一言法話

2022-06-11 00:00:00

58.鷹尾了範

 

お大師さまは、宝亀5年(774年)6月15日にお生まれになりました。当院では毎年この日にお大師さまの降誕会、青葉まつりを行っています。今年はこのお祝いの日に当院にて作成した紙芝居の実演を合わせて行います。この紙芝居は日光院の礎を築かれた鷹尾了範にまつわる小樽の昔話です。

鷹尾了範は後に小樽で「東の定山 西の了範」(定山とは定山渓温泉を発見したといわれる美泉定山)と謳われました。天保(1830~1844)の末ごろ、越中富山の農村、小杉村にて生を受け、信心深い両親の考えもあり、菩提寺に預けられ17、8の頃、高野山での修行に入ります。真言密教僧として、不断の努力を積み重ねた了範は、縁のあった高野山の増福院で寺僧として、さらなる修行と寺務に励む日々を過ごしました。
その後、高野街道の登り口、九度山の慈尊院執事となりますが、新たな開教の地を求め、明治初頭、北海道の地を踏み、小樽の山田町に大師堂を構え、布教活動を行いました。
高島、祝津方面へも法縁を広げた了範は、赤岩山にて数々の修法を行います。赤岩山には「不動岩」や「男竜」「女竜」「扉」「白竜」と名付けられた洞窟があり、それらの赤岩霊場にて修法し、荒れる大海を鎮める鎮海祈願を行い、漁場の網元たちの絶対の信頼をも得ていきました。
了範を慕って大師堂に集う信者は数を増し、新寺建立の機運が高まっていきます。了範は渡道以来一度も離れたことのない小樽を発って高野山に上り、北海道の布教の実情を伝えました。
本山から新寺開創の許可見通しと共に了範を喜ばせたのは縁故の深い増福院住職から「日光院」の名跡を小樽に移してはという提案でした。
「日光院」は高野千寺のひとつといわれた名門寺です。しかし残念なことに明治五年に高野山での火災により全焼してしまい、「日光院」の名跡と運び出された「本尊聖観音」を増福院がお守りしてきたのです。
本山へ改めて新寺建立願いを提出した後、了範は新たなる開教の地を求めこの地を離れる決断をします。小樽を旅立つ前に赤岩山にて最後の修法を行った了範との別れを惜しむ人々は信者ばかりでなく、祝津全村の人達だったといいます。
その後、仙台の満福寺に滞在し布教活動を行った後の消息は残念ながらわかっていませんが、了範が心血を注いだ法の灯は今の日光院において、守られ燃え続けています。

当日は午後1時から北海道紙芝居研究会「かぜるん」代表井林芳江さんによる紙芝居「小樽昔ばなしーー赤岩龍神ものがたり」の実演、その後にお大師さまの降誕会を行います。
どなたでもご参加いただけますので、どうぞお気軽にお参り下さい。