一言法話

2022-07-01 00:00:00

60.坂の話

 

早いもので、今日は7月1日。令和4年もちょうど中間、半年が過ぎました。
仏教には中道という教えがありますが、今回は中道に因んだこんなたとえ話をしたいと思います。

小樽は坂の多い町ですが、日光院のすぐ近くに小樽で一番有名な坂、船見坂があります。この船見坂の一番上に坂上さんという方が住んでいました。また、この坂の一番下には坂下さんという坂上さんのお友達が住んでいました。おしゃべり好きの二人はいつも電話で世間話に花を咲かせていましたが、ある時、自分たちが住んでいる船見坂の事が話題にのぼりました。しかし、どうも話が嚙み合いません。それもそのはず、坂上さんはいつも船見坂を見下ろしているのでこの坂は下り坂だと思い込んでいますし、坂下さんはいつも船見坂を見上げているので、この坂は上り坂だと思い込んでいるからです。電話では埒(らち)が明かないと、二人は船見坂の途中にある最近できた喫茶店で落ち合うことにしました。その喫茶店からはこの坂を見上げることも見下ろすこともできます。そして、二人は納得。坂はどこから見るかによって上り坂にもなるし下り坂にもなるという当たり前のことにやっと気付いたという話です。

そんなバカな、と鼻で笑われそうな話ですが、いやいやそうとも言い切れません。
私達の周りのいざこざや、争いごとも、案外こんなところから起きているとは言えないでしょうか。
凝り固まったものの考え方によって、物事を一方面からしか見ることをせず、そのことだけが正しいと過信し、他の見方を否定してしまう。しかし、そんなことでは正しくものを捉えることなどできませんよ、というのが中道の教えです。
何事にも色々な側面がありますし、さらに物事は常に移り変わっていきます。そんな中でも、その場その場で何が真実に近いのかということを探し出し見つけていくのが中道の教えといえるかもしれません。
中道とは中の道と書きますが、ちょうど真ん中、中間であればよい、という意味ではないのです。
かたくなな見方でもって「あの坂は誰が何と言おうと上り坂だよ」と頑として譲らないようでは、周りから鼻で笑われてしまいますね。