一言法話

2022-04-01 00:00:00

51.怒りの感情とは

 

暑さ寒さも彼岸まで、と言われる通り、お彼岸の頃から北海道の厳しい寒さも和らぎ、雪解けが進み、長く心待ちにしていた春が到来しました。
北国に生まれ育った人は、毎年長い冬を乗り越えなくてはいけないので、忍耐強くなるなどと言われますが、確かにそうなのかもしれません。

仏教ではあらゆる苦しみから逃れた世界(悟りの世界)に向かう為の方法として六つ(六波羅蜜)あると説きます。
その三番目に挙げられるのが「忍辱」です。「忍辱」とは堪忍(かんにん)すること、耐え忍ぶことです。
様々な事柄、それがたとえ理不尽だと思えるようなことであっても、怒りの心さえ起こさければ、あらゆることから自分自身を保護することができると説くのです。

そもそも、人はなぜ怒りの心をもってしまうのでしょうか。日本アンガーマネジメント協会理事の戸田久実さんはこのように言っています。
「怒りの本当の原因は、相手でも環境でも状況でもなく、自分の中にあります。なぜなら怒りの感情は、『こうあってほしい』『こうあるはずだ』という、自分の理想や期待、願望が裏切られたときに生まれるものだからです。つまり怒りの原因は、『自分自身のゆずれない価値観』。誰かにイライラさせられたわけでも、怒らされたわけでもありません。怒りは、自分自身が生み出した感情なのです」

私たちは相手が悪いから・・・今の自分を取り巻く環境が悪いから・・・などと自分と相対する人やその時の状況に不満を持ち、腹をたてたりしますが、怒りを生み出す本当の原因は自分の中にあるのだと戸田さんはおっしゃるのです。
仏教もまさしくそのように考えます。
“怒りの感情”が沸き起こった時に心乱すばかりでは、結果的に自分自身を苦しめるだけです。そうではなく、そこをぐっと「忍辱」で堪え、この怒りはどこからくるのか、なぜ自分はこんなにもこのことで腹をたててしまうのかと、その“怒りの感情”を自己探索する上での手段とすることができれば、“怒りの感情”も自己を高める上で無駄にならずにすみます。

 

2022-03-21 00:00:00

50.正御影供

 

今日321日は春分の日、そしてお彼岸の中日です。春分の日、お彼岸のお中日はその年によって日にちが変わります。しかし、真言宗にとって、この321日という日は毎年変わらない大切な日です。835年(承和2年)のこの日321日にお大師さまは、高野山の奥の院の御廟において永遠の禅定に入られました。お大師さまはこの日をもってご入定されたのです。高野山の寺院をはじめ、真言宗の各寺院においても、毎年この日を特別な日と考え、「正御影供」の法要を執り行います。では、お大師様はどのような思いをもって御入定されたのでしょうか。

天長9年(832年)822日、お大師様の長年の夢であった「万灯萬華会」の大法会が高野山で開かれました。万の灯明の光が仏の智恵となって迷える衆生を救い、万の花の香りが衆生の悟りの目を開かせるようにと願い、この法会は開催されました。
お大師さまはこの法会の中で「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」と永遠の誓願をたてられました。
仏教学者で真言宗智山派の管長でもあられた宮坂宥勝師はご誓願をたてられたお大師さまの思いをこのように解釈されています。
「仏界の諸仏、すべての人びと、空飛ぶ鳥や地上の虫類、水中の魚や獣に至るまで、およそ宇宙法界(ほっかい)の存在する限りのありとあらゆるものは、すべてこれ我が恩の恵みである。したがって、これらのものが一つ残らず仏と同一の悟りに入ることを願いたい」
お大師さまはこのような壮大な願いをお持ちになられ、高野山の奥の院に入定され、今もなお禅定を続けられているわけです。
ですからテレビ等でご覧になったことのある方も多いかと思いますが、高野山奥の院では1200年近く、欠かすことなく、12回お大師さまへお食事を届ける「生身供」の儀式を行っています。

日光院ではお大師さまの大いなる誓願を仰ぎ、お彼岸の中日の日が変わっても、お大師さまがご入定された321日に毎年「春彼岸会」と「正御影供」を合わせて行っています。

2022-03-11 00:00:00

49.四恩

 

先月24日から始まったロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻は、今のところ終わりを迎える気配はありません。罪のないたくさんの人達を下敷きにしてしまったコンクリートの瓦礫の山。泣きじゃくった子供とともにその場から避難しなくてはいけない母親と、国を護るため残って戦う決断をした父親との別れの場面。連日テレビで映し出されるそれらの様子を見るたび、心痛まずにおれません。

