一言法話

2022-06-21 00:00:00

59.万能的な天才 お大師さま

 

6月15日の青葉まつりには、北海道紙芝居研究会「かぜるん」代表井林芳江さんによる紙芝居「小樽昔ばなし 赤岩龍神ものがたり」の実演があり、たくさんの檀信徒の方々にお参りいただきました。お大師さまのお誕生日に皆様と共にお祝いの法要を勤めさせていただきました。

お大師さまは31歳の時に遣唐使として唐に渡り、当時の都、長安で恵果和尚より、真言密教の教えを余すところなく受け継がれました。しかし、長安で学ばれたことは、そのことだけにとどまらず、美術・工芸・当時の最新の科学技術・医学など多岐にわたりました。こういったことを成し遂げることができたのは、中国語に堪能であり、長安ではサンスクリット語(古代インドの言葉)をも短期間でマスターしてしまうという、並外れた語学力があったからこそでもあります。『文鏡秘府論』という漢詩の解説書を著し、必要とされれば草稿もなくすぐに漢詩一篇書き上げることができたともいいます。

日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士は、「長い日本の歴史の中でも、空海というのは、ちょっと比較する人がいないくらいの万能的な天才ですね。そこまでは最近、再認識されだしたが、私はもっと大きく、世界的なスケールで見ましても、上位にランクされるべき万能の天才だと思うのです」とおっしゃっており、「世界的に見ましても、アリストテレスとかレオナルド・ダ・ヴィンチとかいうような人と比べて、むしろ空海のほうが幅広い。また当時までの日本の思想・文化の発達状況を見ますと、思想・芸術、それに学問・技術の分野で時流に抜きんでていた。突然変異的なケースですね」とまで述べられています。

唐から戻られ真言宗を開かれたお大師さまは、決壊ばかりして人々を苦しめていた香川県にある満濃池の修復をしました。唐で学んだ土木知識を応用し、工事の陣頭指揮をとり、わずか3ヶ月で成し遂げましたが、この満濃池は今もなお日本最大の灌漑用のため池として使用されています。
また、庶民の教育のために綜芸種智院を作りました。それまでの日本の大学は貴族の教育機関でしかありませんでしたが、貧富に関わりなく、俗人も僧侶もあらゆる思想を学べる私立の総合教育施設の設立は画期的でした。
お大師さまは、嵯峨天皇、橘逸勢と共に、三筆と呼ばれる能書家でもありました。あらゆる書体をこなし、唐でも書の達人として知られるようになりました。

お大師さまの業績や万能性を表すには枚挙にいとまがありませんが、湯川博士をして「万能的な天才」と言わしめたのがお大師さまという方なのです。