうとイメージ《想》する。
4.濡れたくないな、傘がないから走って帰ろう。《行》
5,今度からは、雲行きが怪しい時は、傘を持って外に出よう。《識》

仏教は「正しくありのままにものを見る(認識する)」ことを目指します。しかし、私達人間は思い込みや先入観(このあたりにクマがいるんじゃないか)、過度な感情(クマへの恐れ 不安感)、その人のものの見方(偏向 自分勝手な解釈)などにより、間違ったイメージ《想》を持ってしまうことが少なくなく、そのことにより誤った行動をしてしまいがちな生き物であると言えます。