お大師さまの著作に度々「四恩」という言葉が見出されます。「四恩」は『心地観経』に「父母の恩 衆生の恩 国王(国)の恩 三宝の恩」の四つの恩であると説かれます。

父母の恩は言葉の通り、父と母の恩です。
この世での生を授け、育ててくれた父母の恩が一つ目の恩です。

二つめの衆生の恩とは、生きとし生けるものすべての恩です。
自分とは全く関係がないと考えてしまうような命の営みであっても実は様々な縁によって、関連性を持ち、私という命を育んでくれていると考えるのが仏教です。日々口にする食べ物のことを考えてみても、それを畑で育てる人、海や山から採取する人、それらをあらゆる場所に届ける人、調理する人、様々な人々や命の営みが関わっています。そのように深く考えていくと、物心両面にわたり、私たちは様々な命に恩を受けているということになります。

三つめは国王(国)の恩。
日々を安心してこの地に過ごすことができるのは、この国土が安定した状態にあるからにほかなりません。今回のウクライナ、そしてロシアの状況、また今日はまさしく東日本大震災が起こってから11年目となりますが、そうした様々な事態が起こったならば、私たちは心平静を保ったまま生きることなどできません。そう考えると私たちの住む国土が安定した状態にあるならば、そのことの恩ということを感じずにはおれません。

最後が三宝の恩。
三宝とは仏、法、僧の三つを言います。仏はまさしく仏さま、法は仏が説かれた教え、僧は仏と仏が説かれた教えを大切にする人たちをいいます。
仏教では私たち悩み多き者は仏教の教えによってこそ救われると考えるので、その教えを説かれた仏、その教え(仏法)そのもの、そしてその教えを大事に考える存在を三つの宝とするわけです。

ウクライナの状況を想像するとあまりに辛く、目を閉ざしたくなってしまいますが、そんな中でも私たちは様々なおかげ(恩)によって日々を過ごさせていただいていることに感謝の念を持ち、この紛争が少しでも早く解決していくよう祈りましょう。

2022-03-01 00:00:00

48.己が身にひきくらべて

 

恐れていたことが起こってしまいました。先月24日ロシア軍がウクライナへの軍事侵攻を始めてしまいました。連日のニュースに心痛める毎日です。隣接する日本に住む我々といたしましても、なおさら他人ごとでは済まされない思いです。
このような事態を私たち仏教徒はどう考えればよいのでしょうか。この一言法話の中でも度々、引用させていただいている「法句経」の中にこのような言葉があります。

すべての者は暴力に怯え、すべての者は死を恐れる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。

すべての者は暴力に怯える。すべての生きものにとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。

仏教徒として、日常生活を送る上で守るべき基本的な十の戒めがあります。これを「十善戒」といい、その最初が「不殺生」つまりは生き物の命を自らの意思で殺してはならないというものです。なぜ命あるものを殺してはいけないのかということをこの「法句経」の言葉は私たちに示してくれます。
私たちは誰もが暴力に怯え、死を恐れます。誰かに殺されたいと思う人は、まずいないでしょう。
「己が身にひきくらべて」というのは、暴力によって怯え、殺されていく側に自分の身を置いてみなさいということです。殺される生命の恐怖や苦しみを、自分自身の恐怖や苦しみとして受けとめるならば、殺す側に立つことなどできません。いかなる理由があれ、暴力を行使し、人を殺してしまうような残忍な行為に走ってしまうのは、暴力を受ける個々の生命に「己が身をひきくらべる」思いが欠けているからということに他なりません。

この大変な状況が少しでも早く収まることを願い、「不殺生」という戒めを心に刻みましょう。

2022-02-21 00:00:00

47.失敗する意味

 

北京での冬季オリンピックが終わりましたが、北海道に住む者としては、馴染みのある競技も多く、様々な競技を観戦し、心熱くする毎日でした。中でも女子カーリング。決勝では負けてしまい、最後は少し残念な結果となってしまいましたが、銀メダルを獲得するという偉業を達成しました。そんな中、試合中も大きな声で他のメンバーを勇気づけていたチームのムードメーカーともいえる吉田知那美さんの準決勝後の勝利インタビューでのこの言葉が心に残りました。
「私たちの最大のアドバンテージは、たくさんのミス、たくさんの劣勢を経験できたことだ」

誰しもできることならミスや失敗はしたくないと考えるでしょうが、そんなことは無理ですよね。人生に失敗はつきものです。しかし、ミスや失敗といういわば負の経験(苦)をどう捉えるかということが大事だと思います。経験自体は自分にとって好ましくないものであっても、そこでどう考えるか。

こんなことをしでかしてしまう自分はダメな人間だ…
きっと私のことだから、また同じことを繰り返してしまうんじゃないか…
というように悪い方にばかり考えてしまうのか。
よし、この失敗を生かし、もう同じことは繰り返さないぞ、そのための努力をしよう…
失敗は誰にでもあるんだから、他の人のミスも寛大に受け止めよう…
というような前向きな捉え方ができるか。

私自身も度々、ミスや失敗をしてしまいますが、吉田さんと同じように失敗という経験にプラスの意味を持たせられる生き方をしたいと考えています。